キュリー夫人はベッキーよりすごかった!
(イラストレーション by 中村成二)
ベッキーの不倫報道があって、日本じゅうはその噂でおおいに盛り上がったけれど、百年前のフランスで、もっとすごい「大物」の不倫問題で社会全体が大騒ぎになったことがある。有名な事件だったが知らない人もいるだろうと思い(ぼくも最近知ったばかり)紹介しておこう。
その「大物」とはキュリー夫人。夫のピエール・キュリーと共に放射線の研究に没頭して、1903年に二人でノーベル物理学賞を受賞した。「リケジョ」(理系女子)の元祖みたいな人。ぼくなんか子供の頃、彼女の伝記を読んで、才能と努力にものすごく感心したのを覚えている。
夫のピエールとの仲もむつまじく、彼が1906年に交通事故で死んだ時の悲歎ぶりは伝記でもクライマックスの部分で、子供のぼくは泣いてしまった。ところが、この後に伝記には書かれていなかったスキャンダルが彼女を襲うのだね(子供向けの伝記には書けないことだった)。
未亡人になったマリー・キュリーはその時まだ38歳。美人で女盛り。その彼女の心をとらえたのは5歳年下の研究者(夫の教え子でもあった)ポール・ランジュパン。妻子があるポールはマリーとの不倫の恋に燃えあがり、二人は密会用のアパートまで借りる。
それを知ったポールの妻がマリーからの恋文を新聞で暴露したことをキッカケに、フランスのジャーナリズムはすさまじいマリー批難を展開する。ここらへんはベッキーと同じ構図になる。何しろ聡明な美熟女でもあり世界的に有名になった科学者。ネームバリューなんてベッキーどころではない。あることないこと書き立てるだけで新聞は売れに売れた。大衆もマリーを糾弾する側、擁護する側に分かれて、社会は上を下への大騒ぎ。対立するジャーナリストが決闘して傷つきあうという事件まで起きた。当事者であるポールも批判する記者と拳銃で決闘している(結局、どちらも撃たなかったので被害はなかった)。
そんな大騒ぎの最中に、今度はノーベル賞委員会がマリーに「化学賞」を授与すると決定し、騒ぎはクライマックスに。「そんな恥知らずな女に賞をやるな」「授賞式に出席するな」という大反対の合唱。ノーベル賞委員会も「出席しないでくれ」と懇願したほど事態は紛糾した。
まあ不撓不屈の精神の持ち主だったマリーは平然と授賞式に出て1911年のノーベル賞をもらったけれど、ポールとの仲は精算し、この騒動は自然に消滅した。偉業は後世に伝えられ、黒歴史は忘れられた。それでいいのだ。
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