文/池谷裕二(東京大学薬学部教授)
「自分は平均以上」と勘違い
先日電車に乗っていたら、隣に中学生くらいの女の子が座っていました。かわいい子だったので、手元のスマートフォンを操作している振りをしながら、横目でチラチラと見ていました。
すると、あろうことか、彼女は席を立ってしまいました。
ジロジロ見過ぎてしまったことを反省しましたが、しかし、どうやら私の視線が気になって席を立ったわけではないようです。理由はすぐに明らかになりました。「どうぞ」と目の前のお年寄りに席を譲ったのです。
深く恥じ入りました。
気が利く、気が利かないとはなんでしょうか。
彼女は気が利く人です。一方、私は気が利かない人です。これは明らかです。でも、ここで問いたいのです(決して言い訳のためではなく)ーー気が利かない人は、その時、自分を「なんと気が利かない人間だ」と残念に感じているでしょうか。
きっと感じていないでしょう。なぜなら、そもそもそのお年寄りが困っているという事実に気づいていないからです。気づいていてわざと席を譲らなかったら、それは気が利かないとは言いません。単に意地悪なだけです。
つまり、人は「自分がいかに気の利かない人間か」を知ることができないのです。ところが、他人が気が利かないことはすぐに気づき、指摘したり憤慨したりすることができますーー私がこんなに気を利かせているのに君はけしからん!
おそらく現実の自分は、自分に対して抱いている自己像よりも、気が利かない人間であることは間違いないでしょう。
これは気が利く気が利かないだけの話ではありません。日常生活全般において、似た状況は少なくありません。結局のところ人は実際のレベルよりも自分を高く評価することになります。
たとえば、日常的に車を運転する生活を送っている人に訊いた調査結果があります。
「あなたは平均よりも運転がうまい方ですか?」。この質問のポイントは「平均より」という点です。抜群に優れている必要はありません。あくまでも平均に比べたら「まあマシな方かどうか」という判断です。
このアンケートの結果は驚くべきもので、なんと70%の人が「私は平均以上です」と答えるのです。70%という値は平均値の概念にそぐいません。つまり、多くの人が「自分は平均以上にデキる」と勘違いしていることがわかります。
ただし注意してください。このデータは、正しく自己評価できている人がいないと主張しているわけではありません。
では、どのような人が正しく自己評価でき、またどのような人が自己評価を誤る傾向があるでしょうか。そんな研究をしているのが、コーネル大学のダニング博士とクルーガー博士です。