今までに見たことのない高さの津波。燃え盛る炎…。5年前のあの日、会社から身動きが取れなかった私は、家族が心配で仕方なかったのですが、確認する術がありませんでした。
あの日、Twitterは安否確認や情報収集の唯一の手段だった。
携帯電話も通じず、公衆電話には長蛇の列。docomo、au、ソフトバンクどれも不通状態が続き、携帯電話は有事には使えないんだと思い知らされました。そんな中、唯一の連絡手段として使えたのがTwitter。それを知った時、急いで友人のiPhoneからTwitterへログインし、家族だけでなく、仕事仲間や仲の良かった方々の安否も確認させてもらったのを覚えています。
あの時はツイッターがなければ、不安に押しつぶされていたかもしれません。
3.11。ツイッターにクジラは現れなかった。なぜか?
あの時はなぜTwitterのサーバーが落ちなかったのかなんて、全く考えもしなかったのですが、5年目に知ることが出来ました。
アメリカのエンジニアが、サーバーの増設を行っていた。
その日は、日本時間で週末の金曜日、米国時間では木曜日の夜だった。Twitterのエンジニアは日本で起こった地震のニュースを知り、「もし、土日に大量のアクセスがあり、Twitterにアクセスできなくなったら大変な二次的被害を被る人が出てくるかもしれない」と思ったそうだ。そのとき、段ボールに詰まった未開封のサーバーがコンピュータールームにあることを思い出した。次の週に、これらをセットアップする予定だったのだ。彼は自分自身の判断で、これら全てをラックに入れ、日本向けのサーバー数を3倍に増やした。
つまり、1人のエンジニアの機転により、予定を前倒しして地震発生当日にサーバーを増設した結果、Twitterは日本で大量アクセスがあったと思われる3月11日以降も落ちることなく稼働していたということのようです。
あの時は少しでも明るくなろう、前を向こうというメッセージもTwitterで配信されていました。私のように唯一の通信手段として使っていた方以外にも、気持ちを落ち着かせる方法として使っていた方も大勢いたはず。(5年経った今でも、「#東日本大震災 #5年目」というハッシュタグがつけられ、復興への情報を即座に検索できるツールとして活躍してくれています。)
上記の話が本当ならば、このエンジニアは多くの日本人に希望を与えたと言っても過言ではないでしょう。このエンジニアのボスの姿勢も下記の記事に出ているので、ぜひ読んでみてください。
少しでも何でもいいから情報を手に入れたいという思いに応え続けてくれたTwitterには、感謝の気持ちでいっぱいです。こんなこと知って何かになるわけじゃないけど、あの時は大勢の人に救われたという感謝の気持ちを持ち続けて生きたいと思います。
ありがとう。そして、1日遅い黙祷を。