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朝奥さんから沈痛な声で「松倉さん、ダメでした」という電話があった。 5月に日赤に行った時はただ昏睡状態。 「義則!しっかりしろ!」と怒鳴っても返事はなかった。 その後、順天大病院に転院。 奥さんの献身的な介護も空しく享年70。 早稲田で四年間、フジテレビで34年、本当に長い付き合いだった。 8月6日、原爆投下の日に三次で産まれたところから河野一郎・五輪担当大臣(早大競走部OB)の 鶴の一声で東京五輪聖火ランナーに決まる。 帰省中の義則にとって寝耳に水。 すぐに上京して記者会見。 当時19歳。 一躍時の人になった。 その後、思うように記録が伸びず、中村清さんからマラソン転向を強く勧められたが中村さんの情念について行けなかった。 19歳で人生の頂点に立ってしまったのだから、葛藤は激しかったろう。 酒の限度も越すようになってしまった。 でも、和田さん(早実監督)、古市英(早大教授・同期)、義則と武蔵境の寿司屋で飲み、食い、語ったのは楽しい思い出。 和田さんも古市も、そして義則迄もがお浄土に還ってしまった。 ただ一人残されたオレは飲む相手がいなくなってしまった。 だけれど義則、DRはオマエ・解説は古市・肝心のアナウンサーがいないとバレーボール中継は出来ないんだぞ。 これからのお付き合いは「倶会一処」で… 合掌 |
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