【甘口辛口】「幻の聖火ランナー」落合さん、補欠から正走者への夢はかなうか
■10月10日
トーチを掲げ背筋をピンと伸ばした聖火最終ランナー、坂井義則が目の前を美しいフォームで駆け抜けていった。1964年10月10日の東京五輪開会式。7万人の大観衆で埋まった国立競技場スタンド下の選手通路で、当時目黒高(現目黒学院)2年生の落合三泰はまぶしげにその姿を見守った。
あの日から、きょうで50年。67歳になる落合さんは「幻の聖火最終ランナー」だ。中学から陸上を始め、高2のインターハイでは五種競技で2位になった。当時既に1メートル85の長身。均整のとれた体形で見栄えがよかったのだろう。組織委員会の目にとまり開会式当日に聖火リレーする候補10人の中に入った。
男子8人、女子2人。1カ月にわたる練習中、聖火台にも1度点火した。「もしかしたら自分が最終…」。夢は膨らんだが、9月の末に告げられた。「君は坂井君の補欠に回ってもらう」。坂井さんが事故で骨折でもしないかぎり出番はない。「悔しかった。でも大変な重圧と闘う坂井さんを間近で見ていたら、とても自分では…と思った」。
その坂井さんは五輪50年を前に先月亡くなった。早大に進学した落合さんにとって2学年上。合宿所で生活を共にしたが、「当時は体育会の上下関係は厳しく、カベがあって坂井さんとは聖火について1度も話したことはなかった」と振り返る。67年日本選手権十種競技で優勝したが、翌年足首を痛めて五輪の夢もかなわなかった。
三越を定年退職し、いまは悠々自適の落合さん。「五輪が来るたびに、やはり聖火のことを思い出す。6年後の東京五輪で、どこかでチャンスをいただければ走ってみたい」。補欠から正走者へ、夢は56年でかなうかもしれない。 (今村忠)