女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌。全員が出所済み、2人は再犯…
2015/08/18
日本で戦後に発生した事件のうち、最も凄惨な事件の1つと言われる「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。
1988年の事件発生から25年以上が経過し、犯人は全員出所、再犯で逮捕された者もいます。
私は1990年生まれで、この事件をよく知りませんでした。そのため、今回忘れてはならない事件として掘り下げて調べてみました。
若い人の中には私のように、この事件についてよく知らない人も増えています。
しかし、普通の、どこにでもいる人が被害者となる残虐な殺人事件は今も多発しています。
また上述のように出所した犯人が再犯で逮捕されるなど、「遠い昔の事件」として忘れ去ってよい状況ではありません。
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女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要
東京都足立区綾瀬で発生したこの事件の発端は、1988年11月、少年数人がアルバイト先から帰宅途中の女子高生を誘拐したことから始まりました。
それから1989年1月にかけ、41日間に渡って少女を監禁し、残虐極まりない暴行、凌辱の限りを尽くして殺害した後、旅行バッグに入れた遺体をドラム缶に入れ、コンクリートを上から流し込んで東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄しました。
被害者はどこにでもいる、普通の女子高生でした。
その数カ月後、主犯格の少年が別の強姦や窃盗で逮捕され、取り調べの際に余罪を疑った警察官が「人を殺したダメじゃないか」とカマをかけたところ、少年が自白し、事件が発覚。
ドラム缶にコンクリート詰めされた遺体が発見され、事件が明るみに出ました。
犯人たちが行った残虐極まりない行為
発見された遺体は、以下のような状態で、犯人たちの暴行の凄惨さを物語っていました。
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・顔や性器、肛門は破壊されて原型を留めていない
・鼻の穴には血が詰まっており、口でしか呼吸ができない状態
・陰部には栄養ドリンクの小瓶が2個差し込まれていた
・乳房には縫い針が複数本刺さっていた
・片方の乳頭(乳首)はペンチのようなもので潰されていた
・手足は火傷と炎症で体液が漏れ出していた
・極度のストレスと栄養失調によって頭髪や歯は抜けていた
・51キロあった体重は30キロ台になり、皮下脂肪が通常の半分近くになっていた
・脳が委縮して小さくなっていた
犯人である少年たちは、友人を連れ込むなどして昼夜を問わず女子高生をレイプし、女子高生が気を失うと水を頭に浴びせて気を取り戻させ、更にレイプをする、といったことを繰り返していました。
また、単に殴るなどの暴行や強姦をするだけではなく、全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせる、自慰行為を強要する、顔にマジックペンでいたずら書きする、陰部や肛門に鉄棒や瓶を挿入し、刺し込んだまま瓶を割る、など行いました。
さらには、真冬のベランダに全裸または半裸で出し放置する、手足にライター用のオイルをかけ火をつける、顔に溶けたろうそくのろうを垂らす、まぶたの上に短くなったろうそくを立てる、尿を飲ませたり、ゴキブリを食べさせるなど、凌辱と虐待を繰り返しました。
女子高生を殺害するに至った経緯
昭和63年11月25日午後8時半頃、女子高生は週2回のプラスチック工場でのアルバイトから、自転車に乗って帰宅する途中でした。
そこに少年Cが乗ったオートバイが突き当たり、女子高生は悲鳴を上げながら自転車もろとも側溝に落ちました。
女子高生がなんとか立ち上がると、オートバイに乗った少年Aが来て「大丈夫ですか?」と声をかけます。
「あいつは札付きの悪だ」「この辺は危ないから、僕が送っていってあげるよ」と、少年Aはゆっくりとバイクを走らせて、少女は自転車を押しながら従いました。
しかしこれは少年Aと少年Cの芝居でした。
途中で少年Aは豹変。女子高生を大きな倉庫に連れ込もうとすると、彼女は叫び声を上げて抵抗しました。
「さっきの奴は俺の仲間だ。組織がお前を狙っている。俺の力で命だけは助けるように幹部に頼んでやる。その代わり、今から俺とホテルに行くんだ」
少年Aはそう言って少女を脅すと、呼び止めたタクシーに2人で乗り込みました。
ラブホテルに連れ込むと、少年Aは柔道で鍛え上げられた力で、少女を強姦。
それまで異性体験もなかった少女は、これですっかり無力感に陥ってしまいます。
少年Cの部屋に監禁され強姦の日々が続く
その後、皆のたまり場になっている少年Cの部屋に、女子高生は連れ込まれました。
少年Bと少年Dが加わり、4人でかわるがわる強姦。交替で女子高生を見張り、監禁します。
女子高生が監禁された少年Cの部屋には、十数人にも及ぶ少年たちが出入りし、強姦や性的陵辱を続けました。
逃亡失敗、少年Cの親が少女の存在に気付く
12月2日午後4時頃、少年たちが皆眠ってしまったので、女子高生は1階の居間に降りて110番をします。
大きな声で話すわけにはいかない。また、自分の居場所もわかっていませんでした。
うまく伝えられないでいると、少年の誰かが降りてくる気配がして、女子高生は受話器を置いて外に飛び出ると駆け出しましたが、追ってきた少年に捕まってしまいます。
家に戻ると、電話が鳴り少年Aがその電話に出ました。
電話は警察からで、女性の声で助けを求める110番があったと告げられると「間違いじゃないですか」「ここには女の人などいませんから」と少年Aが応対し、警察は通話を終えました。
この時に、少年Cの母親は台所から居間に顔を出し、少女の存在を知ります。
夜になる前に少女を帰すようにと、母親は少年たちに促しましたが、その2日後、4日後にも、彼らは女子高生を帰すことはありませんでした。
少年Cの母親は、少女がまだ家にいることに気づいていました。
女子高生の持つアドレス帳を見た母親は、彼女の自宅に電話し、帰宅しない娘を心配する彼女の母親と話します。
しかし、「そちらの名前を教えてほしい」と言われて、少年Cの母親は受話器を置いてしまいました。
その後、少年Cの母親は「帰るように」と言って、女子高生を玄関から送り出します。
しかし、少年たちは、家の外で待ち伏せをしていて、女子高生を再び捕まえ、夜になるのを待って、外の電柱を伝って少年たちは少年Cの部屋に戻りました。
少年Cは「恥をかかせやがって」と、母親に1時間以上にもわたって暴力を振るいました。
それ以降、母親は暴力を恐れ、少女が帰宅したかどうかを確かめることはありませんでした。
少年Cの部屋では、逃げようとしたということで、女子高生にリンチが加えられました。ストリップを強要された上、女子高生は脚にオイルを注がれて火を付けられました。
少年Cの両親が休みで家にいる年末年始は、女子高生には水だけしか与えられず、しだいに衰弱していきます。
そして殺害へ
そして1989年の1月4日、賭け麻雀で大敗し、むしゃくしゃしていた主犯の少年は女子高生を虐待することで鬱憤を晴らそうと考えました。
普段よりも激しく2時間に渡って殴る、蹴る、腹部に1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を落とすなどの暴行を加え、殺害。
供述によると、女子高生の苦しむ姿を面白がり、小泉今日子の『なんてったってアイドル』のテープをかけ、曲に合わせて殴るなど、正に「面白半分に」暴力をエスカレートさせていったようです。
その暴力の激しさは、刃物で刺すことはしていないにも関わらず、殴られた時の出血が天井まで飛び散るほど激しいものでした。
1月5日、女子高生が死んでいることを確認した少年たち。
遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固めることを少年Aが提案し、4人で協力してそれを実行。
江東区若洲の海浜公園の工事現場に遺棄しました。
女子高生コンクリート詰め殺人事件犯人とその後
このような残虐な事件を起こした犯人は、主に以下の4人の少年でした。
少年A
本名:宮野 裕史(現在は苗字を変えている)
事件当時18歳。主犯格。
中学時代は柔道に打ち込み、大きな問題なく学生生活を送っていましたが、高校の柔道部でいじめを受けて挫折し、高校を退学。
暴力団の下部組織を設立し、窃盗や恐喝、婦女暴行などの犯罪を繰り返すようになりました。
女子高生コンクリート詰め殺人事件で懲役20年の刑となって服役し、2008年に出所しましたが、2013年に振り込め詐欺で逮捕。
黙秘を貫いて不起訴処分になりました。詐欺を行った組織では、首謀者ではなく下っ端の役割を担っていたと言われています。
少年B
事件当時17歳。身長約180センチと大柄で、サブリーダー的な存在。
少年Aとは中学時代から先輩、後輩の間柄でした。
懲役5年以上10年以下の判決を受けて服役し、1999年に出所しました。
少年犯罪者の更生に力を入れている人物の養子となり、苗字を変えましたが、2004年に再犯。
男性に「交際している女性を奪った」と言いがかりをつけ、また「俺は人を殺したことがあるんだ」などと脅して監禁し、暴行を加えました。
しかし、当の女性は元少年Bと交際はしておらず、被害者の男性と面識がないと証言したことから、某テレビ番組の中で犯罪精神学の専門家は元少年Bを「妄想性人格障害」と分析しました。
少年C
事件当時17歳。
懲役5年以上9年以下の判決を受けて服役し、既に出所しています。
被害者の女子高生が監禁されていた家に家族と住んでおり、女子高生は2階の部屋に監禁されていました。
少年Cは格闘技が好きだったため、女子高生への暴行に使用された鉄棒などの器具が部屋に存在。
両親は女子高生の存在に気が付いていましたが、暴力を恐れて踏み込まず、事件は最悪の結果となりました。
少年D
事件当時16歳。
懲役5年以上7年以下の判決を受けて服役し、1996年に仮出所しました。
女子高生の監視役でありましたが、強姦や暴行にも加わり、女子高生が死亡した最期の暴力では鉄球で殴るなどをしています。
2000年に放映されたニュース番組に少年Dの母親が出演。
母親のコメントによると、出所後は母親とアパートで暮らしており、ほとんど部屋から出ない引きこもり生活を送っているそうです。
他、事件に関わった少年
刑事裁判にはかけられませんでしたが、少年Eと少年Fが少年院送致となりました。
少年Eは地元のスナックでこの事件のことを面白おかしく語り、無反省の様子。
少年Fは建築会社で正社員としてはたらきながら、現在は結婚し娘がいます。
事件のことは多くの人が知っていた
刑事裁判にかけられた犯人は上記4人(少年A、B、C、D)ですが、この他に2名が少年院送致、女子高生の強姦に参加した人数は10名以上、女子高生が監禁されていることを知っていた人は100名を超えると言われています。
少年たちの残虐な暴力もですが、これだけ多くの人数が監禁を知っていたにも関わらず、誰も女子高生を救わなかった点においても社会に大きな衝撃を与えました。
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「関わりたくない」「誰かがきっと」当事者意識の欠如
この事件において、まず疑問に思うのが、上述の通り多くの人が関わっており、また女子高校生が監禁されていたのは東京都足立区の民家で、隣の家と近接していたのに、なぜ誰も警察に通報しなかったのか、ということです。
当時の報道番組を見ると、近所の人が「悲鳴が聞こえた」などとテレビ局のインタビューに回答しています。
虐待をされていたのを目撃されていたにもかかわらず、子供が幼児虐待によって亡くなる事件は後を絶ちません。
「見て見ぬふり」「誰かが通報するだろう」「おかしいとは思ったけど…」などという当事者意識の欠如は現在の日本でも存在しています。
女子高生コンクリート詰め殺人事件と同様の事件が発生してもおかしくない状況といえるのではないでしょうか。
日本の更正プログラムに疑問
更生についてですが、出所後に暴行事件を引き起こし、懲役4年の実刑を受けた少年Bは妄想性人格障害が疑われ、「適切な薬物治療が行われていたら、犯行には陥らなかった可能性が高い」と語る専門家もいます。
日本の犯罪者の更生指導はアメリカなどと比較して遅れており、特に適切な医療を受けさせる治療プログラムが不十分で、対象者も限られている、という指摘があります。
刑務所というと、一般的には「犯罪者を隔離する」という機能をイメージしますが、私たちの安全を考えると、「犯罪者を更生させる」という役割は大変重要です。
教育があまり効果を発揮せず、医療の方が再犯防止に効果的なケースを放置するようなことがなく、適切な治療を受けさせるプログラムが導入されるよう、もっと積極的に働きかけることが必要なのかもしれません。
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