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一章 ダイジェスト1
山と森に囲まれ、陸の孤島となっている、ド田舎の街。
国の首都からも、領主の館からすらかなりエゲツない感じに離れたその街に、一人の騎士がいた。
名前は、ハンス・スエラー。
元々は王都の騎士団に所属していたというのに、国の役人が彼以外一人もいないこの街に左遷されてきた、可哀想な騎士である。
普通の人が見ればドン引きするほどヒドイ扱いだが、驚く事にハンス自身はこの左遷をたいへん喜んでいた。
人生の色々なしがらみに疲れていたし、何より、ハンスは都会よりもこういった田舎街のほうが好きだったのだ。
街の全員が知り合いみたいなものなので事件も起きないし、余りに陸の孤島過ぎて外から人がやってくることもない。
来るのは精々徴税官だけ、という恐ろしいほどのド田舎。
必然的にハンスにも騎士らしい仕事は無く、雨漏りを修繕したり、ドブさらいをしたり、力仕事を手伝ったりという毎日を送っていた。
そんな、ある日の事である……。
「ハンスさん、大変じゃぁ!」
街の有力者の一人である老人が、ハンスの居る駐在所に飛び込んできた。
何事かと話を聞くが、どうにも要領を得ない。
仕方無しに、ハンスは現場へとむかう。
そこでハンスの目に飛び込んできたのは、大量の猪型魔獣を市場に並べた、奇妙ないでたちの男だった。
ハンス達の国では珍しい、黒髪黒目のその男は、頭部にロールケーキを乗っけたような奇妙な髪形をしている。
恐る恐る声をかけたハンスに、男は笑顔を向けた。
「あ、いらっしゃい。イノシシどっすか? めっちゃ新鮮っすよ」
確かに新鮮だろう。
なにせ猪型魔獣は、いまだに生きているのだ。
どうやら、男はかなりずれた感覚の持ち主らしい。
そもそも猪型魔獣は体長4mの巨体であり、牙も1mほどある。
それを気持ちよく猪と言い切るあたり、そのずれっぷりはハンパなものではない。
よくよく話を聞いてみると、どうやら男はこのあたりの人間ではないという事が分かってきた。
男の名は「ヨシダ・ケンイチ」というらしい。
なんでも「日本」という国に住んでいたのだという。
そして、気が付いたらこの街の近くに居た、迷い人なのだとか。
ケンイチの言う国名はハンスは聞いた事が無く、恐らく遠くの国なのだろうという事しか分からなかった。
文字通り、見たことも聞いた事もない、というヤツだ。
流石にそれでは、ケンイチも自国に帰る事は出来ない。
普通ならばへこたれるそんな状況であったが、ケンイチはめげることは無かった。
それどころか、彼はこの街で働き、自分で食い扶持を稼ぐと言い出したのだ。
こういった場合面倒を見てやるのも、地方騎士であるハンスの仕事であった。
早速相談に乗るハンスに、ケンイチは予想もしなかったことを言い出す。
なんと、魔獣を飼育する牧場を作りたいと言い出したのだ。
確かに魔獣の中には、食用になるものも居る。
だが、基本的には人間にとって脅威となるものばかりだ。
訝しげな表情を見せるハンスに、ケンイチは奇妙なこと言う。
「俺、自分のステータス見られるみたいなんすよ。それ見たらなんか、魔獣使いって書いてあんすよね!」
なんでもケンイチは、自分の持っている能力を確認する事ができるというのだ。
そして、それは魔獣を相手に力を発揮するものであるのだという。
にわかには信じがたい話ではあったが、その言葉はハンスにとって納得できる部分もあるものだった。
ケンイチは魔獣に対して、凄まじい力を振るっていたのだ。
市場で売っていた猪の魔獣は、ケンイチが自ら素手で捕まえていたのである。
地方騎士の立場として、こういった危険そうな案件は取締りの対象だ。
しかし、実績を上げている以上、絶対に不可能だというもの、ハンスとしてはよいとは思わなかったのである。
結局、ハンスは街から離れた場所でならば、と、ケンイチが牧場を作るの許可を出すことにした。
ケンイチが街に来て、数ヶ月が経った頃。
街から少し離れたその場所には、巨大な牧場が誕生していた。
猪型や牛型の魔獣が放牧されているそこを作り上げたのは、ケンイチである。
ハンスから許可を貰ったケンイチは、あのあとすぐさま森の中へと入っていた。
そして、片っ端から魔獣をふん捕まえて来ていたのだ。
「いや、マジ最初に行った村と、街と、あとハンスさんのおかげっすよ! 皆に会わなかったら俺マジ今ごろ野垂れ死んでたっすよ!」
ハンスが牧場の様子を見に行くたび、ケンイチは嬉しそうにそんな事を言った。
(いや。別にお前一人でも生きてたと思うぞ)
そんな事を思いつつも、けっして口には出さないハンスだった。
ケンイチの牧場は、ハンスの予想を大きく超えて大繁盛していた。
元々実家が牧場を営んでおり、尚且つ「農業高校」という専門施設で訓練をつんでいたのだとかで、ケンイチのその分野での知識はたいへんなものだ。
それらをフルに使った生産物は、その高い品質からすぐに街、あるいはその周囲にある農村部へと広まっていったのである。
最近では牧場犬代わりの狼型魔獣に跨り各地へ配達するケンイチが、良く見かけられるようになっていた。
そんな、ある日の事。
ハンスの駐在所に、血相を変えた若者が飛び込んできた。
街の周囲にある、農村に住む青年だ。
「た、大変だハンスさん! なんか凄い治療師の人が村に来てるんだ!」
「治療師? 魔法のほうのかい?」
いわゆる治療師には、二種類のものが居た。
ひとつは、薬や医療器具を使う、一般的な医者。
もうひとつは、治療魔法と呼ばれる特殊な方法で人を癒す魔法使いだ。
医者も珍しいが、治療魔法使いは希少種といっていいほど数が少ない。
その効果の高さから、治療を頼むには多額の治療費が必要だ。
この街の周囲には、治療魔法使いはおろか、医者すら居なかった。
それなのに、どういうわけか青年の村にその治療魔法使いが現れたのだという。
さらに。
「すごく僅かなお金と食料だけで、治療してくれるんです! そりゃもうすごい人気で、家の爺さんも長年の腰痛が治ったって大喜びなんです!」
どうにも奇妙な話しだと、ハンスは思った。
治療魔法使いというのは治療に大枚を吹っかけるものだし、そもそもその多くが貴族のお抱えだ。
こんな超田舎でそんな事をしている理由が分からない。
ハンスは早速、現場に向かってみることにした。
順番を待つ大行列に、積み上げられた治療費代わりと思しき品物の数々。
そして、列の先頭で魔法発動時独特の発光現象を起している少年。
村に着いたハンスを出迎えたのは、そんな光景だった。
ハンスはとりあえず、その少年声をかける。
「君、君は治療師かな?」
「へ? あ、き、き、騎士? 本物の騎士の人ですか? やっぱりもうここは日本じゃないんだ。そして、地球でもないんだ……もーだめだぁああ!!」
少年はハンスが声をかけた瞬間、突然泣き崩れた。
とても話ができる状態ではなく、ハンスは仕方なく様子を見ていた周りの人々から事情を聞くことにした。
話を総合すると、次のような事が分かった。
少年は突然山の中から現れた。
そして、ひとしきり何かに絶望したあと、意を決したように周囲の農民達に治療を施しはじめる。
おどろく農民達に対し、少年は治療の変わりに、わずかでもいいから食べ物などを分けてくれないか、と、言い出したのだという。
粗方情報を集め終わったハンスは、再び少年の下へとやってきた。
膝を抱えて地面に座り込んでいる、黒髪黒目のその少年に、声をかける。
「なあ、君。君は『にほん』から来たのか? もしかして、『のうぎょうこうこう』という言葉を知っているんじゃないかな?」
「その言葉をどこで?! 僕以外にも日本から来た人がいるんですか! 会わせてください! どこにいるのか教えてくらあいぃいい!」
泣きながらすがり付いてくる少年を何とか引き剥がし、ハンスは少年をケンイチの下へと案内した。
「あんだ。学ランじゃねぇの。この辺にもあんだなぁ」
「ガク……、ぼ、僕はこの辺の人間じゃないんです! 地球の、その、日本から来たんです!!」
「ああ? そうなんだべか? 俺はアレだ、北海道のほうにいたんだけどよぉ。アンタどの辺だ?」
「僕はその、と、と、東京の……う、うわぁあああああ!!」
ハンスの読みどおり、二人は同郷であったらしい。
再び泣き崩れた少年が落ち着くのを待って、事情を聞く事となった。
だが、話の内容は、ハンスにとって予想外の方向に飛んでいく事となる。
スドウ・キョウジ。
そう名乗った少年曰く、二人の故郷である「日本」は、恐らくこことは違う世界。
いわゆる異世界の国なのだろうというのだ。
その言葉に、ハンスはおろか、ケンイチまでが胡散臭そうな顔を見せる。
そんなケンイチに、キョウジは苦い表情を見せた。
「逆に聞きますけど、角が生えたイノシシとか、六本足の牛とか、地球にいるんですか」
それらの特徴は、ケンイチの牧場に居る魔獣達のものだ。
どうやらケンイチは、それらの生物が自分の出身国では「幻想生物」などと呼ばれてる類のものであると、今の今まで気が付かなかったらしい。
ハンスにしてみても、二人が異世界の出身者であるというのはある種しっくりくる話ではあった。
まず、二人の服装だ。
ケンイチは髪の毛を整髪料で固め、丸太のような形状にして前に突き出させている。
キョウジの服装は途轍もなく作りが精巧で、ドコででもお目にかかれるような代物ではない。
そして、二人の持っている能力だ。
魔獣に対して強力な腕力を発揮し、従えさせる「魔獣使い」のケンイチ。
高度で習得するものが殆ど居ない治療魔法をぽんぽん使う、「治療魔法」のキョウジ。
どちらも常識から逸脱した、凄まじい力なのだ。
それこそ異世界から来たと言われても、納得ができてしまう程に。
結局、キョウジはケンイチの牧場で住み込みながら、街唯一の治療師として働く事となった。
強力な治療魔法を振るうにも拘らず、僅かな見返りしか求めない姿勢はすぐに評判を呼んだ。
勤勉な性格なのか、休みをとることも殆ど無く患者の下に足を運ぶキョウジは、僅か数ヶ月で町全体からの信頼を勝ち取っていた。
どうなるかとかと思われたが、どちらの日本人も、とりあえず落ち着いた生活を送っている。
ほっとするハンスだったが、これまだまだ自身に降りかかる受難の始まりに過ぎないことを、ハンスは知らなかったのであった。
キョウジが街に来てから、数ヶ月が経った。
ハンスが色々と手助けしたこともあり、ケンイチもキョウジもすっかり街に馴染んでいる。
あれこれと気を揉んでいたハンスも、やっとひと段落つけた、そんな時だ。
一人の青年が、ハンスの駐在所に飛び込んできた。
なんでも、黒髪黒目の変わった恰好の少女が、村に現れたゴブリンとオークを相手に大暴れしているらしい。
激しい嫌な予感と頭痛を覚えながらも、ハンスは早速その現場へとむかう。
そこに広がっていた光景は、ハンスの予想のはるか斜め上を行くものだった。
ボコボコに殴られて痙攣し、地面に転がるゴブリンとオーク達。
そのすべてが満遍なく顔を中心に殴られているらしく、顔を背けたくなるほど凄惨な感じに殴られている。
唖然とするハンスだったが、残虐な行為はまだ終わっては居なかった。
一人の少女が大きな体のオークに跨り、一方的に殴りまくっていたのだ。
「うぉぉおおお!! 自分の拳が真っ赤に燃えるっす! 敵を倒せと悶えて叫ぶっすー! 一! 二! 三! ファイヤー!!」
何やら雄叫びをげる少女に、気が遠くなりかけるハンスだったが、倒れるわけにもいかない。
嫌な予感がしたので呼び出しておいたケンイチ、キョウジと共に、早速少女から事情を聞きだすことにする。
やはりというかなんというか、少女は日本人であるという。
ミナギシ・ミツバと名乗るその少女と、周囲の村人の証言から、次のような事が分かった。
いつものように近所をランニングしていると、ミツバはいつの間にか森の中に迷い込んでいた。
うろうろしていると、今現在居る農村へとたどり着く。
ミツバを迷子だと思った村の人々は、彼女に食べ物を分けてあげた。
お腹がすいていたミツバはたいへん喜び、感謝しながらそれを食べる。
そんなことをしていると、突然森のほうから大きな音が響いてきた。
なんと、オークやゴブリン達が、村に押し寄せようとしていたのだ。
驚く農民たちをよそに、ミツバは拳を振り上げ立ち向かった。
そして、現在に至る、というわけらしい。
大まかな事情を聞いたところで、今度はハンス達からの説明をすることになった。
ここが異世界であり、日本という国ではないという事についてのものだ。
何でも日本にはオークもゴブリンもいないのだそうで、その説明はすばやく終えることができた。
「ミツバの出身ってどこなん?」
「島根っす! 日本一どこにあるかわからない県っす! でも鳥取には負けないっす!」
どうやらミツバは、日本という国の中でも、島根という地域からやってきたらしい。
ちなみにケンイチは北海道、キョウジは東京なのだという。
地元愛的な意味でキョウジだけが仲間はずれを食らっている様子であったが、まあ、それはどうでもいいことだろう。
そんな事をしているうちに、ゴブリン達がなんとか口を聞ける状態まで回復する。
ゴブリンとオーク達はその外見から偏見をもたれがちだが、人間とさして変わることのない高い知能を持った種族であった。
奴隷種族、などと呼ばれているが、会話をすることは可能だし、事情聴取は可能なのだ。
ハンスは早速、彼らからも話を聞く事にした。
その内容は、次のようなものだった。
彼等は、病気や怪我を負い、他の群から離れたものたちなのだという。
お互いに何とか助け合いながら、他の魔獣の食べ残しなどを糧に生活をしてきていた。
だが、最近どういうわけか、その魔獣がごっそりと居なくなったのだという。
食うに困った彼らは、仕方なしに人間から食べ物を分けてもらえないか打診しに来たのだという。
ゴブリンやオークは捕まると奴隷にされることもあるので、なるべく沢山の人数で、交渉をしようと考えたのだとか。
つまり彼らは、村を襲いにきたわけでもなんでもなかったのだ。
そう、ミツバは誤解をして、彼らをボッコボコにしてしまったのである。
確認してみれば、彼らは全員丸腰であり、武器らしいものは持っていなかった。
ゴブリンやオークは知能が高いので、戦いに来たのに武器を持っていないというのは考えられない。
完全にミツバの早とちりである。
なんとか命だけは助けてくれと咽び泣くゴブリン達を前に、ミツバは冷や汗をかきながら、上空へと飛び上がった。
「す、すんませんしたーっ!!」
華麗に決まったジャンピング土下座により、事態はとりあえず収拾することになった。
ゴブリン達がエサのおこぼれを預かっていた魔獣達が居なくなったのは、なんとケンイチが牧場を作ったからであった。
それまでそこに居た魔獣を、ケンイチが全て牧場に押し込んでしまっていたのだ。
直接彼等に何かをしたわけではないとはいえ、関係が無いわけではない。
多少なりとも責任を感じたケンイチは、彼らをそのまま牧場で雇うことにした。
元々牧場がどんどん広くなっていた事もあり、人手は必要だったのだ。
この申し出はゴブリン達にとってありがたいものであるだけではなく、ケンイチにとっても助かるものだったである。
ゴブリン達は皆、怪我や病のために、群れを離れざるを得なくなったものたちであった。
だが、逆にいえばそれしか問題がないとも言える。
そういったものにメッポウ強い男が、幸いにも牧場にいるのだ。
治療魔法を自在に使いこなす、キョウジである。
本来ならば治療不可能な大怪我や病も一瞬で治してしまう変態的出力の治療魔法により、ゴブリン達は健康な体を取戻したのだ。
そうなってしまえば、人間よりもはるかに体力があるゴブリン達は、素晴らしい労働力になった。
新しい労働力を得たことにより、ケンイチの牧場は一気に大きくなっていったのである。
三人目の日本人、ミツバのステータスに書かれていた能力は「超身体能力」であった。
要するに、圧倒的な腕力と、同じく圧倒的な頑丈さを得られるというものらしい。
その余りに危険な能力と当人の性格を考慮され、ミツバはハンスの従者になることになった。
手伝いをさせながら監視も出来る、一石二鳥の方法だ。
まるで化け物のようなパワーを誇るミツバは、それまでハンスが行っていた街の力仕事のほぼすべてを肩代わりした。
ただ、当人の性格のせいか、仕事はものすごく大雑把だ。
結局ハンスが監督しなければどうしようもない。
それでも労働力にはなること、街の人たちから信頼されているハンスと一緒に居ることから、ミツバはすぐに街に溶け込んで行った。
ゴブリン達がケンイチの牧場を手伝い、ミツバがハンスの従者になってから、数ヶ月。
どちらも街に溶け込み、安定した生活を送る事ができるようになっていた。
そんな生活の中で、ミツバはハンスに対して、ある疑問を持つ。
早速本人に聞いてみたのだが、返事はなしのつぶてだ。
仕方なく、ミツバは他に頼りになりそうな質問相手を探す事にした。
そこで見つけたのは、同じ日本出身者のケンイチ、キョウジの二人だ。
早速二人にぶつけられた疑問は、次のようなものだった。
「なんでうちの騎士団にはかっこいい名前がないんすかっ!!」
ミツバの中で騎士団というのは、なんか騎士がいる集団の事だった。
だからハンスとミツバの二人も何かしらの名前が付いていると思っていたのだ。
ちょうかっこいいきしだんのなまえをなのりたい。
そんな小学生並みの願望がミツバを支配していたのである。
しかし、ミツバのそんな勘違いは、治療師として街中を回る傍ら、様々な情報を蓄積した知恵袋キョウジによって打ち砕かれた。
彼らが住むこの国で、騎士とは「一騎当千の戦闘能力を有する人物」に与えられる称号なのだという。
魔法という力を個人で行使できるこの世界では、持つものと持たざるものの間に途轍もない差が生まれるのだ。
ハンスは魔法で相手を攻撃する才能は無いものの、自分の体を強化する魔法技術においては国内でも屈指の実力を持っているのだという。
そして、この国において騎士団とは、そういった途轍もない戦闘力を持つ人間を集めた特殊部隊のことを言うのだとか。
「それに、ハンスさんの場合家の事情もあるしね」
そういってキョウジが語ったのは、ハンスの出自についてだった。
ハンスは、この国で王家に次ぐ権力を持つ、公爵家の五男坊なのだという。
継承権も無く、上にも何人もの兄がいたため、ハンスに求められたのは元来の家風に無い分野への進出だった。
ハンスの実家であるスエラー公爵家は、文官の家系だ。
軍事分野に影響力を持っていなかった公爵家は、ハンスを軍部に送り込む事で、影響力を強めようとした。
ハンスは公爵家の思惑通り、メキメキと頭角を現していく。
騎士称号を得ただけではなく、それらの一部隊を束ねる騎士団長にまで上り詰めた。
騎士団長といえば、中堅貴族と同じほどの影響力を持つ要職だ。
予想を超える出世に、公爵家はハンスを危険視するようになる。
つまり、家を乗っ取るのではないかと考え始めたのだ。
丁度その頃始まった戦争は、公爵家にある解決方法を与えた。
それはハンスを戦争に送り込み、活躍させた後、戦死してもらおうというものだ。
しかし、ここでもハンスは予想外の功績を挙げ続けた。
戦死するどころか、相手の将軍の首を幾つも上げ、ついには敵総大将の首を取ってしまったのだ。
ケチのつけようが無い、大金星である。
慣習により、戦争で功績を挙げたものには王との謁見が許され、願いを一つ聞き届けられる事になっていた。
戦々恐々とする公爵家を尻目にハンスが王に願った事。
それは、何の影響力も無い地方の閑職、地方騎士としてこの土地に赴任する事だった。
ハンスは地位や名誉よりも、穏やかで落ち着いた生活を望んだのだ。
「そ、そんな……ハンス団長にそんな過去があったんすか!」
「ただの気のいいおにーちゃんにしか見えねぇーのになぁ。見かけによらねーわぁ」
感心した様子のミツバとケンイチを前に、キョウジはこんな事を呟く。
「自警団ぐらいはあってもいいんじゃないかなぁ、とは思うけどね」
キョウジ曰く、ハンスは働きすぎなのだという。
最近はミツバがいるから肉体労働は減ったものの、それでもこの広い地方にハンス一人しか公務員がいないというのは、余りにも過酷だ。
このままではハンスが体を壊してしまう。
そう考えたケンイチとミツバは、キョウジに解決方法を考えるように詰め寄った。
二人は基本的に物事を考えるのが苦手な人種だったのだ。
そこでキョウジが提案したのは、ゴブリン達に自警団になってもらう、というものだった。
通常の人間よりはるかに筋力に優れ、尚且つ街にも溶け込んでいる彼らなら、十二分に役に立ってくれるだろうと考えたのだ。
そこで、三人の話を聞いていたらしいゴブリン達がなでれこんできた。
彼らは、その自警団をぜひやりたいというのだ。
なんでも、彼らもハンスにはたいへん世話になったらしい。
ゴブリンやオークは、実はこの国では奴隷などにされる種族なのだという。
それだけに街の人々からは偏見の目が向けられていたのだが、ハンスは自分が間に立つことでそれを解消してくれたというのだ。
それに加え、彼らの宗教的な誇りである、「首飾り」と「墓石」まで用意してくれたのだとか。
その恩に報いるためにも、ゴブリン達はハンスの役に立ちたいというのである。
本来なら、兵力を蓄えるような行為は、実家との兼ね合いでこ法度である。
しかし、ゴブリン達は人間とは見られないことも多く、「兵力」して捉えられることが少ない。
自警団は結成できるし、ハンスの実家にも目を付けられずにすむ。
ゴブリン達が自警団を結成するのは、実に良い方法だったのだ。
とはいえ、集団を作る事には変わりなく、ハンスの実家である公爵家が難癖をつけてくる恐れが0というわけではなかった。
そこで、
「そうだ! 自分にいい考えがあるっす!」
ミツバの会心のアイディアが炸裂した。
「そんなわけで自衛隊を結成することになったっす、ハンス隊長!!」
そう、自分達を自衛を目的とした平和維持組織、自衛隊と名乗る事にしたのだ。
自衛隊は軍隊ではないので、軍備を整えているなどとして危険視されることは無い。
この世界にそういう概念が通じるかは分からないが、世の中我の強いやつが押し切れば意外とどうにかなるものなのだ。
ちなみに、ハンスには通じなかったらしい。
ようするに自警団的なものであるとことは伝わったのだが、すこぶる反応は悪かった。
もっとも、ハンスの事情を考えれば無理からぬ事だろう。
そんなものは要らないと主張するハンスだったが、世の中我の強いやつには勝てないことも多いのだ。
ミツバはそのままテンションで押し切り、自衛隊を結成してしまったのである。
頭を抱えるハンスに、追い討ちをかける事件が起きた。
一人の老人が、ハンスのもとを訪ねてきたのだ。
「散歩をしていましたら、知らぬ間に山の中に迷い込んでしまったようでしてねぇ。静岡というところに戻りたいのですが」
そう、四人目の日本人の襲来である。
老人の名前は、「フジタ・コウシロウ」といった。
四人目ともなれば馴れたもので、手早くここが異世界であるという説明をはじめる。
年齢的なこともあり理解が困難かとも思われたのだが、そこは思いのほかスムーズに話が進んだ。
なんでも、昔から映画などが好きだったのだそうで、そういったものに理解があったようなである。
ゴブリン達やケンイチが連れている魔獣を目にしたのも、理解を手伝う一旦を担っただろう。
説明が終わったところで、早速能力が確認をする事になった。
これまでの流れを考えるに、必ず何かしらの特殊な力を得ているだろうと思われたからだ。
脳内の自分にしか見えないステータス欄を開くという方法で確認されたそれは、「千里眼」というものだった。
早速いくつかのテストで、その性能を確かめる事になる。
その結果分かった「千里眼」の能力は、ハンスを驚愕させるのに十分なものであった。
透視、遠視はもちろん、360度の死角の無い視界に、暗視、本来目に見えないはずのものを見通す。
遠くにある失せ物を見つける、などの認識していないものを見つける能力こそ無かったものの、一度捕捉すれば絶対に見失わない。
有効範囲は数百キロにおよび、精密さや信頼度は地球のレーダーや衛星カメラにも匹敵する。
こうなってくると、もはや能力そのものが兵器となりうるだろう。
千里眼という魔法能力を持つものはハンスの国にも何人かいるが、コウシロウのものはそれらとも大きく一線を画していた。
頭の回る人間が使えば、国同士のパワーバランスを破壊するほどの能力だ。
余りの事に押し黙るハンスとキョウジをよそに、ケンイチとミツバは初めて見聞きする能力に、大はしゃぎだった。
二人が色々とコウシロウから話を聞くうち、話は地球でのコウシロウの仕事についてになる。
そこで、思わぬ事実が分かった。
コウシロウは、静岡で料理人をしていたというのだ。
その瞬間、日本人達の顔つきが変わった。
先ほどまで絶望に打ちひしがれた顔をしていたキョウジさえ、その顔を肉食獣のようなものに変化させる。
「なぁ、コウシロウさん。まさかとは思うんだけど、みそとかしょうゆの作り方とか、しんねぇー?」
「手作りでいいんす! 代用品でもいいんす!」
「慎重に、慎重に答えてくださいね。こう、大昔に聞きかじったとかで構わないんですよ」
日本人達は、味噌と醤油に飢えていたのだ。
自ら進んでそれから離れる道を選んだのならばともかく、彼らは気が付いたら日本から離れたこの世界に来ていたのである。
その味に、未練がごっそり残っていたのだ。
それに対して、コウシロウの答えは。
「ええ。味噌も醤油も、作っていましたよ。いろいろとやってみるのが趣味でしてねぇ」
歓声が上がった。
悲鳴にも近い歓声である。
この騒ぎでコウシロウの千里眼への恐怖はうやむやになり、日本人達の思考は「いかにして味噌と醤油をつくるか」にシフトした。
日本人というのは、食に関しては妥協を許さない民族である。
その勢いは、異世界の元凄腕騎士ハンスをも、圧倒するレベルだったのだ。
コウシロウが街にやってきてから、数ヶ月。
街に、一軒の食堂が開店していた。
ケンイチとキョウジの共同出資により作られた、コウシロウの店だ。
ケンイチから日々新鮮な肉が入り、周囲の農村から野菜などが仕入れられる最高の立地条件を持つ店である。
その実体は、味噌と醤油をコウシロウに作ってもらうために、ケンイチとキョウジが無理矢理作った研究所兼用の店であった。
試作品は順調なようで、近々それらが口にできるようになる日も近いのだとか。
ハンスはちょくちょく顔を見せ、食事を楽しんでいた。
端的にいって、コウシロウの腕は超一流だ。
貴族の抱えどころか、王城のシェフとして働いていたとしてもおかしくない腕だとハンスは思っていた。
実際にそういったものが作った料理を食べ事もある、貴族のボンボンであるハンスの評価であるから、まず間違いないだろう。
一見順調そうに見えるコウシロウの店だったが、ハンスにはどうしても分からない事があった。
悩んだ末、助っ人に頼ることにする。
選ばれたのはケンイチだった。
ハンスの疑問。
それは、
「なぜコウシロウの外見が若返ってきているのか」
であった。
そう、どういうわけがコウシロウは、どんどん外見が若返ってきていたのだ。
とりあえず日本人が緊急招集されたが、若干二名は役に立たなかった。
毎日品物をおろしに行っているケンイチは、細かいことを気にしない性格だった。
毎日ご飯を食べに行っていたミツバも、細かい事は一切気にしない性格だった。
要するにこの二人は、コウシロウの変化に一切気が付いていなかったのだ。
ある意味、脳筋という言葉では収まらないほどの逸材といえるかもしれない。
とにかく役に立ちそうなのはキョウジだけだけであり、ハンスとコウシロウとが考え、一つの結論が出た。
それは、「自分達が持たされた特殊能力に関係するものだろう」という事である。
元々持っていない能力を付けられているわけだから、体に手を加えられているのは間違いない。
ならば、そういう変化が起こったとしてもおかしくないだろう。
それに加え、キョウジは独自に調べた事に基づいたことをコウシロウに質問する。
内容は、初めてステータス欄を見たときと現在のステータス欄に、違いは無いか、というものだった。
コウシロウが応えた言葉を聞いたキョウジは、ある結論を導き出す。
「おそらく、老化は状態異常としてステータスで分類されたんです」
現在の彼らの体は、毒や麻痺、怪我などに対して、非常に高い抵抗力を持っているのだという。
それはある種異常なほどで、恐らく老化も「ステータス異常」として回復させられたのではないか、というのだ。
にわかには信じがたい話だが、日本人たちの能力を見る限り、いまさらの話しだろう。
若返って困る事など、どうせこの世界の異物であるコウシロウにはないのだ。
これ以上のことは専門家でもない限り分からないだろうという結論になり、話はコウシロウの過去の事に飛ぶ。
「そうですねぇ。昔は建物の上やなんかから、よく撃っていたものですよ。日本に居辛くなって、余所で傭兵なんかをしたりしてねぇ。そこで、料理を覚えたんですが。人生、何が役に立つかわかりませんねぇ」
ぽろっと出た言葉に、キョウジは戦慄した。
どうやらコウシロウは、狙撃手とかスナイパーとか、そんなような仕事をしていたようだったのだ。
軍人であり、つい先日まで戦場にいたハンスは、驚くどころか納得をしていた。
どうやらコウシロウからは、そういう類のにおいのようなものがしていたらしいのだ。
若干二名のおアホさんな日本人は、ひたすらに「すっげー!」といって喜んでいた。
「いいんだ。ここは日本じゃないからいいんだ」
キョウジはひたすら、呪詛のようにそう呟き続けるのであった。
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