最近、「C」とかいうアニメを見ようかと考える時があるが見ない。
その世界で、ありとあらゆるものに恵まれずに負ける人間が存在すると思うと気が進まない。
公式ページの「しょせん金は金か、あるいはそれ以上のものか」という言葉には非常に考えさせられるものだ。
自分は生まれた時から親の年収が高かったのに、どうしてこんなにも劣るのだろうかというのは感じるものだ。
マスメディアが「取り上げてくださった」と喜んでいる人たちがいる。
結局、結婚ができる容姿がいい女性の「保育園に入りたい」というのは多数派にウケがいいということでしかない。
「少子化問題」、「女性の活躍」という錦の御旗を掲げ「しょせんは金で解決する」ことを何処までも駄々をこねるのだろう。
「キャリア」なんて「金」でどうにかなる。
自分のひどいにきび跡まみれの皮膚に対して、あまりよい手立てがなさそうなのだ。
そして、もっと早くこの病院に来れば別の内臓の治療を早めに受けることができたかもしれない。
マトモな皮膚でいることができたかもしれないのだ。
待合室を見渡すと勝ち組の容姿のいい妊婦と「どうにもならない子」とその親が待合室にいたりと混沌としている。
「保育園」のお話は「マトモな容姿の母」と「マトモで健康な子供」のためのお話だ。
もうすこし、金でどうにもならないことを騒げ。
呆らめたら、もっと嫌になる。