~インタビュー学生時代編~
かっこわるい自分しか見たことないね。
生き抜くために必死で穴場を探してから!
でも、たくさんの壁を乗り越えてきた自信はあるよ。ー佐藤絵梨
カメライターのかさこさんがセルフマガジンで自己紹介を「自作自演インタビュー」にしていたのでマネてみました。
言いにくいエピソードを語りたい時に使えるんでおススメです
(著者は中央左:ブロガーで飲みに行きました)
~簡単な略歴~
平成元年生まれ、現在26才
アスペルガー症候群、軽度のADHD
生涯のテーマは「表現」です
ものつくりが好きで4才あたりから書いたり描いたりしてました。
疑問だらけでいつも「なんで?」と聞いては周りの大人を困らせてました。
中学時代に「学力では勝負できない」と気づいて小論文の練習をはじめます。
これが大ハマり
今こうしてブログを書いているのも、当時の疑問を発信したい欲が後押ししてます。
大学時代は就活のときに自律神経失調症になって新卒入社を断念します。
リハビリで接客のバイトをするけどぶりかえして3か月で退職
1年間無職をすると人生の一大決心
「セーフティーネットは自分で作る!ボーナスも年金も退職金もいらない!」
ってお金への考え方や社会保障の勉強をはじめます
マネー本なんて読んだことがないし難しそうだから避けていたけど人生の転機になりました
しかし!
せっかく復帰した事務のバイトを業績不振で3か月クビに!
そのあとは合わないとわかっていた他社の事務のバイトをやります
ダメな理由はどこの会社でも同じでこれが原因で8か月後退職します
・毎日同じ場所に通って座って作業
・書類作成1枚に20分かかる
・雑談が苦手
このころかかりつけの病院にアスペルガーとADHDを診断されます
「今までの生きづらさはこれだったんだ!」ともやがとれました!
それから自分の特性と仕事の特徴をマインド帳に書いてそれに沿った職種をひたすら探すこと数か月後、2社から内定をいただき今に至ります
それではインタビュースタート~
ー小さい頃はどんな子だった?
サトエリ:まともにしゃべれなくて幼稚園の年少クラスの面接が受けられなかったらしいです。あーとかうーしか話せない
そいで、高校まで自分のことを「わたし」って言えなかったね。
アイデンティティを隠して自己主張したくても言い方がわかんない子だったから。
家や学校でも「んんは(絵梨は)」って言ってました。
テンションも話し方、考え方がクラスメイトと違ってたみたいで。
わたしはそのままでいるだけなのにねー
早い段階でからからかわれて大人がいつも助けてくれました。
ー小学校はどうだった?
サトエリ:突出して存在感があったわけじゃないね。
自己主張しきれなくてリーダー格の友達にうまく使われるタイプ。
みんなと仲良くしないといけない強迫観念があって八方美人でした。
ずっと慢性的な孤独感がいつもありました。
友達何人いるかリストを作って、この子に嫌われたくないからこの発言は避けようってのをメモしてたら…自己主張できなくなちゃったよwww
自慢なのはよく賞を取ってたこと!
人権作文、標語、工作とかはわたしの18番
図工の時間が大好きで他の子が悩んでる中、ひとりで職人のようにつくってて授業内にに2、3個仕上げてました!
家ではさくらももこみたいな漫画家目指しててずっとイラスト書いてました~
クラスの子に自分が考えたキャラクター20体を自慢したり。
「ジョイフル本田くん」や「ダメダメくん」ってキャラを誕生させて、飲酒運転を楽しむ曲を作ったり。
(※本田くんは魔女って設定ですが色々なコスプレを着せてました)
(※小5のときフリマでちびまる子ちゃんとの衝撃の出会いを果たす)
図工以外の成績は「ふつう」がダントツで多かったんですよ…
毎年終業式の後に「よいは何個あった?」って聞かれて答えられなかったね(笑)
ー中学校はどうだった?
サトエリ:ヒエラルキーでいうC軍。何をされても嫌って言えませでした
孤独感がどんどん大きくなって当時の写真も暗~~いの
周りと波長が合わないならひとりでいればいいのに、金魚のフンみたいに友達にくっついてました
毎日、友達関係で悩んでて明日の昼休みに絶交されたらどうしようってビクビクしてたよ…オヨヨ
休み時間の10分間にひとりでいると「友達がいない人」って思われてたら嫌だ!
ヒマになるのが嫌でずっと机の中整理したり、物の位置をそろえてた
ホント、何回整えんねん!!
あと、イジメられっ子でしたね
学生時代の中で一番勉強に手がつかなかった。
自分がいじめられている最中に、一緒にいる友達の悪口を色んな人に言いふらして申し訳ないことしたよ。
ー何かいいきっかけはあった?
高校時代に2つの転機があった!確実に今の自分をつくってます
大学受験対策に小論文をはじめたこと、映画監督になりたくて監督のセミナーに行ったこと
中学の時に「学力では勝負できない」って気づいてよかったです
その講師が「今日から映画のネタを1つ書きましょう」と言ってから10年間、ずーっとネタ帳を書いてるよ。
最初は意見とか嫌!って言えなかった悔しさもあって、そのうち表現をするのが好きな気持ちを取り戻した。
まず映画のタイトル、セリフからだんだん慣れてきて広告のキャッチコピー、内省、日記に変わっていきました
最終的には「生きテク」(生きるテクニック)として辛い自分を癒すためのネタ帳にしてました。
ー大学生活はどうだった?
サトエリ:外から見るとキラキラ、中身はボロボロ
よく言われてたんだよ友達に「サトエリっていつも元気でキラキラしてて色々なことをやってるね」って。
今までの学生時代にすんごい後悔してたから大学時代ははっちゃけようって毎日バリバリ動いてました!
でもテンションも異様なほど高かったのも「組織に同じキャラはいらない。自虐キャラでも演じなくては誰も仲良くなってくれない」って思ってたからだいぶ無理してたなー
行事で芸人のマネをしてひと笑いさせて学内で知らない人から声をかけられることもよくあった。
不手際だけど飲み会の幹事もやってたし。
存在感のためにあらゆる場面で女を捨ててました
そういう無理なキャラを演じてアイデンティティが崩壊していったよ
冗談抜きで本当に辛かったし一番の黒歴史
勉強にサークルにゼミもバイトもそつなくこなしたかったな
でも大人になってから黙っていても色んな人が話しかけてくれるから、
そのままでもキャラって出るもんだし「個性的な自分」を演じなくてよくなった!
ー就職活動はどうだった?
サトエリ:実は入学して3日目からメディア系目指して就活してました!
マスコミ就活読本からマスコミ電話帳、他業界の大中小企業を調べまくって…
先輩に「もっと大学生活を楽しみなさい!」って指摘されて中断しました
本当はさ新卒で働く自分なんて想像できなかったんだ
んで、大学3年の就活中に朝ベッドから全く動けなくなっておかしさに気づいたんです。
初めてメンタルクリニック行ったら自律神経失調症って診断されまして。
そっからは半年くらい自殺衝動との戦いでした
「自分は誰からも愛されないダメ人間なんだ」って泣きながら体中に赤いボールペンで
戒めの言葉を書いて僧侶かって(笑)
ボールペンで壁をガリガリして、しょっちゅう唇の皮をむいてたねー
(※イメージ図・利き腕が右なので左腕と右ももによく書いてた)
念を押して言っとくけどリストカットだけは絶対にしなかった!
でもくちびるの皮をむくのも同じ行為なのが調べて分かって止められた
当然就活を断念すると思いきや「無職なんて底辺がなるものだ!絶対に仕事で成功するんだ!意地でも新卒で入るぞ!」って粘っちゃって。
ジリジリと体重が減って間違いなく死ぬか生きるかの状態なのに。
あと1キロ体重が減ったら休学しようって決めてたくらい
卒業したら絶対になりたくなかった無職になって絶望したよ。
oh my godじゃすまないから。
そいで、3か月ほど砂漠でリクスー来た同級生がトロッコに運ばれる夢を見ては起き上がってたよ!これ映像化したいね(笑)
↓無職になった経緯と生活はこちら
学生時代編はここまで次は社会人編に進みます
( 聞き手:佐藤絵梨 自作自演インタビュー)