撮影/篠塚ようこ
撮影/篠塚ようこ
資生堂、ユニクロ、日産など、数々のCM音楽やナレーションを担当し、「声のCM女王」とも称される土岐麻子さん。バンドに夢中になった10代から、大学時代にメジャーデビューすることに至った青春時代を振り返る。(文 中津海麻子)
――小さいころの音楽の思い出は?
家では父(ジャズサックス奏者の土岐英史さん)がいつもソウルやジャズのレコードをかけていて、子どものころは、音楽は「暮らしの中にあるもの」という感じでした。
小学校に上がると「オレたちひょうきん族」に夢中になりました。山下達郎さんの曲など必ずおしゃれな歌が流れ、これから土曜の夜が始まるワクワク感があって。私は子どもだから寝なくちゃいけない。でも、きっと大人はこれから街に繰り出すんだろうな……。そんな妄想に掻き立てられ、憧れました。「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」など歌番組もよく見ていました。アイドルでは斉藤由貴さんや工藤静香さんが好きで、「Mugo・ん…色っぽい」なんかを真似して歌っていましたね。
――自分で演奏するようになったのは?
中学2年からです。「いか天」や「ホコ天」などバンドブームが巻き起こっていて、「私もああいうことがやりたい!」と、女子校のクラスメートを誘い、女の子バンドを結成しました。当時、楽器も持ってなかったし弾けませんでしたが、「ギターをやる」と決めていました。
最初はレベッカを、そのあと、大好きなすかんち、筋肉少女帯、ユニコーン、プリンセス プリンセスといった、日本のロックバンドのコピーをやりました。とにかく楽しかった。すごく下手なんだけど、それでもみんなで演奏していると、「あ、今バチっときた!」と感じる瞬間があって。
2歳からクラシックバレエをしていたのですが、みんなで踊るときは決められた振り付けどおりに動かなきゃいけない。バレエとはそうやって見せていくものですが、バンドの場合はそれぞれが自分の演奏をしながら一つのところを目指していく。これは新しい楽しさだぞ、と感動したことを覚えています。
――お披露目の場はあったのですか?
高校生になると学園祭や、週末にライブハウスの昼の部に出たりしました。ライブハウスは、最初は友だちも家族も誘わず「記念に出よう」と。対バン形式で、相手のバンドのお客さんがたくさんいるところで演奏しました。これが本当に楽しかった。午前中にライブハウスに入ってサウンドチェックし、おそろいのステージ衣装をハンガーにかけて、本番までの休憩時間にコンビニでパン買ってきて……その時間が、とても幸せだったことを覚えています。私が好きなバンドの人たちってこういう生活をしてるのか、こういうことを仕事にしているんだな、と、その時強烈に憧れたんですね。でも、「プロを目指したい」なんて気恥ずかしいし、ギターも下手くそ。とても口には出せなかったんですけど。
――当時はどんな音楽を聴いていましたか?
好きなバンドは常に2つか3つと、結構狭かったですね。で、たとえばすかんちのROLLYさんが「T・レックスやトーキングヘッズに影響を受けた」とか「元ネタはこの曲」とか雑誌で明かしてくれると、それを律義に1枚1枚近くのレンタルCD屋さんで借りてきて聴いたりしていました。好きなバンドを理解するために彼らが好きな音楽を聴いていた。正直そのときは洋楽の良さはそこまではわからなかったのですが、2年、3年と聴き続けていくうちにある日突然「かっこいい!」と気づいたり。じわじわと血となり肉となっていきました。
――高校卒業後は早稲田大学に進学されます。
実は、早稲田のバンドサークルに入りたくて早稲田を目指したんです。当時は聖飢魔IIを輩出した有名なサークルや、真心ブラザーズが所属していたサークルなど、バンドブームということもあってたくさんのサークルがありました。どこにしようかと、あるバンドサークルの新歓ライブへ。その最後にすごくギターが上手な男の先輩が登場したんです。「ここに入りたい」と即決しました。それがギタリストの八橋義幸さんだったのです。でも、実はその時八橋さんはすでに卒業されていて、学生時代に関わることは全くありませんでした。つい数年前に一緒にライブができて、ようやく夢がかないました。
学生時代にサークル間の交流で知り合ったミュージシャンは結構いて。たとえば、ノーナ・リーブスなどとは今もつながっています。勉強はぜんぜんしなかったし、留年までしちゃったし、大学には本当に人に出会うために入ったんだな、って(笑)。思い切り人生のモラトリアム期間でした。
――学生時代にバンドCymbals(シンバルズ)を結成します。
大学3年のとき、突然サークルの先輩から「ボーカルやらない?」と誘われました。私はギターをやっていたので「なんてこと言うんだ?」と思いましたが、たまたま私が歌ったデモを先輩が聴いたようで。もっと歌がうまい人はたくさんいるし、そのとき私は就活を始めようとしたところだったので、断りました。すると先輩がこう言ってくれたのです。「うまいとか下手とかはどうでもいい。センスの合う人とバンドをやりたいんだ」
ハッとしました。演奏や歌がうまいという技術的なことではなく、私の雰囲気や私が選ぶものを評価してくれたのがすごくうれしかった。サークルでは発表会のたびにメンバーをチェンジしたりするのが当たり前で、私の代わりなんていくらでもいると思っていたんです。それが、ギターやボーカルというパートが欲しいのではなく、「土岐さんがほしい」と言ってくれた。そんなふうに言ってくれるのなら、半分は先輩に任せて楽しんでみよう。そう思い、バンドに参加することにしたのです。
とはいえ、ライブをするでもなく、年に数曲作ってはそれを先輩の家で宅録する、ぐらいの活動でした。夜中に大きな声を出せないので、ボーカル入れも小声でボソボソと(笑)。でも、そのボソボソで私の今の声のスタイルができたような気がしていて。マイクを通したその声がおもしろくて、何本か重ねたり透明感を出してみたり、そんな音作りにはまりました。
――就活も進めていたんですか?
そうなんです。「テレビ業界の、制作の、バラエティーの、しかもお笑い」と、思いっきり絞って活動していました。テレビ局を受けるときは、「どこにでも行きます、なんでもやります」と言わなければいけなかったようなのですが、そんなウソはどうしてもつけない!(笑) 結局テレビ局は全敗し、制作会社を目指すことに。ある会社に面接に行くと、「うち、お笑いやってないよ」と言われたので、「だからやりたいんです、私が!」と。若いってすごいですよね(笑)。
――なぜ「お笑い」?
やっぱり「ひょうきん族」なんです。幼いころ、最初に粋だなと感じた番組がお笑いで、夢があると思っていました。「ひょうきん族」のエンディングテーマもそうだし、学生時代大好きだった番組「夢で逢えたら」も、ダウンタウンさんやウッチャンナンチャンさんたちがバンドのレクチャーを受けるコーナーがあったりして、私の中で「音楽とお笑い」はとても密接な関係にありました。当時、景気が悪くなってコント番組がどんどん減っていた時期でしたが、「今こそもっともっとコントを観たい!」と、私なりに次から次へと浮かぶアイデアを企画書にぶつけました。そうするうちに、一社から内定をもらうことができたのです。
――バンドと就職の選択を迫られたのですか?
それが、4月から晴れて社会人のつもりだったのが、3月に卒業できないことが発覚して(笑)。バンドばっかりやって授業もサボりまくっていたので、自業自得なのですが……。うなだれて会社に報告したら、どうやら毎年何人かはそういう人がいたようで、半年で単位を取り、それから半年間バイトとして働いて、翌年から正式入社という特別措置を認めてくれたのです。
ところが、その半年間でバンドも結構頑張っていて、なんとメジャーデビューが決まってしまったのです。バンドか就職か。どちらにしたって選ばなかったほうに迷惑がかかる。だったら、自分のやりがいを追求するしかないと考えました。
バンドを続けるには、私の中で引っかかっていることがありました。サークルの先輩後輩で上下関係のはっきりしたバンドだったので、少しやりづらいと感じた部分があったんです。そこで、「やるからには自分のやりたい音楽をバンドにぶつけていきたい。そんな私を尊重してくれるのか?」というようなことをメンバーに訴えました。私がそんなことを思っていたなんてびっくりだったようで、でも「もちろんそのつもりだよ」と受け入れてくれた。すごく怖かったけれど、バンドを選ぶ決心をしたのです。
(後編は3月18日配信予定です)
◇
土岐麻子(とき・あさこ)
1976年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1997年にCymbalsのリードシンガーとしてデビュー。2004年の解散後、父の土岐英史氏を共同プロデュースに迎えたジャズ・カバー・アルバム「STANDARDS~土岐麻子ジャズを歌う~」でソロ活動をスタート。
ユニクロ、日産ティアナのテレビCMソングなどを収録したアルバム「TOUCH」(2009年)、資生堂「エリクシール シュペリエル」CMソング「Gift ~あなたはマドンナ~」(2011年)、ジェーン・スー氏をコンセプトプロデューサーに迎えたアルバム「Bittersweet」(2015年)などをリリース。50社以上のCM音楽の歌唱やナレーション、テレビ、ラジオ番組(JFN系「TOKI CHICRADIO」)のナビゲーターも務める、“声のスペシャリスト”。2015年12月、初のエッセイ集「愛のでたらめ」(二見書房)を出版した。
土岐麻子オフィシャルサイト:http://www.tokiasako.com/
【ライブ情報】
TOKI ASAKO LIVE TOUR 2016 “Bittersweet楽屋裏”
3月16日(水)ビルボードライブ東京
3月24日(木)名古屋ブルーノート
3月29日(火)Gate's7(福岡)
3月31日(木)ビルボードライブ大阪>
4月 8日(金)PENNY LANE 24(北海道)
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