予約済み


よく晴れた、気持ちいい日だった。城の裏庭は読書にはもってこいだ。

クリフトは本を芝に置いたまま、空を眺めながらぼんやりと考えていた。アリーナ姫と婚約してからしばらく過ぎた。いまだに信じられない事実だ。しかし紛れもない現実。手を伸ばしても届かなかったはずの姫は、両手を広げればいつでも飛び込んでくる。ただその姿を見ていられればそれでいいと思っていた昔。側にいることさえ出来ればいいと、それだけを望んでいた日々。それ以上を望んでしまったあの日。……そうして今、自分は婚約者となり、堂々と姫を想っていられる贅沢な身分になった。時々、怖くなる。この幸せが。そしてそれでも尚大きくなるこの気持ちが。
 
鳥の声が空に響いていた。

――姫様と……――

 涼しい風がそよそよと頬をくすぐる。

――…………たいな……。


「なあに?何がしたいって?」

突然降ってきた声と声の主に慌てて真上を向く。

「――よっと」

木の枝に座っていたおてんば姫は軽やかに地に舞い降りた。

「姫様、危ないですよ」

一応形だけは注意するが、彼はこんなことくらい彼女にとっては造作もないことだと知っていた。

「で、あたしと何がしたいって?」
「……私、声に出してましたか……?」

クリフトは動揺を隠しきれない声で尋ね、姫がニコニコして頷くのを見るとはあ〜っと溜息をついた。

「……未熟者です、お許しください」
「許すとかそうじゃなくてね。あたしが聞きたいのは……」
「わかりました」

クリフトは手で制した。

「あの。これは断じて私ひとりの勝手な希望であって、姫様にどうこうとか」
「いいからいいから。で?」
「……今日はいいお天気です」
「うん」
「で、今日は休日です」
「うん」
「私は仕事が休みですし、姫様も、今日は王女としてのお勉強もお務めもお休みです」
「うん」
「だから……」
「だから?」
「姫様と……ふたりで……出かけられたらいいなあ……と……」
「ふたりで?」
「はい」
「ふたりだけで?」

アリーナの目が大きく見開かれた。クリフトは出すぎた望みを口にしたことを後悔した。

「……申し訳ありま」
「わ〜い!お出かけ!行こう行こう!」

クリフトの謝罪は姫のはしゃぐ声に遮られた。

「え……?」


それからアリーナはばたばたと走って城へ戻り、そしてまたバタバタと戻ってきた。

「さ、どこに行く?」
「ひ、姫様。あの、それは……」
「クリフトが誘ったんでしょ。早く行こうよ」
「しかし、そういうわけにも……」
「お父様がいいって言ったんだからいいじゃない」
「いえ、そうは言っても……ええ?陛下が?」

思いもかけない言葉にクリフトは目を丸くする。

「それは本当ですか?」
「うん。クリフトとデートしてくるね、って言ったらそうか、って言ったもん」
「……!」
「それから大臣が、婚約したのにまだふたりで出かける様子もないから心配だったって。よかったよかったって喜んでたよ」
「……!」
「ブライが夕食までには帰ってくるようにって言って、これくれた」

アリーナはキメラの翼をふたつ、差し出して見せた。

「ブ、ブライ様まで……」

キメラの翼を渡されたということは、サントハイム領内から出てもよいと許可が出たも同然。クリフトはあまりの周囲の協力体制に目眩がした。

「さ、どこに行く?」

アリーナはにこにこと微笑んだ。


********


二人はあまり目立たないように簡素な服に着替え、城を出た。なんとも変な気分である。今までは恋心を持つことさえも憚られていたのに、婚約してからはそんな自分の気遣いが馬鹿らしいほどにオープンだ。複雑な思いを抱えながらも、クリフトはとりあえず姫と二人で出かける望みが叶ったことに感謝した。

「クリフトがそんな普通の服着てるの、なんか……」
「え、変ですか?」

クリフトは白いシャツに緑の上着を羽織っていた。色彩的にはいつもとあまり代わり映えしなかったが、神官服でない彼はいつもとかなり違う雰囲気を出していた。

「変じゃないけど……。なんか違う人みたい。でも、新鮮でかっこいいわよ」

神官はひどく照れ、姫の姿に目を細めた。明るい空色のワンピースがひらひらと裾を揺らす。いつものオレンジ色もよく似合うが、綺麗な空色もアリーナをよく引き立てていた。

並んで少し歩きながら、広い場所で立ち止まる。アリーナはキメラの翼を手にしてクリフトを見上げた。瞳が「どこに行く?」と問いかけている。クリフトは少し考えた。


「ミントス?」

アリーナはクリフトが選んだ目的地に、首を傾げた。

「ええ、あそこでは私は殆ど寝ていましたから……街の様子を良く知らないんですよ」

クリフトの説明に、アリーナは「ああ」と納得した。

「そうね。あそこの街は大きかったし」

本当は他にも理由があった。あそこで高熱に苦しみ、宿屋の一室で伏せったクリフトだったが、自分のために走り回り、心配してくれた姫のいじらしさに感動した思い出の地でもあったからだ。

「じゃ、そこにいきましょ」

キメラの翼が空高く放られて、ふたりは一瞬で遠い街へと移動した。


********


街は相変わらず人で溢れていた。エンドールの城下町にはかなわないものの、活気づいて色々な人々が行き来している。

「まずどこに行きましょうか?」
「武器屋!」
「……そう来ると思いました」

クリフトはくっくっと笑った。

ふたりは武器屋をのぞいてみたが、平和になったせいなのか、あまりこれはという武具は見あたらなかった。武器屋を出たあと、道を見回すと、道具屋らしい看板がいくつもある。平和になって武器が売れなくなったので、道具や小物の商売が多くなったのだろう。同じような店に見えても、装飾品専門の店や薬草専門の店、珍品ばかりを取り扱った店など様々だ。

「さすがヒルタン商人のいる街。新しい商売が次々と展開されていますね」
「全部見よう!ねっ!」

色々な店を回り、珍しい品を手にとっては歓声を上げる。そんな姫の様子がとても可愛かった。
 
と、可愛らしい指輪がクリフトの目にとまった。淡い翠色の小さな石が、銀のリングにちょこんと載っている。

(姫様に似合いそうだな……)

あまり装飾品など身につけぬ姫であったが、母の形見である翠のピアスだけは時折つけている。そのピアスと似た感じの指輪は、シンプルだがきっとアリーナの指に似合うに違いない。

クリフトが顔を上げると、アリーナはもう戸口から体を半分出してクリフトを待っている。

「次はあそこに行こう!早く!」

もう一度指輪に視線を落として、クリフトは姫のあとに続いた。


街は店が増えた分、新たな通りができたりして広がっていた。裏道や小道なんかがそこここに出来て複雑になっている。

「なんだか喉が渇いちゃったわね」
「飲み物でも買ってきましょう」
「一緒に行く」
「いえ、私が行ってきます。姫様はここで休んでいてください」

クリフトは小道の傍らにあるベンチに姫を座らせると、小走りに道を戻った。飲み物も買うつもりだが、クリフトはどうしてもひとりで行きたい店があったのだ。


********


ベンチに座ったアリーナは、街並みを眺めながら足をぶらぶらさせていた。その様子はひどく可愛らしくて、道行く人はみなちらちらと眺めてしまう。実際アリーナは美しかった。少女というには大人っぽく。大人というにはまだ少しあどけなくて。王室用の豪華なドレスなど着ていなくとも、十分に可憐だった。そう、このおてんば姫がとてつもなく強いのだということなど、微塵も感じさせぬ程。

突然目の前に色鮮やかなジュースを差し出され、アリーナは笑顔で顔を上げた。しかし瞳に映ったのは予想していた微笑みではなく。

「……誰?」

目の前に立つ3人の男達に、アリーナは見覚えがなかった。少し日に焼けてがっしりした男。長髪を気障にかきあげる男。派手な赤いシャツを着た男。

「俺達、この街で観光客相手にガイドやってるんだ」

アリーナの手にジュースを渡すと、日焼けの男が爽やかに言った。

「これは俺達からのサービス。今日は暑いだろう?」
「へえ。どうもありがとう」

アリーナは渡された飲み物をこくこくと喉に流す。

「美味しい」

にっこり微笑むと、男達は顔を見合わせて笑った。魔物の気配には鋭いアリーナだったが、なにぶん温室育ちで世間知らず。人を疑うことを知らない。

「ねえ、俺達がガイドしてやるよ」
「ありがとう。でも、連れがいるから」
「へえ?こんなとこに彼女をひとりおいてくような?」
「……飲み物を買いに行ってるのよ」
「にしちゃあちょっと遅いんじゃないかなあ」

確かにクリフトは少し遅かった。

「でも、ここで待ってるって約束したから」

しかし、男達は強引にアリーナの手を取った。

「さあ、行こう行こう」
「ちょ、ちょっと放してよ」

アリーナは手をふりほどこうとしたが、力が入らない。

(あれ……?)

3人の男に手を引かれ、アリーナは街はずれへと姿を消した。


********


クリフトは小走りにアリーナの元へ急いでいた。あまり速く走ると手に持った飲み物がこぼれてしまう。

「遅くなってしまったな。姫様、待ちくたびれてしまっただろうか……」

姫の座っているはずのベンチに戻ってみると、彼女の姿はない。

「姫様……?」

待つのに飽きて、どこかに行ってしまったのだろうか。クリフトは近くの店を回ったが、どこにもアリーナの姿はなかった。

「ちょいとお兄さん」

花屋の店先から、中年の女主人が声をかける。

「ひょっとしてあんた、巻き毛の可愛らしいお嬢さんを捜してるのかい」
「ええ。ご存じですか?」
「その娘なら、なんだかちゃらちゃらした男3人と町はずれの方に歩いていったよ。なんだか娘さんはぐったりしてたねえ。てっきり具合が悪いから男達に支えられてるのかと思ったんだけど」

女主人は腕を組んで眉をひそめた。

「今思うとなんか様子が変だったねえ。……やっぱり、あの連中……。娘さんが大変なめにあってなきゃいいけど」
「ど、どういうことですか?」
「うちの娘がコナンベリーに嫁いだんだけどさ。最近若い娘に声をかけては悪さをする奴らが頻繁に出回ってるらしいよ。コナンベリーで大分顔を知られちまったから、そのうちミントスに現れるんじゃないかって、うちの娘は言ってたんだけど……」

クリフトはさっと顔をこわばらせると、女主人に礼をし、走り出した。


********


人気のない、路地裏。街のにぎわいもここまでは聞こえない。

「……あたしを、どうするつもり?」

アリーナは3人を精一杯睨み付けて言った。男達はにやにやと薄笑いを浮かべる。

「どうするもこうするも。なあ」
「ああ。かわいがってやるだけだよ」

アリーナは手を放されると、立っていることも出来ずにへたりこんだ。

「……っ。どうして……」

全身に力が入らない。いつもの自分ならばこんな輩、ひと蹴りでやっつけられるのに。

「さっきのジュース、美味しかったろう?」
「なんてったって、特製毒蛾の粉入りジュースだからな」
「……!」
「大丈夫。ほんのちょっとしか入れてないから。数時間もしたら、元に戻るよ」
「そうそう、俺達、優しいからな」
「それにしても、たいした上玉だぜ」

長髪男がアリーナの顎に手をかけ、上を向かせる。

「……美しい。まるで王女様だな」
「やめて」

魔物と戦う時には感じたことのない恐怖がアリーナを襲う。魔物に攻撃される方がずっとマシだ。

「黙って大人しくしてな」
「……いや……クリフト!クリフト!!」

アリーナの目の前にあった長髪男の顔は、突然後方へぐいと下がった。顔を上げると、長髪男の襟首を掴んだクリフトが立っている。これまでに見たことのない、すさまじい目をしながら。

「姫様、この者達になにかされましたか?」

口から出た声は聞いたこともないくらい重くて恐ろしい。アリーナはふるふると首を振った。

「よかった……」

クリフトは安堵の溜息をもらすと、襟首を掴まれたままの長髪男と後ずさりをはじめた日焼け男に言った。

「この女性は予約済みなんでね。とっとと立ち去ってもらおうか」

日焼け男は一瞬ひるんだが、向こうはひとり、こちらは3人、と算段を踏むと強気な態度に出た。

「へっ。消えるのはてめえの方だ。3対1で勝てると思ってんのか。しかもそんなひょろっとした体つきで」

男がクリフトに殴りかかった。クリフトは長髪男の襟首を放すと、日焼け男の拳を左手で受けたまま背後に回り、首に手刀をたたき込む。何といっても勇者達と共に冒険し、魔王を倒したひとりである。勇者やアリーナに力が及ばずとも、そこらの男などに負けるはずはなかった。

「姫様を怖がらせた罪は重い」

長髪男の投げたナイフを人差し指と中指で止めると投げ返した。長髪がばさりと切られ、ナイフは壁に刺さった。背後から襲いかかろうとしていた赤シャツの男の腕を、振り向きざまに掴んで捻りあげ、のど笛寸前で手刀を止める。

「……早く立ち去れ。……でないと……加減が出来なくなりそうだ」

クリフトの凄まじいまでの気迫に、男達はあたふたと逃げ出した。

「姫様!」

クリフトはアリーナに駆け寄り、怪我がないか確かめた。

「申し訳ありません、お一人にして。……怖い思いをさせてしまいました」

クリフトはアリーナの肩が震えているのを見ると、ぎゅっと抱きしめた。

「うん。……大丈夫。だって、クリフトが来てくれるって思ってたもの」
「姫様……姫様は、一生、このクリフトがお守りします」

かつてこの街で自分が病に倒れた時。たったひとりで遠い地までパデキアを探しに行ってくれた姫。自分を助けるために危険を顧みず飛び出した姫。あの時クリフトは新たに誓った。これから先、何があっても自分が姫を守るのだと。

「でも、あんな怖いクリフト、初めて見た」

アリーナはくすくす笑った。

「え?ええ?……そんなに怖かったですか?」
「うん。ちょっとびっくりした」

クリフトは困った顔をした。仮にも神官という身でありながら、やりすぎてしまっただろうか。感情に身を任せすぎただろうか。全く、普段修行を積んでいながら、アリーナのことになるとつい歯止めが利かなくなる。

「でも、あたしのために怒ってくれたんだよね。……ありがとう」

アリーナが花のように笑うから、クリフトもつられて微笑んだ。


********


満月草で身体の自由を取り戻すと、アリーナは駆けだした。今までの不自由を取り戻すかのように。

「姫様、転びますよ」
「だって……。そうだクリフト、さっきどうして遅かったの?」

クリフトは思い出すとポケットから小さな包みを取り出した。

「実は、これを買うのに手間取ってしまいまして……」
「なあに?」

包みから現れたのは小さな翠石の指輪。

「わあ、綺麗」

アリーナの右手を取ると、クリフトはそれを指にはめた。

「……よかった、ぴったりです」

指輪は元はもう少し大きかった。それをアリーナの指に合うように調整して加工してもらったため、時間がかかったのだ。

「……私からの贈り物です。受け取っていただけますか」
「勿論。ありがとう、嬉しい」

アリーナはにこっと微笑むと、指輪を天にかざした。太陽の光が反射して煌めく。

「良くお似合いですよ」
「……それで、これにはどんな効果があるの?」
「は?」

アリーナの質問の意味がわからず、クリフトは聞き返した。

「だから。祈りの指輪は魔力を戻す力があるでしょ。力の指輪は力を増幅する効果があるじゃない。この指輪は何の指輪なの?」

どうやらアリーナは戦闘用の装飾品と同じに考えているようだ。クリフトは苦笑した。

「そうですね……予約の指輪、といったところでしょうか」
「予約の指輪?」
「それをつけていると、さっきみたいな輩が近寄れなくなるんですよ」

クリフトは片目をつぶった。勿論、悪漢が近寄れないのはクリフトが目を光らせるからである。クリフトは言ってからはっと気づいた。

(それじゃ、まるっきり婚約指輪じゃないか……)

クリフトは顔を赤らめたが、婚約したのだから、丁度いいと思い直した。

(まてよ……婚約指輪にするなら、もっと高価なものを贈るべきだったかな……)

この指輪もそれなりに高価なものではあったのだが。

「クリフト、これ、大事にするね!」

アリーナが喜んでいるからよしとしよう。またいいのがあったらプレゼントすればいい。クリフトはそう結論を出し、姫と並んで街を歩き出した。


********


「お帰りなさいませ、姫様。楽しかったですか?」

大臣がニコニコと迎える。早くアリーナに結婚してもらいたい大臣はいやに協力的だ。

「うん。クリフトが指輪買ってくれた」
「ほう、指輪を」
「予約の指輪っていうのよ」

アリーナは指輪をつけた手をみんなに見せた。

「それをいうなら婚約指輪でしょう。ふむ、さすがはクリフト殿」

大臣が感心する横で、ブライは呆れ顔で呟く。

「あの朴念仁が粋なことを……。にしても、婚約指輪ならばもっと豪華な指輪を贈らんか。これでは王女の指輪にしては難ありじゃ。……金がないなら、一言相談してくれればよいものを……ブツブツ」
「まあよいではないかブライ、こういうものは気持ちが大事。アリーナにはこういう飾り気のないものの方が似合うようだしな」

王様がブライをなだめる。

このような国王達のやりとりを知らず、クリフトは教会でひとりくしゃみをした。


余談だが――数日後。アリーナはひとりでこっそり城を抜け出し、キメラの翼でミントスに行った。そして例の3人組をぼこぼこにして満足気に帰ってきたことは、密かにあとをつけていたクリフトしか知らないことだった。




ふたりのデートのお話、ということで。エンゲージリングがどうとかこうとか、そんな話になる予定ではなかったのですが。ええ、最初クリフトの贈り物は髪飾りでしたし。ところがアリーナのピアスとおそろいの方がいいかな、と思い、指輪にしたら。
「そういやあ、婚約したのに婚約指輪ももらってないよ、姫様」
などと思い始めてしまい。で、そんなこと思いながら書いてたらこんなのになりました。う〜ん。つくづくいきあたりばったりな私。うちのクリフト、悩んでばっかりですが私のイメージでは「余計な事を口にしない、凛々しい男」というのが本当で。(ほんとですってば!)なのに創作書いてみるとそんなかっこよさが出せない出せない。で、今回は意図的に彼の凛々しさを出そう!と意気込んでいたわけです。でも……出せなかった〜〜。そして、今回姫様か弱いです(笑)まあ、やられっぱなしの彼女ではありませんが(笑)


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