前記事にたくさんのコメントをいただきました。
誤解してる方がとても多い中
真意をくみ取ってくださった方もいて
とても救われました。
本当にありがとうございました。
たくさんの誤解を生み、多くの方を不快な気持ちにさせてしまったのは
私の稚拙な文章のせいでしょう。
id:numm09 さんにいただいた
心は籠ってると思うけど、センシティブな案件なんだからもうちょっと丁寧に書いた方がいいのでは
というご指摘はもっともだと思いました。
思慮が足りず浅はかだったと思います。
申し訳ありませんでした。
ただ
記事の内容については本心だし、訂正するつもりはありません。
id:ponkotukko さんがくださった
自分にどんな背景があったにせよ亡き者を殴ることの免罪符にはならないということを肝に銘じておいてください
というコメントが多くの共感を得ていたみたいですが
私は少年を責めるような内容は一切書いてません。
要は
id:redmagic1417 さんのコメントのように
どう読んだらこれが本人の責任とかそういうこと言ってるように読めるのか。人に危害を加えてはいけない、という対象に自分自身を含めるような倫理観創造ができてないって書いてあるだろ…
ってことだったんですが、誤解されてしまったのは、やっぱり私の文章力が低いせいだったのだと思います。
申し訳ありませんでした。
そしてとても多くいただいたコメント
id:vevelさんのコメントを始めとした
中学生にとって学校は自分の住む世界の全て。教師に濡れ衣を着せられそれでも家族に言わないでくれと懇願した生徒の胸中はいかほどか。そしてそれが行われる当日にいよいよ追い詰められた。「そんなこと」ではない。
本人にとっては「そんなこと」じゃないよ!!
というご意見。
これには少しだけ反論させてください。
そんなことわかってます。
そんなこともわからないで記事を書いたわけじゃありません。
だけど、私たちが少年のその気持ちに寄り添い
「そんなことじゃなかったよね」
「死ぬほど辛かったよね」
「絶望して当然だよね」
「本人にしかわからないよね」
「学校がすべてだよね」
「死ぬほど追い詰められてたんだよね」
って言ってしまうということは
少年の自殺を肯定することになるんじゃないかと思いました。
とても辛かった。死ぬほど辛かった。だから自殺した気持ちも理解できる。
自殺した人の気持ちを「そんなこと」なんて言葉で片づけるな、という意見の行き着く先は、自殺の肯定なのでは?
大人が子供の自殺を肯定していいわけがありません。
少年が抱えていた問題が、少年の命よりも重かったわけがありません。
どんな抱えきれない理不尽に遭遇しても、死んではダメなんです。
絶対に。
どんなに重く深く大きい絶望が目の前に立ちはだかったとしても
子供の命は、それ以上に重くて大切なものだ。
命の重さにに比べれば
どれほどの絶望だろうと、それは「そんなこと」です。
子供がそう思えないなら、大人である私たちが、気づかせてあげるべきです。
命の方がずっとずっと大事だということを。
死んでしまう前に。
父が亡くなったのはちょうど6年前の今日。
震災の1年前です。
父の自殺の理由は、とても深く、正直私には理解できてしまうものでした。
でもそれは、私が娘だから、少し離れたところから客観的にその死をとらえているからです。
どんな深い理由も、母を納得させるには不十分です。
どんな事情であっても、どんな思いがあってのことだとしても、父の命を何よりも大切に思っていた母にとっては、父の死にこめられた思いなんて、とるに足らない「そんなこと」なんです。
どんな思いで自殺したんだとしても、その人の命以上に、重い理由になんてなりえない。
残された当事者だからこそ、理解できないんです。
遺族のはずなのに、父の思いが理解できてしまう私は冷たいのかもしれません。
でも、一切の非のない母の苦しみを前に、亡くなった父に思いを寄せ、理解を示すことは許されないと思っています。
id:MisojKunさんにいただいたコメント
生きるか死ぬかなんて、本人が決めることであって他人がとやかくいうことではないと思うんだよね。生きてるだけで生き地獄なのかもしれないのだから。
id:houjiTさんにいただいたコメント
自分の命の価値くらい自分に決めさせろ。
私も、父だけのことを考えれば、同じ意見です。父の人生、死に方も父らしいなぁなんて思ってしまいます。死に方も含めて、父の生き方だったんだなぁと。
でも、生涯の伴侶として過ごした母には、とてもそんな風には思えるわけがない。
片腕をもがれたような、心臓半分えぐられたような苦しみの中にいる母に「父の人生なんだから好きに死なせてあげればいい」なんて、言えるわけがない。
母を見てると、自分の命って、自分だけのものじゃないのかもしれないって気持ちになる。父の命は、父1人のものではなく、半分は母のものでもあったはずだと。
だとしたらやっぱり、自分の勝手で死ぬのはよくなかった気がする。
死を選んだ人、残された人、どっちに寄り添うかで、
根本的な価値観が変わってくる問題。
本当は正直に言うと、父の自死をきっかけに
私の命に対する価値観は崩壊してるんです。
私は心のどこかで、命をものすごく軽んじてます。
自分なんて、いつ死んじゃってもいいやって気持ちが、片隅にある。
こんな狂った価値観を娘の私に残した父を恨む気持ちもあります。
それをつなぎとめて、私を生かしているのは、子供の存在。
子供がいなかったら、とっくに生きるのをやめてたかもしれない。
私の価値観は狂ってしまったけれど
子供たちには命の大切さを
自分の命は自分が思っているよりもずっと重いんだということを
自分の命は自分だけのものじゃないことを
これからも伝えていこうと思います。
それと同時に
大人としてどう振舞えば
子供が自分の命を自ら断つなんてことがおきない社会になるのか
考えていこうと思います。
少なくとも
学校を責めてるだけじゃ変えられないと思う。
まとまりませんが、この件に関しては、これでおしまいにします。
読んでくださりありがとうございました。
ねむれないさめ