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風と共にブログを綴ろう

3月11日の震災発生時あなたは何をしていましたか?

 

 

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3月11日の東京

3月11日の地震の記事が多いいなと思っていたら今日は3月11日だったんだね

あの日の記憶、たぶんそれぞれの場所でかなりの衝撃的な出来事が日常に起こったんじゃないのかなと思う

私はちょうど仕事に出ているときで自分の会社の所有する路面店に足を運んでいた

2階建ての建物にいて地震が来たなと思ったら予想以上の揺れが続いて周りのパートの方々が驚いていたのを覚えている

そこのパートのおばさんは隣の店のイケメンのお兄さんに抱きついてたな^^;

建物の中にいると危険だというのでその通りの人は皆外に出ていた

看板はがくがく揺れていて今にも落ちて来そうに、そして電信柱がしなり自分の予想を遥かに超える地震が来ている事を知った

それは地震ではなく震災と言うものなのだと肌身で私は感じたんだ

その日は地震で電車が動かなくて道は歩きで家まで帰る人が列を成して緊急避難命令が出たかの様に歩いて帰っていた

 

私はその当時郊外に住んでいて電車で1時間半以上という距離だったのでさすがに帰れる訳も無く最初は小売りの店舗で様子見して、御客さんがくる様子も無いものだから本社のビルに戻る事にした

そこは6階建ての所有ビルだったのだがそちらでも相当に揺れたそうだ

そこは営業用の商品の倉庫兼、販売も行っていて御客さんも当時いたのだが帰れなく、夜に休憩所にいったら御客さんがいたら驚いたのだが、うちの役員が帰れない御客さんを泊めて上げようと言う心遣いだった

名古屋の方から仲のいいメーカーの社長が来てて帰れないもんだから男連中はみんなで酒盛りしていた

夜は空いた階にダンボールを敷いて売り物の綿をまくらに生地を布団にして寝たのが懐かしい(幅広い商材を扱う専門商社だったので)

早朝に私は会社を出たのだが電車は新宿までしかいく事が出来なかった

新宿歌舞伎町の終電を逃した時に使うネットカフェで夕方まで待ち、やっとの事で電車に乗り込んだ。家に着いたのは翌日の夜だった

あの当時の事って場所によってはまったく感覚が違うのかもしれない

私の住む地域、都心もだが電力供給が追い付かなく街がすべて停電状態の日があった

スーパーはオイルショックさながらに皆が食料品を買い集めて必要な物資が不足していた

携帯はほパンクして繋がらなく、繋がるのは私の使っている完全に前時代のPHSだけはよく繋がって辺に会社の年配のおじさん達に感心された

 

ラジオでやっていたんだよね

さらっと津波の危険があるから海に近づかない様にっていっていたけれど地震の余波が大きな傷跡を残すなんてその時は思いもしなかった

その時はmixiが全盛の時期だったのを覚えている

マイミクの人と協力して募金を集めたり危険を回避する為の情報を発信したりしていたな

気付けば過去のものになってしまう3月11日も

誰かにとっては忘れる事の決して出来ない日なのかもしれない

あの日あなたは何をしていましたか?