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- 2016年03月11日12:00 / カテゴリ:海外の反応
- 「ヒトラー以前の時代では誰が『悪人の代名詞』だったのか」海外の反応ツイート
Comment by MumumumumumumaskMASK※元スレッドでは全体的に「ヒトラーのような悪人の代名詞」という雰囲気でしたので記事タイトルもそれに準じたものにしています。単純に「最も邪悪な人物」を挙げる書き込みも結構ありました。
ヒトラー以前、ヒトラーと比肩しうる最も邪悪な人物は誰だったのか。
reddit.com/r/AskReddit/comments/47vwce/before_hitler_who_was_the_most_evil_person_that/
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Comment by ArchaicObelisk 1653 ポイント
チンギス・カン
Comment by quin11 88 ポイント
↑チンギス・カンは人を殺し尽くしたからバグダッドから北京までならず者に襲われる心配なく歩けるくらいになった。
Comment by oyooy 51 ポイント
↑良い奴じゃないか。
Comment by Beaverbrown55 3 ポイント
↑チンギス・カンって書き込みにこのスレ開いた。
あと200人中1人はチンギス・カンの遺伝子を継いでるくらい種を仕込んだってのも凄い。
http://blogs.discovermagazine.com/gnxp/2010/08/1-in-200-men-direct-descendants-of-genghis-khan/#.VtJLqoVOnqA
Comment by NAbsentia 175 ポイント
かなり長い間ピラトは傲慢な残虐人の、イスカリオテのユダは大悪党の代名詞だった。
Comment by RobTheConqueror 1 ポイント
↑ピラトはなにも悪いことはしてない。
彼はイエスキリストを処刑したがってなかったけど無理矢理させられたってのは今では常識だと思ってたんだが。
ピラト(古典ラテン語: Pontius Pilatus (ポンティウス・ピーラートゥス)、生没年不詳)は、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督(タキトゥスによれば皇帝属領長官、在任:26年 - 36年)。新約聖書で、イエスの処刑に関与した総督として登場することで有名。
新約聖書に描かれるピラトは最初のうちイエスの処刑に消極的であった。福音書記者の証言では、ピラトがイエスの無罪を知っていたとされる(マタイ23:4、ヨハネ13:38)。
『ルカによる福音書』(23:4)には「わたしはこの男に何の罪を見いだせない」とピラトが語ったと書かれており、『ヨハネによる福音書』(19:6)には、「十字架につけろ。」と叫ぶ人々に対し、「わたしはこの男に罪を見いだせない」と述べたとあり、イエスの無実すら明言する。
ピラト
Comment by Frozen_Yonana 146 ポイント
ヘロデ大王。
いつは遠い将来に自分の地位を揺るがす可能性があるって理由でイエスキリストかもしれない無垢な赤ちゃんを大量に殺害した。
歴史的にキリスト教の都市では彼が「ヒトラーのような」人物という扱いだった。
シェイクスピアは自分の作品の中で誰かが悪人だということを言うために何度も彼の名前を使用してる。
追記:別に自分は彼が他の誰よりも悪人だったと言ってるわけじゃない。ただ500年前の人間に誰が人類史上最も悪い人間かって尋ねた場合ヘロデ大王が上位に位置するだろうってだけ。
Comment by Smallmammal 13 ポイント
↑これだろ。申し訳ないがオリバー・クロムウェルにはヘロデ大王程の悪評はなかった。
ヘロデ(ヘブライ語: הורדוס、英語: Herod、紀元前73年頃 - 紀元前4年)は、共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)である。
エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残した。だが、猜疑心が強く身内を含む多くの人間を殺害した。
なお、ヘロデがハスモン朝を母系で血を引く二人の息子を処刑した時期は、キリスト教の歴史認識において、新たな王(救世主)の誕生を恐れたヘロデ大王が二歳以下の幼児を虐殺(幼児虐殺)させた時期に相当する。キリスト教の教典である新約聖書のマタイによる福音書には、イエスと両親がエジプトに避難したという記事がある。しかし、この点については否定的な裏付けしか無く、歴史的事実とは認められない。
ヘロデ大王
Comment by deadaselvis 91 ポイント
神は洪水で地球上を洗い流して助けたのはノアとその家族と一部の動物。
これはなかなかの所業。
Comment by faecespieces 87 ポイント
ティムール
Comment by bluechipmonk 5 ポイント
↑ウズベキスタンじゃスーパーヒーローだぞ。
Comment by A_HumblePotato 9 ポイント
↑豆知識。
ソビエトが1941年に彼の墓を発掘した時「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が刻まれてるのを発見した。
偶然にもその日は人類史上最大の侵略で歴史上最悪の戦争を引き起こすことになるヒトラーの作戦が発動した日だった
ティムール(ペルシア語: تيمور Tīmūr/Taymūr, 1336年4月8日 - 1405年2月18日)は、中央アジアのモンゴル=テュルク系軍事指導者で、ティムール朝の建国者(在位:1370年4月10日 - 1405年2月18日)。
中世アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけてかつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。しばしば征服した都市で大規模な破壊と虐殺を行う一方、首都のサマルカンドと故郷のキシュ(現在のシャフリサブス歴史地区)で建設事業を行う二面性を持ち合わせていた。
1941年にソビエト連邦のミハイル・ゲラシモフらの調査隊によってグーリ・アミール廟のティムールの遺体の調査が行われた。
ティムールの棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていたが、棺の蓋は開けられて調査が実施される。さらにゲラシモフは棺の内側に文章を発見し、解読した結果「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉が現れた。調査から2日後、ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦を開始し、ソ連に侵入した。1942年11月のスターリングラード攻防戦でのソ連軍の反撃の直前に、ティムールの遺体はイスラム教式の丁重な葬礼で再埋葬された。
ティムール
Comment by OmniOmnibus 74 ポイント
スペインの異端審問官のトルケマダ
Comment by Bob9999999999999 11 ポイント
↑まさかの時にスペイン宗教裁判!(Nobody expects the Spanish Inquisition!)
Comment by _Ignatius_Reilly 4 ポイント
↑彼が殺害したのは2.000~10.000人だから時代を代表するほどの悪人ではないな・・・
もっとも彼は拷問や火あぶりを喜んでやっていたとは言われてるけど・・・ :D
トマス・デ・トルケマダ(Tomás de Torquemada、1420年 – 1498年9月16日)は15世紀スペインのドミニコ会の修道士、初代異端審問所長官。在職18年間に約8000人を焚刑に処したと伝えられる。
トマス・デ・トルケマダ
モンティ・パイソンと愉快な一行が茶化したスケッチが「スペイン宗教裁判」である。
スペインでの徹底的な検閲と、自白・改宗をしなかった際の苛烈な拷問、さらには当時の理不尽な理由により行われていた異端審問・魔女審問そのものをネタにしている。
前半では、スペイン宗教裁判の話をすると地獄耳のような3人のキリスト教徒が現れ、「Nobody expects the Spanish Inquisition!!(まさかの時にスペイン宗教裁判)」と叫びつつ、恐怖やら脅迫やら狂信やらのいきあたりばったり的な武器と罪状をひけらかす。
あまりにも適当に裁判を開く審問官と、まるでスコティッシュ訛り(名古屋弁)にしか聞こえない枢機卿Aの罪状読み上げや、「断頭台(Rack)」と間違えて「食器台(Rack)」を取り出す枢機卿Bなど、適当極まる裁判の様子をギャグにした、「Spam」と並びモンティ・パイソンの中でも屈指の知名度を誇るスケッチである。
単語記事: スペイン宗教裁判
Comment by Dr_Galio 2 ポイント
アメリカ人からするとこれはベネディクト・アーノルド
ベネディクト・アーノルド5世(英: Benedict Arnold V、1741年1月14日(ユリウス暦では1740年1月3日) - 1801年6月14日)は、アメリカ独立戦争での大陸軍将軍である。様々な戦功を挙げアメリカ合衆国の独立に大きく寄与しながらも、アメリカ側の将軍であ る時にニューヨークのウェストポイント砦でイギリス軍へのその引渡しを画策したことで知られている。この謀略が未遂に終わった後はイギリス軍に仕えた。
ベネディクト・アーノルド
Comment by TheThingsIThink 2 ポイント
アメリカ合衆国の建国の父たちはジョージ3世のことをファラオって呼び続けてた。
理由は境遇がエジプトにおけるイスラエル人と似通っていたから。
ジョージ3世(英語: George III, 1738年6月4日 – 1820年1月29日)は、イギリス・ハノーヴァー家第3代目のグレートブリテン王国国王兼アイルランド王国国王(即位:1760年10月25日 )であり、1801年1月1日に両国が合同して以降はグレートブリテン及びアイルランド連合王国国王。
アメリカ植民地への課税がきっかけでアメリカ独立戦争を招き、北アメリカの領土を失った。自分の課した重税問題や身内のスキャンダルに苦悩した上に、1811年には認知症となり、以後ウィンザーで生活、長男の王太子ジョージ4世が摂政として政務を執った。
ジョージ3世 (イギリス王)
Comment by Personality_Deficit 21 ポイント
これは間違いなくイスカリオテのユダ。
初期の社会の宗教で中心的役割を担ってる存在だし。
例えばダンテの「煉獄」では地獄の第九圏でルシファーの横にいるのがユダ。
Comment by false_cut 18 ポイント
↑厳密に言うと「煉獄」ではユダはブルートゥスやカッシウスと同じく三つある魔王の顔の一つに噛まれてる存在。
第九圏 裏切者の地獄 - 「コキュートス」(Cocytus 嘆きの川)と呼ばれる氷地獄。同心の四円に区切られ、最も重い罪、裏切を行った者が永遠に氷漬けとなっている。裏切者は首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす。
第四の円 ジュデッカ Judecca - 主人に対する裏切者 (イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダに由来する)
地獄の中心ジュデッカのさらに中心、地球の重力がすべて向かうところには、神に叛逆した堕天使のなれの果てである魔王ルチフェロ(サタン)が氷の中に永遠に幽閉されている。魔王は、かつて光輝はなはだしく最も美しい天使であったが、今は醜悪な三面の顔を持った姿となり、半身をコキュートスの氷の中に埋めていた。魔王は、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダ、カエサルを裏切ったブルートゥスとカッシウスの三人をそれぞれの口で噛み締めていた。
神曲
Comment by Mensabender 5 ポイント
自分がどこの国の人間かによって変わると思うよ。第二次世界大戦前に全世界的な「ゴドウィンの法則」が存在していたとは思わない。
ヨーロッパの人間の場合は、トルコ人の誰かってところか。
Comment by speaksonlythetruth 1 ポイント
↑いやナポレオンだろ。最も邪悪ではないにしても大半の国から最も嫌われていたのは間違いない。
ゴドウィンの法則(ゴドウィンのほうそく、Godwin's Law)は、1990年に弁護士のマイク・ゴドウィン(Mike Godwin、ウィキメディア財団の法律顧問・法務調整担当)によって提唱された、インターネット上で展開される議論に関する法則である。
“インターネット上での議論が長引けば長引くほど、ヒトラーやナチを引き合いに出すことが多くなる。”
発案者のマイク・ゴドウィンは、この法則を1994年に『WIRED』US版の記事で紹介し、広く知られるところとなった。
ゴドウィンの法則
Comment by Pimppotamus 6 ポイント
イヴァン雷帝
イヴァン4世(Иван IV Васильевич / Ivan IV Vasil'evich、1530年8月25日-1584年3月18日 / グレゴリオ暦3月28日)は、モスクワ大公(在位1533年 - 1547年)、モスクワ・ロシアの初代ツァーリ(在位1547年 - 1574年、1576年 - 1584年)。
複雑な性格の持ち主で、処刑や拷問を好むなど非常に残虐であると同時に、きわめて敬虔な一面をも持っていた。
伝説によれば、少年時代のイヴァン4世はクレムリン宮殿の塔から犬や猫を突き落とすのが趣味であり、貴族の子弟を引き連れてモスクワ市中で市民に乱暴狼藉をはたらいていたとされる。
一方で府主教マカーリーに師事して深い宗教的教養を身につけ、礼拝や巡礼を好んだという記録もある。
1565年にオプリーチニナ制度を導入して以後、アレクサンドロフ離宮で常にオプリーチニキと起居を共にしていた。
この時期にイヴァン4世の下を訪れた外国使節らの記録によれば、イヴァン4世はオプリーチニキと共に修道院を模した共同生活を送り、黒衣をまとって早朝から長時間の祈祷や時課を行い、毎夜のように生神女マリヤのイコンに祈りを捧げ、好んで鐘つき役や聖歌隊長を勤めたという。
一方、午後には処刑や拷問が行われ、イヴァン4世自身もそれに加わるのが常だった。イヴァン4世は拷問の様子を観察するのを好み、犠牲者の血がかかると興奮して叫びを上げたと記されている。
イヴァン4世
Comment by bdog59600 92 ポイント
それについての記事がここにある。
http://www.slate.com/articles/briefing/explainer/2011/10/hank_williams_jr_firing_who_was_the_rhetorical_worst_person_in_h.html
話を要約するとそれは聖書に出てくる出エジプト記のファラオ
エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会い、ヘブライ人退去の許しを求めたが、ファラオは拒絶し、なかなか許そうとしなかった。そのため十の災いがエジプトにくだり、最後にはファラオの息子を含めてすべてのエジプトの初子が無差別に殺害された。ファラオはここにいたってヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めた。
ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。紅海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた。しかし、後を追って紅海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ。
モーセ
カイサリアのエウセビウスなどキリスト教教会史家の間には、ラムセス2世を『出エジプト記』に登場するユダヤ人を奴隷から解放するようにモーセが要求したファラオと同一視する者がある(次代のファラオのメルエンプタハとする説もある)。
ラムセス2世
Comment by thalos3D 94 ポイント
最も妥当な線で行けば聖書の人物、出エジプト記のファラオとヘロデ大王(赤子だったイエスキリストを殺害しようとして2歳以下の赤子をすべて殺した)
Comment by Tigris_Cyrodillus 1 ポイント
↑この書き込みを探してた。
Slate.comが五年前にこんな記事を書いてて、聖書のファラオ(おそらくは出エジプト記の)を挙げてる。
http://www.slate.com/articles/briefing/explainer/2011/10/hank_williams_jr_firing_who_was_the_rhetorical_worst_person_in_h.html
追記:あっ、もう他の人が書き込んでたわ。
Comment by ZamboniZombie 463 ポイント
核を持ったガンジー。
Comment by Wakafanykai123 2 ポイント
↑まーた「Civ板」の住人が入り込んできたのか・・・
Comment by YeezysKanye2020 -11 ポイント
↑お前ガンジーが誰かわかってないだろ。
Comment by Sepredia 20 ポイント
↑それシヴィライゼーションっていうゲームのネタ。
ガンジーはオリジナルのゲームではバグが入ってて、かなり平和な人間に設定されたことがマイナスに働いた。
とにかくそれによって気に食わない相手に核を使いまくるというバグが引き起こされたんだよ。
今ではそのバグはなくなったけど確かそれが今では仕様になっているはず。
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プレイヤーは、高度な戦略や戦術を駆使しながら、広大でリアルな世界を探索し、他国との深い外交関係を構築していきます。
また、プレイヤーが帝国を構築・防衛し、世界の名だたる偉大な指導者となっていく一連のプレイを長時間飽きることなく楽しむことができるよう、様々な新機能を実装しています。
さらに、シヴィライゼーションのファンの皆様が新しく実装されたゲーム内コミュニティで、情報共有をしたり対戦することもできます。 “あと1ターン“が止められない、秋の夜長にぴったりの最強ストラテジーゲームの登場です。
シヴィライゼーションV
Comment by formidable-username 521 ポイント
串刺し公
Comment by The_Sstoryteller 187 ポイント
↑これ。敵が襲撃するのを思いとどまらせるために村中の人間を串刺しにしたんだからな。
それは上手くいきはしたけど、自領の人間を大量に殺すことになった。
Comment by catdoctor 65 ポイント
↑この話は結構疑わしい。ほとんどの資料は彼の敵によって書かれたものでプロパガンダだし。
Comment by DocDongStrong 25 ポイント
↑多分ルーマニアでは彼の事は英雄だと思われてるよ。
Comment by Radu2703 43 ポイント
↑ルーマニアじゃ英雄だと思われてるよ。
ソース:ルーマニア人の自分。
ワラキア公ヴラド3世(Vlad III , 1431年11月10日 - 1476年12月19日)、通称ドラキュラ公(Vlad Drăculea) または串刺し公(Vlad Țepeș / トルコ語: Kazıklı Bey)は、15世紀のワラキア公国の君主。諸侯の権力が強かったワラキアにあって中央集権化を推し進め、オスマン帝国と対立した。
トランシルヴァニアやモルダヴィアとの複雑な関係であり、ワラキア領内での粛清も多く、オスマン帝国軍のみならず自国の貴族や民も数多く串刺しにして処刑したと伝えられる。串刺し刑はこの時代のキリスト教国イスラム教国のいずれにおいても珍しいものではなかったが、あくまで重罪を犯した農民に限られた。しかし、ヴラドの異常性は反逆者はたとえ貴族であっても串刺しに処したところにある。通常貴族の処刑は斬首によって行われるが、あえて串刺しという最も卑しい刑罰を課すことで、君主の権威の絶対性を表そうとしたと考えられている。
ヴラドを串刺し公と最初に呼んだのは、1460年ごろヴラドの串刺しを目の当たりにしたオスマン帝国の兵士であり、トルコ語でカズィクル・ベイ(カズィクルは串刺し、ベイは君主)という。このカズィクル・ベイのルーマニア語訳がツェペシュである。また、今日の異常者というイメージは後述するハンガリーによるプロパガンダの影響が大きい。
ハンガリー王マーチャーシュ1世は、1462年にヴラドをオスマン帝国に協力していたという罪で捕らえ幽閉した。この突拍子もない罪状を世間に受け入れさせるため、マーチャーシュはヴラドの様々な悪行を誇張・捏造して書かせ、パンフレットにして各国に配布した。曰く、「ヴラドは人を無差別に殺し血肉を食らって晩餐を開いた」「ヴラドは田畑を燃やして農民を飢えさせた」。これには発明されたばかりの印刷技術が用いられた。
ヴラド・ツェペシュ
Comment by DebbieDoesBoDallas 240 ポイント
レオポルド国王。
Comment by phenylacetate 143 ポイント
↑レオポルド2世な。1世は普通で3世はアホ。2世は大量虐殺の誇大妄想患者だった。
Comment by Snakie113 36 ポイント
↑3世は国のオランダ語圏の地域では愛されてた。彼が間抜けかどうかは自分がどういう視点かにもよるよ。
レオポルド2世(フランス語: Léopold II、1835年4月9日 - 1909年12月17日)は、第2代ベルギー国王(在位:1865年 - 1909年)。
コンゴにおける治世の初期は鉄道を敷設したり、アラブ人奴隷商人による奴隷狩りから黒人を守るなどその近代化に努めるものであったが、経営が赤字になってくると利益の確保を急ぎ、先住民を酷使して天然ゴムの生産増を図るようになった。イギリス人などから先住民に対する残虐行為を手厳しく批判され、1908年にはコンゴをベルギー国家に委譲する事を余儀なくされた(王の私領からベルギー植民地への転換)。
最も重要な資源である天然ゴムにはノルマ制が設けられ、生産量が足りない場合には手足切断などの罰が加えられた。過酷な圧政によってコンゴの人口は1885年にコンゴ自由国が建設された時点(3000万人)と比べて70%減少し、900万人にまで減少したといわれる。
レオポルド2世 (ベルギー王)
Comment by FutureRobotWordplay 407 ポイント
カリグラ
ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(古典ラテン語: Gaius Julius Caesar Augustus Germanicus (ガーイウス・ユーリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマーニクス)、12年8月31日 - 41年1月24日)は、第3代ローマ帝国皇帝(在位:37年 - 41年)。
現存する数少ない資料には、カリグラの残忍さや放蕩ぶりや狂気を描いた奇怪な逸話が数多く書かれている。
フィロンやセネカによる同時代の文献では、自分自身のこと以外には興味がなく、怒りに満ち、気まぐれで人を殺し、濫費とセックスに溺れた狂気の皇帝として描かれている。
ただし、カリグラの悪行には創作や誇張されたものが多分に含まれると考えられ、信憑性には大いに疑問の余地がある。また、ローマ帝国の政治文化において狂気や性的倒錯といったものは、権力の衰えと共にしばしば生じるものである。
カリグラ
Comment by cardell912 293 ポイント
ネロ
Comment by surely_going_to_hell 2 ポイント
↑ネロはそんなに大勢を殺害してない。
一方でガイウス・ユリウス・カエサルはスタートラインの時点で大勢のガリア人を殺害してる。
Comment by Gaius_Octavius_ 487 ポイント
チンギス・カンとアッティラだと思う。
Comment by Tdsifo 77 ポイント
↑Civ 5でそいつらにサンドイッチされてみると良い。
Comment by FedoraFerret 42 ポイント
↑あと北に釈迦、南にガンジーで。
Comment by say-something-nice 1 ポイント
↑少なくともチンギス・カンは壊したものの上に何かを建造してる。フン族は掠奪するだけ。
アッティラ(Attila、406年? - 453年)は、フン族とその諸侯の王。中世ドイツの「ニーベルンゲンの歌」などの叙事詩ではエツェル(Etzel)の名で登場する。現在のロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築き上げ、西方世界の「大王」を自称した。
スラブ系・ゲルマン系の諸民族を征服した際の容赦の無い略奪と殺戮(一勢力が跡形も無く根絶される事すらあり、フン族を恐れる諸民族の動きが民族大移動を引き起こしたとする説まである)から、西欧や東欧ではヴァンダル族のガイセリックと並んで破壊者の象徴として語られる事も多い。
しかし奇妙な事に北欧ではむしろ英雄視される傾向にあり、サガやゲルマンの『ワルタリウス(英語版)』や『ディートリヒ伝説』などの複数の民間伝承および、それらから派生した『ニーベルンゲンの歌』などでは、アッティラが偉大かつ聡明で寛容な王として登場する。
アッティラ
Comment by [deleted] 2 ポイント
ヒトラー以前にユダヤ人を殺害していた誰か。
Comment by hablomuchoingles 1 ポイント
リシュリューはドイツを団結させないようにかなり残虐な事をいくつか実行してる。
枢機卿およびリシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシー(フランス語: Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 1585年9月9日 - 1642年12月4日)は、カトリック教会の聖職者にしてフランス王国の政治家である。1624年から死去するまでルイ13世の宰相を務めた。
ブルボン朝の発展と繁栄のために大きく尽力し、近代フランスの礎を築いた大政治家であった。冷徹なマキャヴェリストであった反面、まれにみる無私の人でもあり、為政者としての広い度量を兼ね備えてもいた。
リシュリューの信念は「王権の拡大」と「盛大への意思」、すなわちフランスはあらゆる他国を押さえて強大にならねばならないとの確信であり、この信条に従わない者に対しては全てこれを「国家の敵」と見なして徹底的に撲滅を図った。「信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ」という彼の言葉からもわかるように、他者を罰することは自身の生き甲斐でもあった。
リシュリュー
Comment by agentfooly 1 ポイント
エンヴェル・パシャはほとんど第一次世界大戦におけるヒトラーと言っても過言ではない。
多分アルメニア人虐殺の最大の犯人。
イスマイル・エンヴェル・パシャ(オスマントルコ語: اسماعيل انور, トルコ語: İsmail Enver Paşa、1881年11月22日 - 1922年8月4日)はオスマン帝国末期の軍人・政治家。青年トルコ人革命の指導者。1913年以降オスマン帝国の陸軍大臣として兵権を掌握し、1918年まで大宰相メフメト・タラート・パシャと海軍大臣アフメト・ジェマル・パシャとともに三頭政治を行う。
エンヴェルはかねて中央アジアからバルカンにいたるテュルク系諸民族をオスマン帝国の旗のもとに大統一するという汎テュルク主義の理想を抱いていた。その第一歩として東部アナトリアに進出したロシア軍に対して大攻勢に出てこれを駆逐し、カフカス地方を確保するというサルカムシュ作戦が計画された。
そして、エンヴェル自身が東部戦線に出て陣頭指揮をとるが、補給や装備の杜撰さに加え、ロシア軍の反撃によって莫大な損害をこうむった。さらにロシア軍への協力を罰するためとしてアルメニア人のシリアへの強制移住が行われ、死の行進と混乱のなかで一説では200万人にのぼるとされるアルメニア人がトルコ軍によって虐殺されたといわれる。(アルメニア人虐殺)
エンヴェル・パシャ
Comment by HIRVl 1 ポイント
少なくともフィンランドではニコライ・ボブリコフが候補に挙がりそう。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Nikolay_Bobrikov
ニコライ・イワノヴィチ・ボブリコフ(ロシア語: Николай Иванович Бобриков、ラテン文字転写の例:Nikolai Ivanovich Bobrikov、ユリウス暦1839年1月15日(グレゴリオ暦1月27日) – 1904年6月17日)は、帝政ロシアの軍人、政治家。フィンランド総督としてロシア化を推進するが、暗殺された。
1898年、ニコライ2世によってフィンランド総督(英語版)に任命される。ボブリコフはフィンランド国民から恐怖と憎悪をもって迎えられた。
1900 年、ボブリコフ総督はフィンランドの官庁に対して全公文書のロシア語化と、学校教育におけるロシア語教育の徹底を指令した。さらに1901年にはフィンラ ンド軍を廃止、フィンランドにおける募兵をロシア全土に赴任させることを強制可能にした。さらに1905年フィンランドにおける徴兵は廃止された。
ニコライ・ボブリコフ
Comment by Undefined000 2 ポイント
アンドリュー・ジャクソンとか?
連中はインディアンを2億人殺害したんじゃなかったっけ?
・・・とフェイスブックで読んだ。
Comment by crop028 1 ポイント
↑アンドリュー・ジャクソンが西部に行ったことがあるとは思わないな。
まあネイティブアメリカンを数千人は殺してるけど。
アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson, 1767年3月15日 - 1845年6月8日)は、アメリカ合衆国の軍人、政治家、黒人奴隷農場主で、第7代アメリカ合衆国大統領。
ジャクソンは1801年にテネシー州市民軍の大佐として指揮官となり、おもにインディアン民族の徹底虐殺によって軍歴を積み重ねることとなった。
ジャクソンは、インディアンは白人とは相いれない存在とし、1833年には議会での一般教書演説で、以下のような演説を行った。
インディアン問題に関する私の確信はもはや揺るぎない。インディアン部族がわれわれの定住地に囲まれ、我々の市民と接触し共存するなど不可能だ。
やつらには知性も勤勉さも道義的習慣さえない。やつらには我々が望む方向へ変わろうという向上心すらないのだ。我々優秀な市民に囲まれていながら、なぜ自分たちが劣っているのか知ろうともせず、わきまえようともしないやつらは環境の力の前にやがて消滅しなければならないのは自然の理だ。
これまでのインディアンの運命がそうだったように、インディアンたちが消滅しなければならない事態が避けられない場合、彼らは我々白人の領土の外へ出ていくことが必要だ。その場合、我々が求める新しい関係に沿った政治体制を彼らが受け入れた場合のみ、これは可能となるのだ。
アンドリュー・ジャクソン
Comment by TheNewOP 2 ポイント
アメリカ人からするとベネディクト・アーノルド
ネイティブアメリカンからするとコロンブス
コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
コロンブスが何カ月もの間病いに臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。
クリストファー・コロンブス
Comment by IceFire909 2 ポイント
そんなのポルポトに決まってる。
Comment by JimmytheT 2 ポイント
↑お前スレタイ読んで時系列も分かんねーのかよ?
Comment by LoptThor 2 ポイント
もし当時の人間が気付いていたのなら(気づいていたかは分からないけどまあいいや)、コロンブスだな。
Comment by WiscPenn 2 ポイント
女性で言うとバートリ・エルジェーベト、メアリー1世、デルフィーン・ラローリー、武則天
バートリ・エルジェーベト/エリザベート・バートリ(マジャル語:Ecsedi Báthory Erzsébet、ドイツ語:Elisabeth Báthory von Ecsed、スロバキア語:Alžbeta Bátoriová-Nádašdy 、1560年8月7日-1614年8月21日)は、ハンガリー王国の貴族。史上名高い連続殺人者とされ、吸血鬼伝説のモデルともなった。「血の伯爵夫人」という異名を持つ。
召使に対する残虐行為は、夫が生きている頃から始まっていた(あるいは召使に対する折檻は夫から教えられた)と考えられているが、夫と死別後に一層エスカレートしたようである。当初は領内の農奴の娘を誘拐したりして惨殺していたが、やがて下級貴族の娘を「礼儀作法を習わせる」と誘い出し、残虐行為は貴族の娘にも及ぶようになった。
バートリ・エルジェーベト
メアリー1世(英: Mary I of England, 1516年2月18日 - 1558年11月17日)は、イングランドとアイルランドの女王(在位:1553年7月19日 - 1558年11月17日)。
敬虔なカトリック信者であるメアリー1世は、父ヘンリー8世以来の宗教改革を覆し、イングランドはローマ教皇を中心とするカトリック世界に復帰した。メアリーはプロテスタントを迫害し、女性や子供を含む約300人を処刑したため、「ブラッディ・メアリー」と呼ばれた。
メアリー1世 (イングランド女王)
マリー・デルフィーン・ラローリー(Marie Delphine LaLaurie 旧姓:Macarty 1775年頃 - 1842年12月7日頃)は、アメリカ合衆国・ニューオーリンズのソーシャライト、奴隷使用者。マダム・ラローリー(Madame LaLaurie)の通称で知られる。
多くの黒人奴隷を虐待・拷問のうえ殺害し、その邸宅跡は現在幽霊屋敷として知られている。
1834年4月10日、ラローリー邸で火災が発生。駆けつけた消防隊員の前に一人の奴隷が決死の形相で駆け出してきた。彼は自分が邸宅に火をつけたと告げたうえで、消防隊員に「屋根裏部屋を開けて見てくれ」と懇願したため、消防隊が屋根裏部屋に突入、その結果、ラローリーの趣味である奴隷への残虐な拷問の実態が白日のもとにさらされたのであった。
この事件は奴隷使用が合法だった当時のアメリカ南部にさえも大きな衝撃を与え、その残虐さに憤った群集がラローリー邸を取り囲む騒ぎになった。ラローリーは邸宅から狡猾に脱出、そのまま消息不明となった。
デルフィーン・ラローリー
武 則天(ぶ そくてん)は、中国史上唯一の女帝。唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。
出自を問わない才能を発掘する一方で、武皇后は娘の太平公主や薛懐義・張易之・昌宗兄弟といった自身の寵臣、武三思・武承嗣ら親族の武氏一族を重用し、専横を招いた。また佞臣の許敬宗などを任用し、密告政治により反対者を排除、来俊臣・索元礼・周興ら「酷吏」が反対派を監視する恐怖政治を行った。
武則天
Comment by Urgullibl 1 ポイント
第一次世界大戦中にドイツ人が「フン族」と呼ばれていたことを考慮するとアッティラ。
近代になって、フン族(Hun)の名称は第一次世界大戦と第二次世界大戦におけるドイツのあだ名として用いられた。1900年の義和団の乱に際してドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が「敵に対してフン族のように容赦するな」と将兵に命じた。この演説が第一次世界大戦の際にドイツ人の野蛮性を強調すべく、連合国に利用された。第二次世界大戦でも、連合国の人々は同じようにドイツ人を形容している。
フン族
Comment by blackbonez1 1 ポイント
南北戦争のシャーマン将軍。
ヒトラーと彼を比べるつもりはないけど、彼が用いた戦術はえげつない。
ウィリアム・テクムセ・シャーマン(William Tecumseh Sherman, 1820年2月8日 - 1891年2月14日)は、アメリカ合衆国の軍人。
南北戦争において、焦土作戦をアメリカ南部で展開。近代戦略の実行者、または近代戦の創始者、最初の近代将軍などと評価される。彼の行ったジョージア州アトランタを焼き払った後の「海への進軍」、およびサバナよりの北上作戦により、南部経済は壊滅し、南北戦争の終結を早めたとされる。
ウィリアム・シャーマン
Comment by HulgBears 1 ポイント
バルカン出身の人間から言わせてもらうとムラト1世。クズ中のクズ。
こいつがデヴシルメ制を始めた。ちなみにこれは異教徒のバルカンの子供をイスラム教徒へ効果的に改宗させるもの。
ムラト1世(オスマントルコ語: مراد اول, トルコ語: I. Murat Hüdavendigâr, 1319年もしくは1326年 - 1389年6月15日)、オスマン帝国の第3代皇帝(在位: 1360年頃 - 1389年)。
父オルハンの政策を継承し、バルカン半島での勢力の拡大を積極的に進めた。キリスト教国に対する戦勝はイスラーム世界におけるオスマン帝国の名声を高め、ヨーロッパ諸国は新興のオスマン帝国の動向に注意を向け始めるようになった。
ムラト1世
デヴシルメ制(- せい、トルコ語:devşirme) とは、14世紀ごろに成立した徴兵制度の呼び名。イスラーム国家体制と共にオスマン帝国の中央集権体制を支えた。デヴシルメとは「強制徴用」を意味する。
アナトリア地方やバルカン地方に住むキリスト教徒の少年を定期的に強制徴用(デヴシルメ)し、イスラム教に改宗させて教育・訓練した。この制度は奴隷(マムルーク)を商人から買い、軍人化するイスラムの伝統の発展形で、デヴシルメ制によって徴用された者はスルタン個人の奴隷でもあった。
デヴシルメ
Comment by Ze_Bearded_Kelephant 1 ポイント
十字軍を始めたローマ教皇はイデオロギー的に言えばヒトラーと近いものがある。
Comment by oglach 1178 ポイント
これは多分アイルランド的なものだとは思うんだけどうちらからするとそれに該当するのはオリバー・クロムウェル。
今でもアイルランドではヒトラーのような人物というイメージがある。
アイルランドで虐殺し燃やし尽くし、「汚れた」アイルランド人を根絶し、生き残ったアイルランド人を土地から引き離してずっと西の方へ追いやった。
こいつの作戦によって25%から70%以上の人口が減少したと推計されてる。数百万人が死ぬか奴隷になった。惨いにも程がある。
それにこれはアイルランドで主要言語だったアイルランド語の終焉の始まりという強い文化的意味合いも含まれてる。
アイルランド語話者を西方に追放してアイルランドの大半を英国化してアイルランド語を話す人間が住む貧しい土地での飢饉や何百万人も殺害したことでアイルランド人を絶滅一歩手前にまで追いやった。
しかも最近の調査によると最も尊敬されている英国の支配者のトップ10に入ってる。これが一番最悪だな。いまだに大量虐殺した奴を擁護する人間が沢山いる。
Comment by confusedbrit 298 ポイント
↑イギリス人だけどオリバー・クロムウェルが権力を持ちすぎた残忍で憐れな人間だって事には同意せざるを得ない。
Comment by intensely_human 27 ポイント
↑テレビも写真もないおかげでどれだけの数のヒトラーが歴史の目から逃げおおせたのか。
Comment by Scumbag__ 13 ポイント
↑多くのヒトラーが歴史の目から逃げおおせたのはそいつらが良い人間であるとプロパガンダされたからだよ。
大英帝国はクロムウェルのことを英雄だと取り扱ってアイルランド人とかいう「亜人」のことには一切興味がなかったって思うわ。
Comment by camelCaseOrGTFO 43 ポイント
↑数ヵ月アイルランドに住んでたアメリカ人だけどショックを受けたことの一つはイギリスがアイルランドに対してどれ程残酷な事をしていたかを学んだこと。これを「迫害」なんて言うのは生ぬるすぎる。
オリバー・クロムウェル(英語: Oliver Cromwell, 1599年4月25日 - 1658年9月3日)は、イングランドの政治家、軍人、イングランド共和国初代護国卿。
カトリックのアイルランドやスコットランドは1649年から1651年にかけて反議会派の拠点であった。クロムウェルは総司令官兼総督に任ぜられて侵攻を始め、1649年ダブリンに上陸、続いてドラハダ、ウェックスフォードを攻め、各地で住民の虐殺を行う(クロムウェルのアイルランド侵略)。アイルランドはクロムウェルの征服により、以後はイングランドの植民地的性格が強い土地となる。
オリバー・クロムウェル
クロムウェルはローマ・カトリック教徒 (アイルランド人口の大多数) に対する刑罰法 (Penal laws) を可決させ、彼らから大量の土地を没収した。議会軍によるアイルランド再占領は残忍を極め、そのためクロムウェルは現在でもアイルランドで嫌われている。
議会派によるこれら行為の結果、アイルランド人口の15から25%程度が殺害もしくは亡命したと一般的には見積もられているが、50%以上もの人口減少を起こしたと主張する少数派もいる。
クロムウェルのアイルランド侵略
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そうすると元寇以前は何がってのも気になる所ではあるけど
スターリン「ホンマやな」
毛沢東「せやせや」
ttp://drazuli.com/upimg/file10322.jpg
それを議論することすらアカンとか
歴史を学ばんことこそ悪やろ
あいつら文明を消したんやぞ
もしくは日本を焦土と化す作戦実行したカーチス・ルメイ
南米ならコンキスタドール。ピサロとか。
付随する北米とアフリカはもう勝者である白人文明に乗っ取られていたので怖いもんなかっただろな。
東洋全般なら蒙古。チンギスとかフビライ。
朝鮮ならトヨトミヒデヨシ。
共産主義のイメージ悪杉
ユダヤ教やキリスト教に酷いことしたやつがだいたい悪党
キリスト教の方がはるかにひどいことしていてもイノケンティウス8世とかは決して非難されない
あとは井伊直弼か鳥居耀蔵か
最高権力者の意思での大規模な虐殺の例が特にないから魔王様で
大陸は虐殺だけでは選べないから難しいね
こういうのはほとんどメディアのせい。まあ、大体、仮名手本忠臣蔵が悪い。
足利義教「マジかよ信長って奴最低だな」
ヒトラーは自分の外見の印象を計算して意図的に記号化したから
誰にでも思い浮かべやすくなっている。
以降の奴らはそこまで計算していないから思い浮かべにくい。
>↑あと北に釈迦、南にガンジーで。
これはお釈迦様のことじゃなくて「シャカ・ズールー」のことじゃないかな?
civの話をしているし、おそらくそのはず
本スレでネロが出なかったのは意外だった。
ラシーヌが「ブリタニキュス」を書いた時代には「ネロが大悪党だなんて、そんな当たり前のことをわざわざ言う必要があるのか?」って感じなのに。
日本だと足利義政と日野富子だろ
※22
???「雷鳴でありましょう」
知名度とスケールでとって変わられなければ「悪御所」さんも有力でしょうね
ネロ様出てますよ。さらっと流されてるけど。
このスレの趣旨は
「残虐な人物として当時の人々の心に強く刻まれていた人物は誰か」であって
「実際に歴史上最も残虐な人物は誰か」じゃない
欧米以外で何千人死のうとさほど大きく扱われず、
欧米での少数の死が大々的に悲劇として扱われるように。
先住民が何をされたかなんて、歴史好きの話のネタにしかならない。
ヒトラー=悪なんてのは戦勝国のプロパガンダじゃんよ。
枢軸国からすればルーズベルトやチャーチル・トルーマンなんて八つ裂きにしても飽きたりないのに。
現在のイスラム圏の火種を蒔いたのも欧米人だからな。
> Comment by FedoraFerret 42 ポイント
> ↑あと北に釈迦、南にガンジーで。
これはお釈迦様じゃなくてシャカ・ズールーやんな?
煬帝とか挙がってそう
またユダヤは皇帝領だからユダヤ属州長官の方が正しい
ヘロデ大王の子供殺しはヘブライ聖書、出エジプト記の
パロ(ファラオ)がヘブライ人の男の子供を全員殺させた話を真似ただけで
歴史的事実ではないと考えるのが常識
そもそもその出エジプト記が作り話、
地方選挙の手伝いを何回かした事在るけど、共産党はヤバイヨ、、
自民党も民主党もどちらも街宣車運転した事在るんけど、
どちらも下っ端の人はわきアイアイとしてて対立候補の人にも挨拶位するけど、
共産党の人は下っ端までこっちを殺す目で睨んで来る、、
もし彼らが政権とったら確実に粛清の嵐が吹くと思う。
あとスペインのラックは断頭台やなくて縛伸台や
あいつらのせいで一体どれぐらいの文化と言語と資源が永遠に失われたと思ってんだ。
それは「ヒトラー以前の時代では誰が『悪人の代名詞』だったのか」という定義に適合しない
※29も言ってるけど
この話題の趣旨は「事実残虐であったか」じゃなくて
「残虐だったと考えれていたか」が大事なんだと何度(ry
この話題に関して事実じゃないとかもっと残虐な奴いるとか反論するのはナンセンス
>Comment by Frozen_Yonana 146 ポイント
>ヘロデ大王。
>いつは遠い将来に自分の地位を揺るがす可能性があるって理由でイエスキリストかもしれない無垢な赤ちゃんを大量に殺害した。
>>いつは <<こいつは?
ヒトラーの人種の優劣論ではないが、子を養子として押し付け、
一族を血統で固める論見は、縁組や政略結婚が当たり前の時代でも、
度を越してるで。
ま、日本を破滅させる程の悪ではなかったがね。
ヒトラーとかチンギス・カンとか白人を大量に殺した奴はまっさきに悪の代名詞として出てくるけど、有色人種はどれだけ殺しても悪の代名詞にはならないんだな。
レオポルド2世の名前がたまに出てくるくらいか。
有色人種からしたら白人国家はどこもナチスと大差ないだろ、絶滅させられた民族だっているし。
日本からしたらルーズベルトやトルーマン、スターリンもヒトラーと変わらんよ。
ハプスブルク家「婚姻政策による他家の乗っ取りって最低だよな」
バケツ拷問(バケツの中身の入れ替えを繰り返させる)とか
「ナチスの拷問」って話を聞いたことがあったんだが
最近見た大正時代の随筆に「ナポレオンの拷問」と書いてあって面白かったな