あれから5年
【愛しい友よ 力無くしても
駆け抜けよう こんな時代を
愛する人よ やがて互いに
この街に 永遠を咲かそう-】
2011(平成23)年3月11日午後2時46分。
東日本大震災が起こりました。
被災された皆様には、謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。
私は当時、医療用機器のAEDを製造する工場に派遣社員として勤務しており、
建物の3階の作業場で黙々と作業をしていました。
午後の休憩まであと十数分です。
もうひとがんばりすれば、暖かいコーヒーが飲めます。
屋内に微かな風が吹いたような気がしたので、
誰かが換気をしているんだろうと思ったら、
近くにいたパート社員の女性が私に声をかけました。
「○○さん、今のって、地震じゃない?」
「えっ?」
そう言ったのと同時に、ものすごい揺れが私たちを襲いました。
「みなさん、1階に逃げてください!」
ラインリーダーの指示で階段に向かった私ですが、
怖くて足が踏み出せませんでした。
他の人たちはいち早く避難したのに、
私はすっかり遅れてしまったのです。
消えた信号
怖さに耐えながら、どうにか階段を下りると、
ラインリーダーから、「課長のいる総務室に行きなさい」と言われました。
緊急事態で仕事ができなくなったから、
派遣会社の人に迎えに来てもらうためでした。
その会社は、私が住んでる前橋から40キロほど離れた富岡市にあり、
通勤手段は派遣会社のマイクロバスによる送迎でした。
毎日、高速の上信越道を使っていました。
(仕事ができない・・・緊急事態・・・ただの地震じゃないの?)
何かなんだかわからないまま、総務室にあったテレビを観ていると、
課長が私に話しかけてきました。
「・・・そうなんですか」
「うちの関連企業は東北にもあるんだけど、あの被害じゃ全滅かも知れない・・・」
「・・・・・・」
他の課の偉い人たちもテレビを観ながら、ため息をついていました。
課長に「派遣会社と連絡をとって」と言われ、電話をかけるものの、
まったく通じませんでした。
最悪の事態を想定して、会社に泊まることもあるかも知れないと思ったとき、
迎えのマイクロバスが到着しました。
派遣会社の社長の支持で、早めに出発してくれたようで、
「これで家に帰れる」と安心しました。
ところが・・・
「信号が全滅なんだ。高速も使えない。前橋に着くのは何時になるかわからないよ」
運転手のその言葉に、私は衝撃を受けました。
家族の無事
不幸中の幸いだったのは、運転手さんがベテランドライバーで、
気くばりもよくできる人ということでした。
私以外に2人の派遣社員の女性が乗っていたんですが、
苛々する彼女たちをなだめたり、ときどきコンビニに立ち寄って、
お菓子や飲み物を買ってくれました。
富岡市や周辺の町は信号が全滅でしたが、
高崎市の中心部に来ると、スムーズに道を進むようになりました。
駅や、大きな家電ショップを見たとき、安心して泣きそうになりました。
あの恐ろしい揺れがあったんですから、
街はものすごい被害を受けたと思ったんです。
でも、普段の様子とほとんど変わりありませんでした。
前橋までは、あともう少しです。
家で待っている家族と愛猫が心配で、ワープして帰りたい気分でした。
でも、運転手さんのおかげで、無事に自宅まで帰ることができました。
富岡市の工場を出たのが、午後5時20分頃だったんですが、
家に着いたときは、夜の8時を回っていました。
何か物が倒れたり、壊れたりしているのではないかと思いましたが、
本棚の中のものが落ちたくらいで、他はほとんど大丈夫でした。
旦那も娘も、元気でした。
ひとつ気がかりだったのは、愛猫のあんのんです。
実は彼、震災が起こる1ヶ月ほど前に、
お外で足を大怪我して手術をしたばかりでした。
もとは、よく遊びに来ている野良さんだったんですが、
娘が「うちで助けてあげないと死んじゃうよ!」と言ったので、
保護して室内飼いをはじめたばかりだったのです。
旦那の話では、あんのんは地震のあった瞬間、
おこたつの中でじっとして、揺れが収まるのを待っていたそうです。
私が帰ってくると、嬉しそうに「にゃあ」と鳴き、
何度も何度も擦り寄ってきました。
その後
この震災の影響で、工場に製造用の部品の供給がなくなり、
私は1週間後に退職することになりました。
人生には、まさかの坂があるといいますが、
天災によって仕事を辞めたのは、はじめてのことでした。
その後、派遣は何度かやりましたが、
持病が悪化したのと、左膝を痛めたのを機にやめました。
現在は、自由気ままにものを書いています。
住んでいる市営住宅は、倒壊はしなかったものの、
壁や階段にひびが入ったので、ほどなくして耐震補強工事が行われました。
築40年になろうかという古い物件なので、
よく、あの揺れに持ちこたえたと思います。
あんのんも、みごとに大震災の中を生き残りました。
震災は本当にたいへんな出来事でした。
想像を絶する被害で、多くの街が傷つき、
人々の運命や価値観も大きく変わりました。
失ったものは、あまりにも大きかったと思います。
しかし、まったく防災意識がなかった我が家は、
高いところにものを置かないようにしたり、グッズをそろえるなど、
「備えあれば憂いなし」という心がけをはじめるようになりました。
台風などはある程度の予測ができますが、
地震だけはいつ起こるかまったくわからないので、
油断しないで毎日を過ごして行きたいですね。
そして、被災された地域に幸多からんことを願います。