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【茨城】

<大震災5年 茨城に残る影響>(5)農業 出荷制限、風評と闘う

ほだ木が並ぶビニールハウスで作業する野村さん=2月、石岡市で

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 「長かったが、本当に待ちに待った日。やっと生産者に戻れた」。石岡市で原木を使って生シイタケを栽培する野村栄重さん(67)は、ほだ木が並ぶビニールハウスで、昨年四月の出荷自粛の解除を振り返った。東京電力福島第一原発事故の影響で、県から出荷自粛を要請されたのは二〇一二年三月。昨春、約三年ぶりに出荷を再開した。

 県によると、茨城県は原発事故前、全国二位の原木シイタケの産地だった。県内ではシイタケ生産者約二百五十人のうち、約百四十人が出荷制限や自粛の対象。生産量は事故前年の一〇年の千九トンから、一四年は約三分の一の三百三十六トンに落ち込んだ。

 野村さんは出荷自粛後、転職のため求人広告も見たが「今まで築いたものがある。自分からシイタケを取ったら何も残らない」と考え直した。出荷できない間も原木を集め、生産できる体制を維持。作業しない間に体力が落ちないように、自転車で十キロ以上走って足腰を鍛えた。

 原木シイタケは、生産者によって栽培方法が大きく異なるため、出荷制限の解除は、市町村ではなく生産者ごと。野村さんは県の指導で、原木が土に触れないようにシートを敷くなど、安全を確保する栽培管理を導入。出荷までに検査を繰り返す仕組みにして、解除にこぎ着けた。

     ◇ ◇

 原発事故後、県産の農林産物の一部は出荷が制限された。ホウレンソウとパセリ、かき菜、生乳は事故から間もなく制限が解除され、約二年後に茶も続いた。野生のキノコなど、残りの六種類の林産物は、今も一部地域で制限が続く。

 県によると、風評被害については、他県産より明らかに安い価格にされるような顕著な例は、ほぼなくなったという。農林水産省の統計では、一三年には県全体の農業産出額は約四千三百億円で、震災前の水準に回復した。

 しかし、今も「他県の品物から先に買われる」などの声が聞かれる。昨年三月には県西部の野菜農家らが集団で、風評被害が収まらないとして、東電に計約十四億円の賠償を求める裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てた。県は安全を保証するため、約百二十品目の農林産物の放射性物質を検査し続けている。

     ◇ ◇

 野村さんは昨年五月に出荷を再開したが、原発事故前の状態には、ほど遠い。長年の主要取引先は、北海道の農家に取って代わられた。「何年も空白があれば、そうせざるを得ないだろう。すんなりと契約が復活しないのが、今の一番の問題だ」

 さらに、原木シイタケ自体が風評被害で、大手スーパーに買い渋られたり、市場で安くなったりしているという。「出荷規制が一度かかった県は、なおさら大変だ。口で言うのは簡単だが、なかなか現実的には難しい」と嘆く。

 それでも、一からやり直し、経営を立て直そうと考えている。地元で後継者が絶えることも心配している。野村さんは「原発事故なんかで、やめてしまえば絶対に後悔する。このままでは終われない」と思っている。 =終わり

 (この企画は宮本隆康が担当しました)

 

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