東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 埼玉 > 記事一覧 > 3月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【埼玉】

多様化する避難者 ニーズに沿った支援必要 さいたまでシンポ

シンポジウムでは福島県と同県4町の復興支援員も避難者の現状を報告した=さいたま市で

写真

 東日本大震災と福島第一原発事故から5年。埼玉県内だけで、今も福島県民を中心に約5000人が故郷を離れた避難生活を余儀なくされている。歳月が流れることで、避難者の生活は多様化し、避難先で周囲から取り残された人もいる。先月下旬にさいたま市で開かれたシンポジウムは、こうした現状への理解と今後の支援のありようを探った。(中里宏)

 シンポジウムは「震災から5年、広域避難者の生活と支援を考える」と題して開かれた。主催したのは震災発生当初から避難者支援に取り組み、無料情報誌「福玉便り」を毎月四千部、希望する避難者に郵送している県労働者福祉協議会や、NPO法人ハンズオン埼玉、法政大・立教大教員らのグループだ。

◇ストレス「限界」

 シンポでは、福島県と同県浪江・富岡・大熊・双葉各町の復興支援員が初めて一堂に会し、避難者の現状を語った。

 浪江町の復興支援員は「帰還をあきらめた人より、早く帰りたいと考える人の方が『知らない土地での生活はもう限界』とストレスがたまっている」と報告。避難者の交流会への男性の出席率が低く、電話では「困っていることはない」と答えた男性が、実際に訪問すると引きこもり状態だった例も報告された。

 富岡町の復興支援員は、家を購入した避難者がいる一方、老朽アパートに居住する避難者もいるなど、避難者の間に格差が生じていることや、夫婦の一方が死亡して一人暮らしになったり、ほとんど外出しなくなったりする高齢者の増加を指摘した。

◇自主避難者の苦悩

 子どもの被ばくを防ごうと、避難指示区域以外から避難した「自主避難者」といわれる母親たちの苦悩を、ライターの吉田千亜さんが伝えた。

 自主避難者の多くは、夫を福島に残した母子避難。被災地では学校の除染が終わっても、通学路や空き地には空間放射線量が異常に高い「ホットスポット」がなお残る。知人から「まだ帰らないの」と何げなく言われた言葉が心に突き刺さることもある。

 ある母親は「放射能の危険性を知らなければ避難しなかった。子どものために避難しなければいけないと思ったから避難した。私は家にいたかった」と吉田さんに訴えた。原発事故によって平穏な日常生活を奪われただけでなく、周囲からの疎外感にも苦しむ。

 「離婚を回避するために帰るか、避難のために離婚するか」と悩む母親も。四月に帰還を決めた母親は「百パーセント納得して戻る人なんて、いないと思う」と語ったという。

◇過去の大災害と違い

 立教大学コミュニティ福祉学部の原田峻助教は福玉便りの読者アンケート結果などから、先行きに対する避難者の不安が変わらない一方、持ち家購入や子どもの進学など、避難者の抱える事情が複雑化・多様化する現状を報告した。

 原田さんは、放射性物質の除染とインフラ再生を進める政府が帰還政策を進める一方で、避難者が「安心して帰れるのか」と、簡単には判断できずに迷っている実情を指摘。

 「これまでの災害と違い、地域インフラの再生と被災者の生活再生が一致せず、生活の見通しが立ちにくい。東京電力の賠償などで避難者の境遇にも格差が生じている」と過去の大災害との違いを指摘した。

 さらに県内自治体の避難者対策について「さいたまスーパーアリーナへの避難者受け入れなど、県の初動体制は良かったが、その後のソフト面の施策は消極的だった」と指摘。水道料金減免措置など、市町村ごとに避難者の生活支援策にばらつきが生じていることを報告した。

◇新たな支援組織

 福玉便り発行に関わってきた法政大学の西城戸(にしきど)誠教授は「避難者の状況は残念ながら、あまり変わっていない。避難者の多様なニーズを踏まえ多様な支援を行っていきたい」と、新たな支援組織「埼玉広域避難者センター」の立ち上げを宣言。避難者の個々の事情に寄り添う支援の継続を訴えた。

 

この記事を印刷する

PR情報