東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 神奈川 > 記事一覧 > 3月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【神奈川】

いつか福島で教壇に 高2で被災、専修大4年・池田和希さんの夢

卒論に向けて福島県で撮影した被災地の写真を紹介しながら、教員への夢を語る池田和希さん=多摩区で

写真

 東日本大震災で被災した福島県の教壇に、中学教員として立ちたい−。そんな夢を抱く若者がいる。専修大学人間科学部(川崎市多摩区)の4年生池田和希(かずき)さん(22)だ。故郷の福島県富岡町に帰れなくなった自らの経験を踏まえ「子どもたちに伝えたいことがいっぱいある」と話す。 (山本哲正)

 「一日も早く教員になり復興の役に立ちたい」

 池田さんは十日、都内の予備校で、抱負を語った。福島県の教員採用試験に備え、大学卒業を前にして一月から通っている。

 同県いわき市内の高校二年生のとき、授業中に震災が発生。富岡町の自宅に戻ると家族は無事だったが、消防団員の父親から「原発が危ないかも」と聞かされた。

 東京電力福島第一原発事故が起きて避難。県内の田村市や郡山市などを転々とし、四月に通学のため、いわき市のアパートに落ち着いた。

 高校卒業後、教員を目指して専修大に入学。熱心だった中学校のバスケットボール部顧問や、教え上手な社会科の教員に感化されたという。

 東京への憧れもあったが、いわき市に帰省する度に富岡町に帰りたいと思った。町から避難している友人ともなかなか会えず、自宅に戻れない分、地元愛が募った。「温かな人のつながり、自然に囲まれた何げない日々に戻りたいと思った」

 大学では、復旧、復興に役立つ知識も得ようと、大矢根淳教授(災害社会学)のゼミに入った。富岡町民の多くが県内に生活の拠点を置いていると知り、故郷に愛着を抱く自分と共通するものを感じた。なぜ県内にとどまるのか。理由を知りたくて、町民八人に聞き取り調査し、卒業論文のテーマにした。

 八人はいずれも「帰りたいのに帰れない」と嘆いた。そのほか、八人から聞かれた言葉は「桜」と「海の景色」。観光客が訪れた「夜の森公園」の桜と、魚介類のおいしい仏浜海岸のことで、池田さんも好きなスポットだ。卒論は「町民に共通する富岡の風景を感じ続け、記憶にとどめたい」と、まとめた。

 卒論は学部内約百三十人の上位三作に選ばれた。大矢根教授も「プレゼンテーションが良い。教育実習で子どもの反応を見ながら授業をした経験も生きたのでは」と話す。教員の適性があるとみており、池田さんの夢を応援する。

 病気がちだったが、中学校でバスケに出合って元気になった。放射能汚染の影響を考え、外遊びを控える福島県の子どもたちを、自らの体験を踏まえて励ましたいという。

 「平凡に暮らしていた私は、ある日突然、故郷を追われました。離れ離れになってから後悔しても遅いから、『日頃から両親や友人を大切にして』ということも伝えたい」

 

この記事を印刷する

PR情報