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その夜、なぜか6歳の女の子が赤い服を着せるよう母親にせがんだ…

 その夜、なぜか6歳の女の子が赤い服を着せるよう母親にせがんだ。着せると髪を結いリボンをつけろという。最後は化粧までしてあげた母親が「かわいい」というと、その姿で寝てしまう。昭和三陸津波が女の子をさらったのは未明だった▲昨年亡くなった児童文学者の松谷(まつたに)みよ子さんが1970年代に宮城県女川町の岩崎(いわさき)としゑさんから聞いた津波の伝承である。松谷さんが現代民話採録をライフワークにしたのは、岩崎さんの語りに触発されてのことだった▲赤い服の子の話が事実とも思えないが、このような語りでしか表せぬ哀切な心の真実もある。時代は変わり、多くの映像や文字により記録されてきた東日本大震災である。だがやはり歳月をくぐり抜け、肉声で語ることによってしか伝えられぬ真実もあるに違いない▲小学5年の時に東松島市で津波に遭った雁部那由多(がんべなゆた)さんは高校1年になった今、仲間と語り部の活動に取り組んでいる。目の前で津波に流された男性や、車の中で見つけた遺体、避難所での大人たちの行(ぎょう)状(じょう)といった震災の記憶は子供時代は固く胸に秘めていたという▲その後、震災を語り合う人々を見て、自分の体験を話し出すと気持ちが楽になり世界が広がった。今は小学生が見て感じた震災の実相を高校1年の肉声で伝えている。5年間という歳月が、それを言い表す言葉を授けてくれたのである(「16歳の語り部」ポプラ社)▲震災から5年、悲しみや痛みを共にした人々をつなぐ言葉や物語も日々新たにつむがれなければ、やがて失われよう。昭和の女川の古老から現代の高校生へ、時空を超えて継がれるバトンもある。

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