青い目の人形、平和問う 日米友好懸け橋、一転敵に
日本と米国が戦火を交える前の昭和初期、「青い目の人形」と呼ばれる約1万2千体ものアメリカ人形が日本に贈られた。両国の友好の懸け橋として子どもたちにかわいがられたが、太平洋戦争が始まると一転、敵性の対象として次々と破棄されていった。京滋に今もわずかに残る人形は、平和のあり方を私たちに問いかけている。
青い目の人形は1927(昭和2)年、親日家の米国人宣教師シドニー・ギューリック博士(1860~1945年)がつくる世界児童親善会から日本に届けられた。当時、米国内では排日移民法が成立するなど日本人移民に対する排斥運動が高まっていた。同志社大や京都大で教壇に立ち、20年以上も日本に滞在したギューリック博士は、溝が深まりつつある日米関係の親善を図ろうと、人形を大切にする日本の文化に着目し、ひな祭りに合わせて人形を贈ることを計画。資金の寄付と手作り衣装の募集を全米に呼びかけ、1万2739体が用意された。
人形は腰を折ると「ママー」と声を出し、寝かせるとまぶたを閉じるものが多かった。それぞれに名前が付けられ、パスポートも持っていた。日本側は実業家の渋沢栄一が受け入れに協力し、全国の幼稚園や小学校に分配。京都は262体、滋賀は135体が届いたとされる。
日本での反響も絶大だった。同年3月1日に人形が京都に到着した時の様子を、京都新聞の前身「京都日出新聞」は次のように報じている。「市内の各小学校、幼稚園の代表児童4人ずつが駅前の広場に集まり日米の国旗を振りかざして歓迎の式を行った」「美しく飾られた3台の自動車に分乗してまず京都府を訪問した」。同3日には京都市左京区岡崎の市公会堂であらためて歓迎会が行われ、ひな壇に一堂に並べられた人形を前に児童約600人が歌うなどして盛大に祝福した。
破棄を免れた青い目の人形は全国で330体余りが現存している。その一つ、ジョイス・アダムスちゃんを保管するときわ幼稚園(下京区)では毎年、ひな飾りと一緒に人形を園児たちに披露している。今月3日、園内のひな祭りで、女性教諭が「アメリカと日本がけんかをした時、たくさんの人形が壊されたけど、幼稚園では大切に隠していたの」と説明すると、園児たちは不思議そうな表情を浮かべながら「何歳?」「優しそう」と見入った。
多くの子どもが手に取ってきたのだろう。元の髪と衣装は老朽化し、数十年前に園児の保護者が新しく作り替えたという。「よく90年も残ったものです。日本はいま豊かだが、世界では幼い子が犠牲になる紛争やテロが起きている。腹立たしいですね」。園長の橋川昌治さん(56)が人形を抱くと、青い瞳をパチパチとまばたきさせた。
【 2016年03月06日 10時45分 】