2011年の3月11日、午前10時頃。
僕は高校の卒業式の予行に参加していた。卒業生として。
予行が終わり、その日は午前で解散だった。
バイトもせず暇な僕は、部活の友達と5人ぐらいで部室でダラダラと他愛もない話をしていた。そのうち顧問の先生もやってきて、3年間の思い出を語り合った。
僕は高校の3年間、映画製作をしていた。
そのうち後輩もやってきて、みんなで作った映画を観ていた。
それで、午後2時46分。
もうめちゃくちゃ。
渡り廊下は歪んで、窓ガラスはひび割れて、体育館のライトは落っこちてきた。
家に電話したけど、携帯はつながらない。
僕は家から電車で40分くらいかかる高校へ通っていた。とりあえず駅へ向かう。
駅前には大きなモニターがあって、NHKのニュースが放送されていた。
津波にのまれる街。
映画のようだ、と思ったのを覚えている。
案の定、電車は動いていない。
親に車で迎えに来てもらってなんとか家に帰れたが、ニュースとACのCMの繰り返し。
翌日は原発問題。
その後は計画停電で家の中真っ暗。家族4人集まって懐中電灯で部屋を照らしながらラシオを聞いたのを覚えている。
阪神淡路大震災のときは3歳だったから、あの震災は僕達世代にとって初めての大災害だ。
そんなこんなで、今でもスラスラと何があったか思い出して文章に出来るぐらい、強烈な思い出として残っている。
その強烈な記憶は、僕の価値観をちょっと変えたと思う。
今を楽しもうと思うようになった
津波で流される街を見て、僕は未来に期待するのをやめた。
どんだけ将来のために我慢して、頑張って、備えたって、一瞬で全て無くなっちゃうこともあるんだもん。
だったら将来のために我慢することなんてやめて、今を楽しんだほうが得じゃん、って。
老後のために我慢、出世のために我慢なんて、馬鹿らしい。
コツコツ貯金なんて馬鹿らしい。
いまが辛くても、将来のために我慢しろなんて、アホらしい。
それより今が楽しいほうがずっと良い。
だって明日何が起こるかわからないもん。津波に飲まれるかもしれないもん。
だから、いまやりたいことを、やる。
と言いつつ、貯金はしっかりしている小心者のキリンであった。
以上!またみてね!
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