リオデジャネイロ五輪アジア最終予選で敗退した女子日本代表なでしこジャパンが、消化試合の最終戦で北朝鮮に1-0で勝った。2勝1分け2敗の3位で、4大会連続の五輪出場を逃した元世界女王。その衰退の要因を探る連載「凋落なでしこ」の最終回は、佐々木則夫監督(57)の長期政権に甘えた日本サッカー協会の失態と、地の利を生かせなかった未熟さに迫る。

 12年9月30日。ロンドン五輪で銀メダルに輝いた監督の佐々木は、日本協会との契約が満了し“無職”になっていた。長期政権を懸念した協会が体制刷新を図ったものの、功労者を宙に浮かせた上に、後任も決められない事態に陥った。女子のS級ライセンス保持者を含む複数候補と接触したが、いずれも断念。組閣人事など条件面で破談し、続投の意思がなかった佐々木に、あわてて頭を下げた。

 10月末にようやく契約を結び直したが、一時期の求心力はない。選手だけでなく、なでしこリーグとの溝も年を追うごとに深まっていく。あるクラブ幹部が証言する。「彼は変わった。以前は視察時に必ず会場で話ができたが、去年は1度もない。代表招集の打診も状態の把握も、電話の1本もない。何か言われるのを恐れているようだった」。

 それでも佐々木と心中するしかない協会は、違った形のサポートに回る。最終予選の自国開催。これが今回ばかりは裏目に出た。スポンサー難で韓国、中国が手を挙げなかった事情などから単独招致に成功。しかし、選手は意外なもろさを露呈した。「かなり緊張しそう」「ホームは声援が大きいので(指示の)声が通らないかも」。元女王らしからぬ心配が的中し、初戦からガチガチに固まった。

 土壌の問題だった。なでしこリーグ関係者は「昔は女子の試合を日本で行えば確実に赤字になった。経費が旅費だけで済み、招待もある海外での試合しか組めなかった」。時代は変わったが、佐々木の就任から予選前までの計120試合のうち101戦が海外で、国内は19戦だったのは事実。4、5戦目は応援を力に変えたが、女子委員長の野田朱美は「行けて当たり前の空気とホームの重圧は、半端ではなかった」と期待につぶされた。注目度が段違いの東京五輪への課題だ。

 予選前は対外試合を組めなかった。「練習で課題を見直すだけでいい」という佐々木の見通しの甘さに、女子副委員長の上田栄治も「スケジュール的にも無理」と同調してしまう。予選突破したオーストラリアと中国が連戦して乗り込んできたのに対し、日本は0。15年W杯後の8カ月間で主力が出場したのは昨秋のオランダ戦だけ。監督に要望を押し通しても良かった。

 11年W杯で優勝し、12年五輪と15年W杯では銀メダル。なでしこジャパンの功績は色あせないが、世代交代で後れを取っており、冬の時代が到来する。日本協会の次期会長、田嶋幸三は「シドニー五輪を逃した時は休廃部に相次いだが、W杯を勝った今はベースが違う。もっと上から再スタートできる」と強調するが、そのベースの維持と再建の保証はない。(敬称略)【木下淳、鎌田直秀】