どうも、束子。です。この記事は読む人によっては気分を害する記事なので、途中で「あ、これ嫌だ」と思ったら、即座にブラウザバックしてください。
最近、水素や意識高い系ブロガーに「はてな民」が釣られている。そして水素が大爆発した頃から、某子会社で営業事務員を勤めてる友人に「束子、忙しいの?」とよく聞かれている。
はっきり申し上げると、私は両者が嫌いだ。いや、嫌いというより、こんな台詞を捧げたくなる。
「よう! お前ら暇か!」
相棒シリーズより/組織犯罪対策部5課・課長 角田六郎の台詞より引用
はてな民がチョロすぎる
水素水しかり、意識高い系しかり、はてな民はチョロすぎるきらいがある。
ずいぶんと昔に、はてな以外のブログを運営していた頃の感覚が染み付いている所為なのか。それとも『炎上』という文化に、未だ慣れていない所為なのか。はてなブログ界に親しみが湧いてきた今日この頃、はてな民が「炎上記事」に釣られすぎな気がしてなりません。
もちろん、私だって釣られることはあります。最近だとクラウドソーシング問題でしょうか。恐らくクラウドソーシング問題も、いろんな人が釣られて炎上して大規模なキャンプファイヤー状態になった結果、最終的に「旬なトピック」として公式ネタっぽく収まったような気がする。
そして、私も炎上に灯油を撒いて木を焼べた。3記事ほど書いて、最もシェアされたのは「クラウドソーシングは本当に魔の巣窟なのか」でした。言及もしていただいたことで安定したアクセス数が僅かに伸び、読者数も増えるキッカケとなった記事。灯油を撒き火を焼べることで、燃え盛る炎からお零れを貰ったのだ。つまり、炎上に便乗した形である。漁夫の利とも言えるだろう。
もっとも、クラウドソーシングの経験がなければ、3記事も書かなかったでしょう。今までの炎上記事と同様に「あらー、よく燃えてるわねぇ」と眺めるだけで、スルーしていたはず。経験から抱いていた不満や主張したいことがあったからこそ、敢えて釣られたのです。敢えてね。
それに比べて、水素ネタはどうだ。たぶん私の中の水素水の知識は、着火させた人の知識とさほど変わらない。変わらないどころか以下かもしれない。『水素水』と『炭酸水』の違いを明確に語れないのが、その証拠だ。
しかし、件の記事が「おそまつ」だったことは、知識のない私でも理解できた。はてなブログのトップにデカデカと紹介されている水素水記事に、どんな優良な情報が載っているのかと、僅かに心を躍らせて開いてみれば……最後まで読む価値のないクソみたいな記事でしたというオチ。
私は心底ガッカリした。こんなクソみたいなくだらない記事に数分が奪われたこと、私の貴重な1アクセスをクソみたいなものに捧げたこと。文系(笑)と言いたくなるぐらい稚拙な言い回しと間違った日本語の数々を、少しでも読んでしまったこと。全てにガッカリした。学がない私より酷い文章にも、無駄な改行にも腹が立つ。これはクソみたいではない、クソだ。う◯こだ。──と、散々心の中で罵った後、即ブラウザバックした。そして、落胆の次に湧いたのが『疑問』だった。「なぜこんなクソ記事が、はてなブログのトップ画面に君臨してるのか」
答えは簡単でした、炎上していたからです。
驚くべきことに、水素は炎上しながら多くの『スター』と『はてブ』を獲得していきました。クソなのに。グーグルのニューストピックにも乗りましたから、アクセス数の多さは想像に難くありません。
さらに驚くべき点は、あの『スター』や『はてブ』が「賛同」によって付けられたものではないということです。もちろん、賛同する人もいます。しかし、ほとんどが記事および書き手を非難・誹謗中傷するものだったのです。コメントもまたしかり。私はてっきり、『スター』や『はてブ』は「肯定的に使われる」──つまり「激しく同意」だとか、「私はあなたを応援してますよ」という意味で用いられるものだと思っていたものですから、はてな民の多くが『はてブ』を付けつつ、片手に可燃性抜群の燃料、もう片方の手に釘バットやチェーンソーを持って嬉々として炎上させていることに、驚きと疑念が胸の中で混ぜこぜになりました。「クソだと思ってるなら、読まなきゃいいじゃない。はてブ付けなきゃいいじゃない。わけが分からないよ」
よくよく考えれば──いや考えなくても、あの「おそまつ」な文体と内容で、件の記事は「釣り記事」だったことがよく分かる。今日日、炎上しない記事の心得は、調べれば容易に手に入ります。炎上芸人を生業にしていない限り、極力燃え上らないように努めるのが常でしょう。にも関わらず燃えやすい素材を、明らさまな「あたちぃ、おバカさんなんですぅ」キャラで綴ったあたりに、書き手の「手練れ感」を感じる。彼女(彼かもしれない)はベテランの放火犯……いや、炎上芸人だったのだろう。
水素水記事は、釣りの餌としては安い。極めて、やっすい餌である。そんな安い餌に食い付く「はてな民」。安い餌に食い付くもののことを、魚界隈では「雑魚」と称する。
意識高い系のネタも同様だ。彼らは半ば、炎上芸人である。彼らが吐息を漏らせば、そこから大規模な山火事が起こるのは想像出来ているはずです。そして彼らも、PV数──つまりアドセンスのために、炎上を狙っている。はてなブログで活動しているのなら容易に想像が付く筈なのに、ホイホイと安い餌に釣られて燃やしている。炎上させることに燃えている。同意出来ないなら、批判を持つなら、コメントもアクセスもしなければ良いのに。バカなのかな? ツンデレなのかな? よく分からない。
ここまでくると、炎上する側も木を焼べる側も、グルな気がしてきます。前者が某擬人化国家漫画の「悪魔を呼びそうなイギリスの唄*1」を高らかに歌い、後者が「翔べ! ガンダム*2」を口遊みながらの炎上コラボ。もしコラボしているのなら、「はてな民」ではなく「はてな劇団」へ、直ちに改名するべきでしょう。
もしもグルではないのなら……ただ無意識に鬱憤が晴らせそうなネタを求めて彷徨い、ホイホイ釣られて「スター」と「はてブ」を付けながら批難しているなら。直ちに辞めた方が良いでしょう。放火犯と、炎上芸人と、漁夫の利芸人に無駄銭を投げているだけで意味がない。そして、チョロい。燃えやすいネタが絡むだけでポンコツに成り下がるって、どこの松野家三男だ。
営業事務員は「忙しいの?」って聞く余裕あるの?
世は年度末。たいがいの会社員が多忙に追われているはず。
医療事務員は年度末云々関係なしに忙しいし、イベント系のスタッフ業やテレビ関係の美術業も、「年度末だから」と言って忙しいことはない。どちらかというと、両者とも忙しい時期が微妙にずれていたりします。
ツイッターで漏らした通り、パートナーちゃんは幼稚園教諭。この時期の幼稚園教諭は殊更忙しいらしい。恐らく、教職に携わる人々は等しく多忙でしょう。そのおかげで、ここ数週間は彼女とまともに連絡が取れない状態である。まあ、彼女と私の事情に関しては、この記事では関係ないので省略。
「忙しいの?」と問うた友人は、私がニートにも関わらず共通の友人含めまともに連絡を取らず、『白猫プロジェクト』へのログイン回数が大幅に減ったことに疑問を抱いたに違いない。
彼女は私が会社を派遣会社を辞した時に、「羨ましい」と言った。
「良いなー、ニート。無職。臑齧り。羨ましいよ。好き勝手に小説や漫画読んだり、アニメ観たり、ゲームやり放題なんでしょ? 好きな時間に寝て、好きな時間に起きられるんでしょ? 羨ましいいいいいいい!!!」
現実は違う。
もちろん、好きな時間に起きて、好き勝手に読書をしてアニメ見て、ゲームやり放題やって、好きな時間に寝るニートも実在する。しかし、残念なことに私は違うのだ。
寝る時間は自由だが、朝は6〜7時の間に起床。家事全般を母と分担してこなし、求人をチェックしてから食材買い出しに街へ繰り出す。帰宅すればブログを執筆し、クラウドソーシングで割りに合う業務を遂行。夕飯を作り、食した後に読書……たまにブログを書いているが、たいてい読書。最近はもっぱらビジネス書や、「わかりやすい文章の書き方」的な本を読んでいる。風呂を含め寝る支度をしながら、購読中のブログチェック。この時点で21時30頃。親への感謝を込めながら肩もみを施行しつつ、やっと届いたパートナーちゃんからのLINEへ即返信。ベッド潜って読書の続きか、作業の続き。最近はツイキャスへの研究や視聴が追加され、近々配信も組み込まれる予定。そして眠れない真夜中は、気になるマイナーニュースを探したり、動画をチェックする……。
このように、ニートであるにも関わらず、好き勝手読書する暇もゲームに耽る暇もない。以前は「白猫プロジェクト」に耽っていたが、その時間も潰してしまった。
彼女は純粋に問うたのだろう。「最近、忙しいの?」と。他人のことを常に気にかけるような人なので、人権がない無職な私に対しても、すべからく気に掛けてくれたに違いない。しかし、私からの答えは一択です。「忙しいよ、超絶とは言わないけど」「むしろ、逆に忙しくないの?人に問う暇あるの?」
残念ながら、私は営業事務の経験がないので、年末の彼女たちの多忙さがわからない。
「よう!お前ら暇か!」
ただ言えるのは、安い餌に釣られる「はてな民」も、態々「忙しいの?」と聞く余裕がある営業事務員も、総じて暇そうだなということです。
何かに必死であれば、釣られることも問うこともないでしょう。だって、自分の事で精一杯だもの。他人を気にしたり、いちいち反応したりする暇なんてないはずです。
加えて言えば「はてな民」は、炎上の可能性がある記事を、日頃の鬱憤とストレスを発散しながら自己顕示欲を満たす場だと思い込んでる節がある。そして、クソ記事にクソコメを書くことで自分が正しいと悦に浸り、クソコメにクソコメを返すことで自分は正義だと悦に浸る。気持ちわるーい。チョロ民がいっぱいで、気持ちわるーい。そして非常に生産性のない無意味で不毛な行為であるということに、気が付いてないのが気持ち悪いを通り越して呆れる。
しかし、私がいくら気持ちわるーいと思っても、やっすい餌に釣られるのは村の文化の様ですね。今日も、やっすい餌に釣られる「はてな民」──もとい、チョロ民。まあ、文化なら仕方がない。いつまでも灯油やガソリンを撒き散らかして、火をつければよろしい。そして釘バットとチェーンソーを振り上げて、フルボッコにし合えばよろしい。
私はその様子を離れたところで、マシュマロと茶をしばきながら眺めるだけなのです。