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教育あしたへ

選ばれるより選ぶ力―教育あしたへ4

2011年1月13日9時17分

写真右が正社員、左がフリーターの生涯賃金を示す「札束」。その差は歴然=昨年12月3日、福岡市東区の九州産業大、相場郁朗撮影

写真中小企業の説明会で出展企業の担当者から話を聞く学生=昨年12月12日、東京都江東区の東京ビッグサイト、川村直子撮影

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 正面玄関を入ると、1万円札の札束を模した置物が二つ置かれていた。

 正社員 2億9000万円

 フリーター 9120万円

 九州産業大学キャリア支援センターに来る学生は「札束」が嫌でも目に入る。正社員の生涯賃金を示す札束のかさはフリーターの3倍を超す。

 就職を希望する九産大4年生の4割弱はまだ内定がもらえていない。キャリア支援センターの久保裕道事務部長は「定職に就かなくてもなんとかなると思っている学生もいる。『札束』で現実を見つめさせたい」と話す。

 2人に1人が大学に進学する一方で、企業は採用を絞った。大学を出ても職につけない若者が増え、大学も「学問の府」として超然としていられない。履歴書の添削、お辞儀指導といった「就活」での競争力、いわば企業に「選ばれる力」を高めようと各大学が「キャリア教育」を競う。

 だが、今年3月に卒業見込みの大学生の求人倍率は、人気の高い従業員5千人以上の大企業では0.47倍(リクルート調べ)。どんなに「選ばれる力」を育てても学生の希望は半分もかなえられない。

 発想を変えてみてはどうか。「人気企業」に選ばれるのではない。自分が働きたい会社を選ぶ。大学は「選ぶ力」を育むという転換だ。

 千葉商科大学が3年前から始めた「熱血講座」。卒業生らが講師となる。のり製品の製造販売会社を1975年に起業した大野誠治さんは経営不振でうつ病になったこと、そこからはい上がったこと、そしてこれからの夢を語る。

 講義の最後に大野さんは苦しかったころ聞いたゆずの「栄光の架橋」を学生と歌う。「誰にも見せない泪(なみだ)があった」と歌い始めると大野さんは涙ぐみ、学生も涙を浮かべる。ひたむきに働く意味を体感するのだろうか。「様々な仕事を通じ、夢は実現できると伝えたい」と大野さん。

 島田晴雄学長は「経営者に触れ、仕事の具体的なイメージが持てる。その作業は仕事を選ぶ時に役立つ」と話す。

 12月18日、関西大学で大手前大学、関大、京都女子大学の合同ゼミ発表会が開かれた。与えられた課題は「考えよう、私たちが40年間働き続けたい企業とは」。就職はゴールでなく人生の始まり、というメッセージも教員らは「40年」に込めた。

 「子どもを産んでも働きたい」「グローバルに働きたい。でも日本の強みも生かしたい」。学生らはこんな議論をし、働き続けたい会社を探した。夏休みに企業を訪問、人事担当者と面談した。

 学生は高島屋、ダイキン工業、カゴメ、未来工業などを選んだ。経営の厳しい百貨店業界や、必ずしも学生の人気が上位ではない企業が並んだ。ゼミに参加した3年の学生は「星の数ほどある会社から働きたい会社をどう選ぶかを学んだ」と振り返った。

 京都女子大の西尾久美子准教授は「学生は名の知れた聞いたことのある会社に行きたがる。それでは就職は難しい。自分にとって何がいいのかを選ぶことが必要だ」と指摘する。

 企業社会への入り口は狭くなり、雇用形態や採用の仕組みは複雑さを増すだろう。人生を「選ぶ力」を育めるかが一段と大切になる。(編集委員・安井孝之)

■「いい会社」自分次第

 午前中から始まった学生らの列は夕方まで途切れることはなかった。2千人余りの大学4年生が12月12日、東京ビッグサイトで開かれた中小企業の合同企業説明会に集まった。多くは人気の高い大企業を目指してきたが、かなわなかった学生たちだった。

 従業員千人未満の会社の求人倍率は2.16倍(リクルート調べ)。数字上は希望者はすべて入れるが、参加した中小企業の社長は「100人近く面談したが、入ってほしいと思ったのはひとりか2人」と話した。

 大学への進学率は戦後、着実に増えてきた。50年前は10%を下回っていたが、1990年代半ばに30%台に。09年に50%を突破した。

 企業はグローバル競争の激化で、事業を拡大するにしても人員はぎりぎりまで減らす。優秀な人材に限った厳選採用の姿勢も崩さない。大卒者が確かな仕事を得ることは厳しさを増している。

 リクルートによると今春卒業予定の就職希望者(10年4月時点)は1.9%増えたのに、採用予定数(同12月時点)は2.2%減った。昨年春に卒業した学生の8万7千人が就職できなかった。今年はさらに増える恐れがある。

 政府も事態を放置できなくなった。昨年、大学設置基準を改正、今春から「社会的及び職業的自立を図るために必要な能力を培うための体制」の整備を義務づける。

 東洋大学の関昭太郎常務理事は「これまで大学には学生の『出口政策』がなかった。どのように大学から社会に送り出すか考え、教育内容を見直さなければならない」と警鐘を鳴らす。

 東洋大学は12月に入って、中小企業を招いた学内企業説明会を3回開き、今月にも開く。「大卒なのだから大手に」と期待する保護者向けのセミナーでは、中小企業にも目を向けてと訴えた。

 就活支援を懸命に進めるものの、関常務はそれだけでは十分ではないと考えている。「例えば東洋大学のような中堅大学では大手企業に入っても、組織の歯車になることが多い。それよりも小さな会社で経営に参画した方がすばらしい、という価値観を学ぶことが大切ではないか」

 「いい高校→いい大学→いい会社」という単線型社会の価値観から脱皮してはどうかという提案だ。「いい会社」も個人によって様々で、社会への入り口も一つではない。本来、人生は複線なのだ。

 社会も様々な生き方を認める複線型になってゆくには、自分に合ったどんな人生を選ぶかと考える契機となるキャリア教育が必要になる。

■多様な生き方 企業も受容を

 それは大学にとどまらない。秋田県の能代高校は07年から1年次に先輩ら社会人の経験談を聞き、2年次に地元企業や大学、自治体にインターンシップに行き、将来、就きたい仕事について考えさせるキャリア教育を始めた。

 大半が進学する普通科高校では珍しい。山本達行校長は「将来から逆算して、どの大学のどの学部に行き、何を学ぶかを考えさせたかった。高校での学びと将来とがつながり、学ぶ姿勢にも真剣味が見え始めた」と話す。

 キャリア教育を始める前と後では推薦入学による国公立大学合格者が3倍程度増えた。大学で学ぶ目標が明確なほど、面談などでの評価が高い結果だと見られている。

 生き方の多様性を高める複線型社会は望ましい。そのためには初等中等教育や高等教育のそれぞれのレベルでのキャリア教育が必要になる。

 一方、企業は新卒者一括採用を見直したり、採用時期を遅らせたりして、多様な人材を採ろうと複線型を目指しているようにみえる。だが、将来に楽観はできるだろうか。

 リクルートのワークス研究所の徳永英子研究員は「複線型がすべての学生に望ましいかはわからない。上位校の成績の良い学生はどんな制度にも対応できるだろうが、その他の学生はいまより厳しくなるだろう」と指摘する。

 卒業後3年までは新卒者扱いとした場合、リクルートは今より未就業者は7割ほど増えると予測した。

 就職できなかった既卒者が3年間は就職市場に残る可能性があり、その結果、競争がより厳しくなるからだ。

 昨年10月1日時点の大卒予定者の就職内定率は57.6%だが、都内の上位校は8割を超えている模様だ。企業側は「大学、学部は問わず」と言うが、入学難易度の序列を映す結果となっている。

 若者の多様な生き方を保証するには企業社会もそれを受容するよう名実ともに努力しなければならない。複線型社会は、さまざまな経験と知識を持った人材と、さまざまな経験と知識を欲する企業とが出合えて初めて実現する。(編集委員・安井孝之)

■スウェーデンでは 就職の道「複線型」

 スウェーデンの大学生は「就活」に追われない。高卒後、19歳で大学に入るのは10人に1人。多くは「なぜ進学するのか」という動機が熟するまで社会で働く。企業も卒業年齢にこだわらない。独特のバランスが保たれている。

 ストックホルム大学3年のシモン・ヤコブソンさん(23)は高卒後、飲食店で皿洗いやコックをした。スペインで語学を学び、帰国後、夏には白夜となる地方で働く。趣味のハイキングで、ヘラジカがすむ大自然を満喫した。

 21歳のとき、勤め先のレストランから誘われた。「支店長にならないか」。それも一つの人生だ。でも別の気持ちが頭をもたげた。北欧の豊かな自然も気候変動や開発にさらされている。環境を守る仕事に就きたい。それには大学へ行って学ばねば。

 「高卒時は自分が何になりたいのかわからなかった。2年間、旅をしたり、いろんな人々に出会ったりして人生の目標が見つかった」

 「高福祉高負担」のこの国で授業料は無料。さらに学生には生活費として、低利学資ローンなどで月額約8千クローナ(約10万円)が国から支給されるという手厚さだ。

 大学は大半が国立だが、IT化やグローバル化に対応するため、1990年代に大きな改革をした。大学が学部構成を自由に決められるようになり、講座も職業訓練の色彩が濃くなった。

 このため学位は「職能資格」とみなされる。入社すれば即戦力だ。社会人も転職やレベルアップをめざして大学にくる。30代、40代の学生も珍しくなく、平均年齢は26歳と高い。ストックホルム大のコーレ・ブレーメル学長は「学生は雇用につながりやすいかどうかで講座を選ぶ。彼らの声に耳を傾けながら運営している」と話す。

 経営コンサルタント会社の人事課長マレーナ・ソーデルリンドさん(27)は大学で人事管理学を選んだ。「09年に卒業したら、リーマン・ショック不況の最中」。それでも求職サイトに履歴書をのせると、いまの会社から電話がかかってきて採用された。

 国民全体でみれば進学率は日本とほぼ同じ。だが中身はずいぶん違っている。高校→大学→就職という「単線」でなく、大学を中継点に「複線」人生を歩める。

 「高卒後は親元を離れ、経済的に自立するのが当たり前」(ソーデルリンドさん)という社会慣習もその背景にある。(ストックホルム=橋本聡)

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