2016年03月10日

肉のおすそ分け



 私がよく行くUキャンプ場には、ソロキャンパーが多い。
 Uキャンプ場は中部地方の湖沿いにあり、入り口手前がファミリーキャンパー、奥がソロキャンパーと、暗黙の了解的に住み分けが出来ている為か、ソロキャンパーも積極的に利用しやすい。ここは、程よい地方都市の郊外にある為、夏の最盛期でない限り人でごった返す事もなく、私は気に入って利用している。
 そのUキャンプ場に集まるキャンプ客は、ソロキャンパー同士で顔馴染みも多く、目線が合えば挨拶くらいはするし、人懐っこい人であれば、一緒にお酒でも、となる事もあるようだ。
 ソロキャンパーにも色々な性格の人が居て、話しかけられたくない雰囲気を全身から放っている人も居れば、他のキャンパーと馴れ合うのが苦でない人も居る。私はどちらでもなくて、気分次第だろうか。

 今年の紅葉が始まろうかという頃、私は、このUキャンプ場のいつものスペースでソロキャンプをしていた。程よく色づいた木の葉を眺めながら、ビールを片手に日が暮れていく時間を楽しむ。この時間がたまらなく好きだ。
 暗くなってしまう前に、そろそろ夕食の準備をしよう。今日の夕食は、ソロキャンプならではの楽しみである一人焼肉だ。店で一人焼肉はハードルが高いが、ソロキャンプでの焼肉は定番なのである。焼肉といっても、私は野菜は焼かない。食べたいだけ肉を思う存分焼いて食べるだけの、不精な焼肉だ。
 焚き火台に火はおきているので、その熾きの中に炭を投入する。チンチンと炭が心地よい音を鳴らしながら徐々に赤くなっていく。この炭火がおきていくゆっくりした時間も、私のキャンプの楽しみの一つだ。

「やあ、焼肉ですか」
 突然後ろから声がかかり、ドキッとして振り返る。
 知人ではないが、顔は知っている。多分この人は、Uキャンプ場の常連のFさんだ。おしゃれなキャンプ道具を揃えていて目立つので、ある意味でUキャンプ場の有名人だ。私は読んだ事はないが、Fさんはブログもやっていて、結構評判も良いらしい。
 気をつけて周りを観察していなかったが、私の隣のテントがFさんのものだったようだ。いつもは色の白い小太りの奥さんと二人で来ているそうだが、このソロキャンパーが多い側のキャンプサイトにテントを張っているという事は、たまにはソロキャンプもするという事だろう。
「こんばんは。もしかしてFさんですか?」
「そうです。突然声をかけてしまって、すみません」
「いえいえ、いいんです。どうせ一人で肉を焼いてビールを飲むだけですから」
「私も今日は一人焼肉なんですけどね、多く肉を切って来ちゃったもんですから、一人じゃ食べ切れなさそうなんですよ。これ、かなりいい肉だから、おすそ分けしようかと思って」
 Fさんの手に握られているビニール袋は大きなものだった。いい肉だなんて、私の安い肉を見ての皮肉かとも思ったが、どうもFさんの表情からは悪意は感じられなかった。
 キャンプをしていると、おすそ分けされるという事はよくある。そういう時、私は欲しくなくても失礼のないように受け取る事にしている。
「えっ。いい肉だなんて、いいんですか?」
「ええ、是非食べて貰いたいんです。私が特別に準備した肉で、滅多に手に入らないものなんですよ」
 特別に準備して、とても良い滅多に手に入らない肉か。純粋に興味がわいて来た。
「それはすごいですね。是非食べてみたいです」
「そうですか!じゃあ、一緒に焼いて食べませんか?色々な部位を持ってきたんで、説明させて下さい」
 一緒にか。気分が乗らない。ソロキャンプなのだから、そこは空気を読んで欲しい。この人はあまりソロキャンプをしないのだろうか、こちらの気持ちを汲み取れないらしい。私は一人で夜を楽しみたいのだ。しかし、ここまで話が進んでしまってから断る訳にもいかない。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ…」
 Fさんの口角がグニャッと上がった。

 Fさんがチェアを私のテントサイトに持ってきた。
 早速、ジュウウウ、と私の焚き火台の上で良い音を立てて、肉が焼かれ始める。
 Fさんは、小さなビニール袋に小分けにされている肉を数枚ずつ取り出し、網の上に並べていく。
 不思議な色の肉だ。牛肉のように赤々しくもないし、豚肉のようなピンクでもない。そのちょうど中間の色に見える。部位によっては、ほどよく脂ものっているように見える。
「これは腿で、これが肩。これはあばら。あ、内臓も食べられます?これ心臓です。」
 ランタンの色で、てらてらと肉が照らさている。
「まずはこれですかね、タン。焼けましたので、どうぞ。このネギを巻いて食べると旨いと思いますよ」
 これがタン?牛にしても豚にしても、タンはこんなに小さくない。何の肉だ。
「これ、牛でも豚でもないですね。何の肉ですか」
「まぁまぁ、食べてみて下さい。旨いですから。この肉は火を通しても硬くなりにくいんですよ」
 焚き火台の上の肉に目を落とす。牛でも豚でもない。鹿にしては肉が赤くない。熊だろうか。熊のタンなんて聞いたこともない。
 恐る恐る口に運んで、一噛み二噛みする。ぷりぷりしているけれど柔らかい。臭みもない。何の肉か分からないけれど、確かに旨い肉だ。噛めば噛むほど旨みを感じる。たまらず、ビールをぐっとあおった。
「旨い!歯ざわりも良いし、始めて食べる味だけど、旨いですね、これ!」
 Fさんの口角はますます上がった。
「わかりますか!そうでしょう!もっともっと食べて下さい」
 私は、Fさんの言うがままに食べに食べた。もも肉は柔らか。心臓も独特の味だが、血の臭さのようなものはなかった。あばら肉は適度に脂が乗っていて口に含んだ時のの脂の旨みといったらなかった。
Fさんは焼くだけで食べようとせず、ニコニコしながら私にばかり食べさせた。Fさんは家でたくさん食べてきたからいらないのだという。それなら、何故こんなに肉を持ってきたのだろう。

 夢中になって食べていたら、あっという間に肉がなくなってしまった。こんないい肉をご馳走になれて、食べる前に少し不機嫌だったのは、すっかり忘れてしまっていた。
「いやあ、Fさん。こんな肉初めてです。本当に旨かったです。ごちそうさまでした」
「そうでしょう。私の肉の処理が良かったんでしょうね。始めてだったのですが、上手くいってよかったです」
 外見で決め付けるようだが、この小太りのFさんが狩猟をやるようには思えない。色白で全然日に焼けていないし、キャンパーなのに自然と関わっている様子が全く感じられない。どう見ても、七三分けで髪をなでつけて腹の出ている日曜日のサラリーマンという風体なのだ。
「…という事は、猟か何かなさるんですか?この肉は猪ですか?」
「まあ、しめる直前は猪みたいに暴れてましたよ。ははは」
 Fさんは、黄色い歯を見せて笑った。

 数日後、Uキャンプ場の仲間から聞いた噂話がある。Fさんがバーベキューをしている人に声をかけては、美味しい肉をおすそわけしているという話だった。牛でもない豚でもない肉に不思議がりながらも、一口食べてその旨さに驚き、誰しもが喜んで食べてしまうのだという。
 FさんはいつものようにUキャンプ場に来ているが、最近はいつも一人で、奥さんとはもうずっと来ていない。

Posted by epitaph at 08:13│Comments(0)
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