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元不良のバイカー集団 気仙沼を中心に支援活動

気仙沼市の沼尻海岸で遺留品の捜索作業を行う成田さん(左から2番目)たち
気仙沼市の沼尻海岸で遺留品の捜索作業を行う成田さん(左から2番目)たち
Photo By スポニチ

 1万5000人以上が亡くなった2011年3月11日の東日本大震災から、11日で、丸5年を迎える。今でも被災地では、大勢のボランティアが支援活動を続けている。その中には、宮城県気仙沼市を中心に活動する、元不良のバイカー集団がいる。荒くれ者たちが支援を続ける理由は、日常で言われたことのない“ありがとう”の言葉だった。

 津波に襲われてから約1週間後、仙台市や気仙沼市を、こわもての男たちが支援物資を持って走り回った。混乱した避難者から「なんであそこばっかり支援するんだ」などと不満の声が上がっても「すみません」と頭を下げる。チームを立ち上げた時に、まとめ役の成田智浩さん(49)が「俺らは善意を押しつけに行くんだから、文句を言われても必ず“すみません”と言おう」と決めたからだ。

 10代、20代の頃は暴走族に入っていたり、体に入れ墨があったりする元不良ばかりの集団。彼らの受け入れ先の気仙沼復興協会の千葉貴広事務局長は「最初は“こいつら大丈夫かな?”と思ったけれど、溝の泥さらいでも、海岸の掃除でも、頼んだ事は何でも一生懸命やってくれる」と話した。

 成田さんは仙台市出身。友人とバイクに乗るのが好きで、現在は埼玉県新座市でバイクショップを経営している。地震発生時は、都内にあった店のバイクの車検で品川にいた。地元の友人に電話をかけたが、つながらなかった。

 2日後、ようやく連絡が取れた地元の友人から「助けてほしい」と言われた。バイク仲間に声を掛けると、全国から2トントラックやワゴン車で計20台分の支援物資が集まり、100人以上で被災地へ向かった。

 半壊の家に近所の数人で集まってなんとか生き延びていた女性が「この辺りには政府も市の役人も来ない。捨てられたのかな…」と話した。それを聞いて、行政の目の届かない所を支援しようという思いを込め、チーム名を「サポート・ザ・アンダーグラウンド」と名付けた。

 2年目以降は気仙沼復興協会と協力して活動。毎月末の日曜日になると、約30人で気仙沼に向かう。延べ参加人数は2000人を超えた。

 成田さんは「最初は友達だけ助けられれば良かった」と語る。なぜ今でも活動を続けているのか。「言われたことがないから、被災地で“ありがとう”と言われたのがうれしかった。やる気が出て、気付いたら行くのが当たり前になっていた」と語った。

 被災地で感謝の気持ちを知ったバイカーは「10年、20年たっても、東北の人が“もう大丈夫”と言うまでは行き続けます」と力強く語った。 

[ 2016年3月10日 05:30 ]

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