理事長所信


第36代理事長 髙木 徳行



2015年度スローガン


臥薪嘗胆 ~精神一到何事か成らざらん~


理事長所信


[はじめに]
2011年3月11日の東日本大震災より4年の月日が経過しようとしている。私たちの故郷は倒壊した家屋・ブロック塀など、手つかずのまま放置され、至る所に瓦礫が散乱し、田畑は手入れがされず荒廃したままである。区域の再編により道路脇への侵入を防ぐ柵が設置され、除染により出た土や廃棄物が山積みとなっており、町中には異様な光景が広がっている。また、福島第一原子力発電所事故の影響により住民は避難を余儀なくされた状況が今なお続き、住民の人影はなく見かけるのは復興に関わる労働者ばかりではあるものの、少しずつではあるが着実に復旧が進み希望の光が見え始めてきている。しかし、目に見えない放射性物質との戦いと原子力発電所の廃炉へ向けた作業は、まだまだ続き再興までの道のりは遠い。
この東日本大震災と福島第一原子力発電所事故により大きく変わってしまった環境と、そこへ住み暮らしていた子どもたちの未来と真剣に向き合い、希望の光が見え始めている地域の再興を信じ、知性と勇気をもって努力を重ね、未来の子どもたちへ故郷をどのような形で残せるかを真剣に考える必要があるのだ。私たちの目標は遠いところにある。目標に向かって揺るがない気持ちを持って、どんな困難にもめげず地域の再興に向かって一歩ずつ歩んで行かなければならないのだ。

【地域の再生~10年20年先の未来をつくる~】 
私たちの住み暮らしてきた北双地域(旧標葉郡:現在の浪江町・双葉町・大熊町・葛尾村)は西に連ねる阿武隈山系の尾根線、東は太平洋に面し、日本海側からの季節風も阿武隈山系の山々に遮られ、沖合を流れる暖流(黒潮)の影響により、夏は涼しく、冬でも降雪が少ない温暖な気候で暮らしやすい地域である。阿武隈山系を水源とする大小の河川には鮎や鮭が遡上し、多くの釣り客と簗に集まる観光客で賑わいをみせていた。この水質良好な河川が太平洋へと流れ込み近海では、ヒラメやカレイ・北寄貝の好漁場となっていた。また、養殖施設が開設されヒラメや幻のカレイとも言われるマツカワカレイ、ホシガレイなどの水産資源、梨やキウイフルーツといった特産品も豊富で、国の伝統的工芸品にも指定されている大堀相馬焼や一千有余年続く相馬野馬追など様々な伝統・文化があり誇れる「たから」があったのだ。
しかし、町の大部分は立ち入りが制限され、長期的な避難生活が続き、未だ帰郷できる見通しすら立っていないのが現状で、15歳以下に至っては故郷への一時帰宅も許されず生まれ育った故郷へ立ち入ることができないのだ。この状況が長引くにつれ、震災の風化、地域の魅力や価値が忘れ去られてしまい故郷への関心が薄れてしまう。このような不安を払拭し、私たち青年世代は次世代に魅力溢れる故郷を残していかなければならない。
私たちは、常に未来の故郷を見据え、先人たちが継承してきた地域の歴史や伝統・文化・風習などを次世代に伝え残し継承していかなくてはならない。そして、「夢と希望満ち溢れる故郷」を再建できるよう歩みを進めなくてはならないのである。

【伝承~残さなければいけないもの~】 
 私たちの地域は、未だ全地域住民が長期的な避難を強いられている。しかし、故郷を離れて暮らすことにより、学んだこと、大切だと気付いたことが数多くあり、家族や地域住民との繋がり、自分の住んでいた地域の魅力や価値を再認識した。
 私は、一歳の誕生日を迎えたばかりで被災した長女と避難先で生を受けた次女の二児の父である。この二人の小さい子どもは故郷の記憶もなく思い出すらない。何故この避難先で生活しているのかを説明しても理解できる訳もなく、このままではこの子どもたちの故郷は避難先になってしまうのではないかと危機感を覚えるとともに憤りすら感じる。また、長期的な避難と先行きの見えない状況に疲弊し、避難先で生活を再建させ故郷へ帰ることを諦めた人もいるのだ。この家族や子孫の故郷は一体どこになってしまうのだろうと、時折考える時がある。故郷を知らない小さい子どもも故郷へ帰ることを諦めた人たちも故郷は標葉地域なのだ。今こそ再認識した地域の魅力と価値、そしてこの地域に起きたすべての事実を伝え残さなければいけないのだ。
私たちは、希望の光である未来の子どもたちへ地域の魅力と価値、そして何故、故郷を離れて暮らしているのかを伝え、離れ離れの住民の気持ちを繋ぎ故郷を残していかなければならない。私たちJAYCEEから地域の再興に向けた意識変革を起こし続けていくのだ。

【魅力~地域を担うリーダーの育成~】 
地域の再興には、常に前に進む凛然とした気概と高い志、そして地域を誇れる歴史観を兼ね備えた情熱と行動力のあるリーダーが必要なのだ。このようなリーダーは突如現れるのではなく、未来の子どもたちへ夢と希望を与え、地域再興に向け先頭に立ちどんな困難にもめげないという固い意志を持った行動力ある人財を育成していかなければならない。困難な環境下にあっても行動的で意気溢れる人財が育ち、活力に満ちあふれた環境をつくり上げていかなければならないのだ。
このようなリーダーが地域に存在し、明確なビジョンを持ち行動すれば、必ずや「夢と希望満ち溢れる故郷」の創造に繋がる。今こそ、私たちJAYCEEから未来に向けて奮起する時なのだ。

【仲間~会員拡大による組織の拡充~】 
 青年会議所は運動や活動を通し、仲間と苦楽を共にし、地域や子供たちの未来に対して夢を語り、考え、行動することでお互いに自己成長が出来る素晴らしい場である。その学びを社業や地域活動に活かし、地域の活性に繋げる事が出来る魅力ある団体なのだ。この魅力を多くの青年に発信し、一人でも多くの同志を増やしていかなければならない。
私たちは、幾多の困難を乗り越え青年会議所運動を展開してきましたが、活動エリアの事業所や入会を見込んでいた地域住民は避難により散り散りとなり、会員拡大に支障をきたす危機的状況なのだ。また、メンバーも各々の避難先より活動を続けてはいるが、参加できないメンバーも多数いるのも現状である。会員の拡大とメンバーの参加しやすい環境づくりは、今後大きな二つの問題としてLOM全体で取り組んでいく必要がある。そして、入会の浅いメンバーが即戦力となるようLOM全体でフォローし、充実した組織を形成することで組織を拡充しなければいけないのだ。
一人でも多くの故郷を愛する、志を同じくする仲間が増え、組織力を強化し日々の青年会議所運動の中で確実に成果を上げることにより、組織を成長させ、地域から求められ、頼られる団体になるのだ。

【覚悟~東北青年フォーラムの成功に向けて~】 
 東北青年フォーラムは、青年会議所の東北地区大会として、1953年に始まり、毎年時代に即した青年会議所運動を発信してきた。この大きな大会での青年会議所運動の発信機会は、2013年度に二本松青年会議所と2LOM共同主管という形で正式に決定し、浪江青年会議所創立以来初の機会となる。
私たちは、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故による様々な被害を経験した当事者として、私たちの地域だから発信できる事、私たちの地域でなければ伝えられない事を、東北地区協議会約3,500名の同志とご参加いただいた全ての皆様に対し、最大限に発信し、夢と希望を育める場を提供しなくてはいけない。
この発信機会を大切にし、共同主管する2LOMの垣根を越えメンバー一丸となり東北青年フォーラムを必ずや成功させ、地域住民の意識変革と啓発に繋げ、勇気と希望を与えるのだ。

【友情~共に学び絆を深めよう~】
 西宮青年会議所は20年前阪神・淡路大震災に見舞われ、見事復興を成し遂げた。その際に、全国の青年会議所の同志が支援に駆けつけ、支援活動を行ったのだ。その20年前の恩に報いる為、チャーターLOMの使命として、私たち浪江青年会議所の復興へ支援したいという温かい言葉を頂き、2012年度西宮青年会議所と国内姉妹締結を結ばせて頂く運びになったのだ。
私たちは、西宮青年会議所が復興過程から得られた経験とその教訓、私たちが経験した東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の現状と問題点を、青少年事業を通じ共に学び、絆を深め、想いと夢を持って2013年度より事業を展開してきた。
この国内姉妹締結に至った経緯と支援に感謝し、忘れることの無いよう子どもたちに夢と希望を与えることのできる事業を継続的に共に展開していく必要があるのだ。

【維持~ルールを守った組織の運営~】
  法人格の移行より1年が過ぎようとしていますが、メンバーの一人ひとりが十分に理解しているとは言えない状況です。一般社団法人格の維持・継続には、LOM全体の意識改革が必要なのだ。
様々な継続申請や法人格維持・継続に関わる勉強会等に、一部のメンバーだけではなく、メンバー全員が積極的に参加してもらい、知識と危機感を共有し、個々のスキルアップを図りながら法人格の維持・継続を将来に繋げていかなければならない。
公益法人制度の要諦を理解し、法人法を遵守した上での青年会議所運動・活動を行っていくことで、敬愛してやまない先輩方より連綿と受け継がれている浪江青年会議所の歴史を紡いでいくのだ。

【広報~スマイル・プロジェクト~】b>
 私たちは2011年3月11日以降、全国はもとより全世界から多くの支援と励ましの言葉を頂き、青年会議所運動を展開してきたのだ。この支援や励ましの言葉は決して忘れることはない。支援や励ましの言葉への感謝の気持ち、そして私たちの元気に活動している姿を発信していかなければならないのだ。
私たちの住み暮らしてきた故郷は、まだまだ困難な状況が続いてはいるが、私たちの地域から元気と会員間の絆の強さを発信して行くことで、支援してくださった方たちへの恩返しとなるように、そしてその笑顔が、地域住民に勇気と希望を与え地域の再興への特効薬となるのだ。

【結びに】
 戦後の焼け野原から、「新日本の再建は我々青年の仕事である」という志をもった青年たちが立ち上がった。それが日本の青年会議所の誕生であり出発なのだ。戦後の混乱期の先行きの見えない時代に、我が国の未来を強く信じて青年会議所運動に灯がともされた。私たちは、震災後のまだまだ困難な時代を生きている。愛する地域を夢と希望が満ち溢れた地域にするために、気概と覚悟を持って常に努力し前進して行かなければならない。今、私たちは未来へのバトンを受け取っている。このバトンをしっかりと握りしめ、共に未来へ繋げていかなければならないのだ。

今を生きる君へ

私たちの国日本は、とても素敵な国になりました。
「まち」は活気にあふれ、「ひと」は元気に満ちています。
日本には資源がない…そんなことはありません。
この国には「ひと」という素晴らしい資源があったのです。
自らには厳しく、相手にはやさしさが溢れる、そんな「ひと」です。
「ひと」が生み出す様々な可能性が、今日という日を明るく照らしています。
国民一人ひとりが幸せについて考え、話し合い、行動を起こしています。
自分一人で生きているのではなく、社会に生かされているのだと感じています。
君たちが汗を流し、行動したからこそ素敵な今があるのです。
だから、自分を信じ挑み続けてください。

2020年の私より
(公益社団法人 日本青年会議所 2010年代運動指針)

日本青年会議所の2010年代運動指針は、この手紙から始まっている。私たちは、将来この手紙に書かれた素敵な国(地域)になるよう、今から行動を起こそうではないか。私たち青年が地域から必要とされる社会資源となり、地域の先頭に立ち、どんな困難にもめげず努力し、進取果敢に行動することで、必ず「夢と希望満ち溢れた故郷」が実現する。自分を信じ挑み続けていくのだ。

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