※個人の体験に基づいて思ったことを主張しています。
ジェットスターで東京に向かう機内で事件は起こった
僕が福岡から成田に向かう飛行機はその日30分近く遅れていた。
アナウンスが響く。
「到着機材遅れにより、皆様には大変ご迷惑をおかけしておりますが今しばらく搭乗までお待ち下さい。」
ジェットスター、午前10:00発の便、価格8,800円
良く遅れることがあるジェットスターだがまぁ仕方ないだろう。
こんなに安く東京に行けるのだから。
新幹線でも乗れば2万はかかる。しかも6時間。
飛行機なら1時間半で行ける。
「お待たせしました。ただいまより後部座席のお客様から・・・・」
機内への誘導アナウンスが入った。
ようやく飛行機に乗れる。結構待ったなぁ。
待ちくたびれた客たちの列に並び機内へと向かった。
続々と機内に入っていく人たち。
乗客が全員席に座ったところで、すでに定刻より40分の遅れていた。
僕の座席は非常口から3列後方の座席。
CAのお姉さんが非常口付近へやってくる。恒例の非常口説明だ。
CA「えー今から非常口付近のお客さまにあんぜ」
乗客A「うるさいよ」
CA「えっ?」
突然の大声。
一瞬、沈黙が機内の中に流れる。
乗客A「一体何分待たせてるつもりなの?さっさと出発したら?」
CA「あ、あのーお客様。こちらは安全のために非常口についてごせつめ」
乗客A「きみ邪魔だよ。降りたら?」
「そんな説明いらないからさっさと出発して!どれだけ遅れてるかわかってんの?」
CA「ですが・・・」
乗客A「もういいよ。消えたら?」
あまりにも唐突な暴言。
次第に周りの乗客が苛立ち始める。
お前(乗客A)のせいでさらに遅れてんだろ、という感じ。
そのまま無言で立ち去るCA。
飛行機には気まずい空気が漂う。
その後、副操縦士がやってきて謝罪を行う。
副操縦士「お客様、予定よりかなり遅れており大変申し訳ございません。すぐに出発したいと思っておりますが、義務となっている非常口の説明はさせて頂く必要がございます。お聞きいただけますでしょうか。」
乗客A「一体どうなってるのこの航空会社は。もうすぐ1時間遅れだよ?」
「さっさと終わらせて」
その場はなんとかおさまり、CAが口早に説明を終わらせた。
飛行機はそのまま離陸した。
僕が思ったこと
そもそも40分以上遅れるっていうのは飛行機業界ではどうなのか。
日本に限ってみれば9割近くの便が定刻から15分以内で出発できているというデータもある。
日本の航空会社は世界トップレベル! 意外と知らない「飛行機の定時到着率」のデータ比較 | 仕事全般 | 内定・仕事 | フレッシャーズ マイナビ 学生の窓口
電車や地下鉄、バスなどあらゆる交通の便が定刻通りにやってくる日本社会はある意味異常なのか。それとも、それに慣れてしまっているのか。
そのあたりの感覚について差があると思ってあるにしても暴言を吐く客の心理には一体何が隠されているのか?僕が今回この件について思ったことがある。
価格と価値のバランスとリスクに対する考え
そもそも、急いでいるならジェットスターというLCC格安航空に乗ること自体が間違ってんじゃないの?
価格はもちろん安い。だけど、安いなら安いなりの理由を考えるべきだ。
ジェットスターであれば、あらゆる手続きがオプション化されセルフ化されている。
もちろん、機材を最低限に抑えているとか人員を減らしてコスト削減しているということはある程度予想ができる。
だからこそ出せる安さがあるんだと思う。
もちろんそれに伴うリスクも当然あるべきだと思っておかなければいけない。
この場合、遅延、安全面の不安、サービスの質などをある程度自分なりに想定して我慢しておかなければいけないんだと思う。
だってそれなりの金額しか払ってないし。
確かに40分というのは他を見ればかなり遅れているほうかもしれない。
それでもこのジェットスターの価格に、JALとかANA並みの高い価値を求めるのはおかしいと思う。
ブチ切れする心理は理解できる。急いでいればなおさら。
でも、それだけの金額しか払ってないんでしょ?
だったらその価値とリスクについてある程度はお客としての我慢も必要なんじゃないの?
被害者意識がなんか強い気がするのは気のせい?
私はお金を払った。だから正当なサービスを受ける権利がある。
本当にそうだろうか。
乗客Aは「遅れるのはおかしい」とまでは思ってなかったにしても、金さえ払えばすべてが解決するのだろうか。
お客様は神様なのか?その人個人が正当だと思わないサービスであれば、問答無用で文句を言い散らかしていいのか。
金を払えばそれでいいなんて都合のいい考え方は違う気がする。
払った自分にも絶対に責任がある。その選択を選んだという責任が。
もちろん、正当な金額を払って明らかにそれに見合う価値がもらえなかったのであれば正々堂々と問いただすことはできるはず。
だからそういうリスクも含めてちゃんと意識してる人ってのがどれくらいいるんだろう。
自分の選択は棚に上げて、自分を責めずにすべて相手のせいにする。
その怒りが暴言となって相手にめちゃくちゃな言い方をする。
暴言は自分自身の被害者意識に対する防衛反応のようなものなんじゃないかと思った。
怒りの矛先は直接その対象に向けられたり、ネット上に向けられたり、あるいは全く無実の人に向けられたりすることがある。
なぜ怒るのか?
それは自分が被害者であれば「楽」だからだ。
自分は何もしていない。100%相手の責任で起きたことだと思ってしまう。その方が自分が絶対的に立場が上になれるから。自分を責める必要がなくなる。
責任を取らずにグチを言うサラリーマン社会となんだか少し似てると思った。
善と悪という無関心さ
この件に限らず、価格と価値をあまりにも意識してないんじゃない?と思うことが結構ある。
例えば、たまにこんな広告を目にする。
・頭金ゼロ円で1億円を手にする方法
・年利20%以上!〇〇投資
・ローリスクハイリターン
そもそも、自分は全くの低リスクで得られるリターンは最大なんて虫が良すぎる。
そういったことをちゃんと調べて頭の中で考えれば分かるはずのに、コロッと騙される人がたくさんいると聞く。
自分が払う金額とそれに対する価値に明らかに大きな開きがあれば、何かその理由がありそうだ、ということは検討がつくと思う。
私は騙された。
何も知らなかった。
騙したあいつらが悪い。
騙された人は常に「善」なのだろうか。
自分自身を疑わないのだろうか。私は正しい、間違っているのは相手だ。
本当にそうだろうか。
徹底的にやれるだけのことは尽くしたのか?ちゃんと相手のことを理解していたのか?相手からの明らかな強制はなかったか?
自分もお金を払うなりの吟味と覚悟というかそういう考えを持つべきではないか。
ただ善悪という0か100かという2者に分けて物事を判断しようとしている気がする。
それって「無関心」と一緒じゃないの?
考えたり、調べたりしなかった自分を隠したいだけ。
騙された!と思った方がやっぱり楽なんだと思う。
今回のお客の暴言にその無関心を少し感じた。
終わりに
海外に行って驚いたのは、現地の人が知っている言葉の中に「タダ」や「無料」が多いことだ。それだけ、日本人はタダという言葉に弱い気がする。僕もその資質が少しある。
全然興味を示さなかったデパートのお客が、試食を始めると突然集まってくる。いい意味で自分に都合の良いものをできる限り安く手に入れようとする考えが根強いのかもと思っている。
今日はこんな感じ!