【3・11から5年】大川小校舎、保存か解体か…遺族ら苦悩明かした

2016年3月8日13時0分  スポーツ報知
  • 校舎と体育館をつなぐ渡り廊下は寸断されていた
  • 校庭に置かれた壁に卒業生が描いた「宮沢賢治の絵」
  • 大川小校舎前で手を合わせる遺族

 東日本大震災で津波に襲われ、全校児童108人のうち74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。残された校舎をめぐり、震災遺構として保存か否かで、住民や遺族間で意見が割れている。市が昨年10月に行ったアンケートで地元住民は「保存(一部保存を含む)」45%、「解体」54・4%と答え、市民は「保存(一部保存を含む)」60・4%、「解体」37・2%と回答。亀山紘市長(73)は「3月中に結論を出す」とした。亡き我が子への思いは同じだが、違う結論を導き出した2人の遺族が、複雑な胸中を明かした。(江畑 康二郎)

【「保存」希望 只野英昭さん(44)会社員】

 ねじ切れた校舎と体育館の渡り廊下。2階教室の異様に盛り上がった床。いかに津波の破壊力がすさまじかったか、校舎を見れば一目瞭然です。だから校舎を残してほしい。単なる震災遺構ということでなく、防災意識が高まり未来の教訓になると考えるからです。

 私は両親に妻(しろえさん=享年41)、小5の長男(哲也さん=当時11)、小3の長女(未捺(みな)さん=享年9)と大川小の近くに住んでいました。

 2011年3月11日、突然の津波が一家6人の生活を奪い去った。30キロほど離れた会社で被災した私は、自宅に何度も電話をかけたがつながらない。自宅は流されました。2日後、避難所に駆けつけると、負傷し眼帯をつけた息子が横たわり、母がそばに付き添っていた。「生きていてくれてありがとう…」と、息子の前で初めて泣きました。数日後、妻と娘、父は遺体で発見された。娘は北上川上流で浮かんでいたようです。眠っているようで、声をかけたら起きそうでした。人一倍手のかかる子でしたが、かわいかった。

 3月11日は妻の誕生日でした。子供たちは、前日まで誕生会の司会とか役割を決めて楽しみにしていました。今もこの日はケーキを買って、家族3人でお祝いをします。息子にとっては、たった一人の母親ですから。だけど、つらいですよ。

 私は地元消防団の班長だったので、震災3日後から捜索に加わりました。変わり果てた知り合いの女の子をがれきの中で見つけました。小学校の裏山に打ち上げられ、全身泥まみれで助けられ、憔悴しきった息子にも避難状況を聞きました。

 子供たちは裏手の山に登らず、なぜか川の堤防に向かって避難を始めた直後、川から来た津波に襲われました。当時の状況は全て明らかになってない。そんな中で校舎を保存するか否かを議論するのは時期尚早。

 期限をもうけず話し合うことが遺族の心のケアにつながると思う。「解体」を訴える方とも理解し合えるはず。広島の原爆ドームも20年かけて保存が決まったわけですから。悲しみとしっかり向き合うことが、真の復興への道だと思います。(談)

【「解体」希望 平塚真一郎さん(49)中学校教諭】

 想像して下さい。我が子が帰ってこない喪失感を。泥の臭いに包まれたがれきの中から我が子を掘り出すことを。数時間前まで確かにあった温もりが、突如奪われた事実と悲しみを。

 大川小の校舎は、できれば取り壊してほしい。あの無残な校舎が残っている限り、悲しみを思い出し、遺族に苦しみを与え続けます。

 私は、小学6年だった長女(小晴さん=当時12)を、津波で失いました。娘は震災5か月後の8月、数キロ離れた漁港付近で発見されました。せめて一部だけでも帰ってきてほしいと思っていたら、その通りになりました。それでも帰ってきてくれてうれしかった。妻は、娘の捜索のために6月に重機の資格を取り、手がかりを求め、来る日も来る日も地面を掘り返していました。

 今もなお大川小の行方不明の児童は4人います。あれから5年たとうとしているのに、我が子の一部でもと、捜索している遺族がいます。校舎を壊して捜しきれていないところを捜索したい思いもあるのです。

 一方で校舎は、いつしか観光地化してしまいました。ただ亡くなった方々に手を合わせたいだけなのに、大型バスで乗り付けた観光客から哀れみや好奇の目が注がれる。校舎をバックに記念写真を撮る人もいる。それが嫌で近寄ることができない。私は毎日のように大川小を訪れていますが、行くのは人気のない夜です。

 市が実施した大川小校舎に関するアンケートでも、地元住民の54・4%が「解体」と回答した。この数字は学術的な価値の前では無力ですか。私は、あの場所を慰霊公園のようにして、遺族や集う方々の心安らぐ場になればいいと思います。

 震災遺構として「保存」を訴える方々の考えも、頭では分かるんです。理論的には。でも心の部分では分からない。私たちの思いを「感情論」で切り捨てないでほしい。津波の恐ろしさを後世に語り継ぐ方法は他にもある。命を救うのは教育です。大川小で起きたことの教訓は、教育の世界に身を置く者として必ず生かしたい。震災遺構の維持管理費は、負の遺産ではなく、人々の笑顔を取り戻すために使ってほしい。(談)

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