軽い追突の音は世界中に響き渡った。グーグルの自動運転車がバレンタインデーに時速約3.2キロで車線の真ん中に入り込み、通りかかったバスの脇腹にぶつかったときのことだ。グーグルの親会社アルファベットが2月29日に開示したこの事故は、3月1週目のジュネーブ国際自動車ショーで話題をさらった。
筆者は電話に気をとられているドライバーが運転している車より、コンピューターが運転している車の方がいいと思う。ある自動車会社幹部はジュネーブで、事故で重傷を負ったという友人の話をしてくれた。運転席で携帯メールを書いていた女性の車が交差点をまっすぐ突っ切ってきて、バイクに乗っていた彼をはね飛ばしたのだという。
コンピューターと人間が路上では不完全な組み合わせになることをこの事故は浮き彫りにしている。ロボットはルールに従うことがきわめて得意だ。疲れたり、注意散漫になったり、酔っ払っていたりすることがなく、多くの場合、人間よりずっと速く、効率的にルールに従う。だが、人間がどう行動するか推測することにかけては、コンピューターはほかの人間となんら変わらない。
■事故の約92%は人的ミス
これは将来の世代が頭を悩ますべき問題のように思えるが、そうではない。完全に自律的な自動車の技術は、既に存在しているか、まもなく存在するようになる。世界の大手自動車メーカーの多くは、2020年までに、自律的に市街地の道路を走り抜け、複数車線の高速道路を走行することができる車をつくり、販売できると考えている。
それは天恵であるはずだ。米国では年間およそ3万3000人が交通事故で死亡しており、390万人が負傷、2400万台の車が損傷している。事故の約92%は人的ミスによる。スピードを出しすぎたり、何かに気をとられたり、集中していなかったりした結果だ。コンピューターが操縦していたら、こうした事故は一切起きない。
だが、筆者のように、自動車ショーを見て回り、大部分が男性の来場者に向けて展示されているものが何なのか、ちょっと考えてみるといい。確かに機能的な自動車だが、それだけではない。
力と興奮、スピード。ペダルを踏み込み、マシンがそれに従う満足感だ。ある業界幹部は「よりシャープで男性的な」デザイン変更を絶賛した。また別の幹部は自社ブランドの「感性とかっこよさ」をたたえてみせた。
人間とマシンの衝突を経験する日は近い。コンピューターは、チェスばかりでなく、恐ろしく複雑なボードゲームの囲碁でも人間を打ち負かした。そう時間がたたないうちに、人間より運転がうまくなるだろう。そうなったら、コンピューターに運転させることは合理的だし、その方がずっと安全だ。ドライバーを乗客に格下げし、ロボット運転手によって目的地に運ばれる存在にするのだ。
最も印象的なのは、米国ハイテク企業だけでなく自動車産業が、それを可能にする日がごく近いと考えていることだろう。日産自動車の戦略が典型的だ。同社は今年末までに交通量の多い高速道路を自動運転車が走行でき、18年までに車線変更と追い越しを、そして20年までに市街地の道路をマスターできるようにすることを目指している。