これを期待が高かったことの呪いと呼んだらいいだろう。バラク・オバマ氏が大統領に就任したとき、世界は歓喜し、米国は安堵のため息をもらし、知識人は数世紀に及ぶ人種対立の終わりを宣言した。寒さをものともせずオバマ氏の就任式を見に来た150万人を見つめながら、スティーブン・スピルバーグ監督は、映画のためにこんな舞台を演出することは不可能だったろうと述べた。あの当時の話だ。
今日、米国初の非白人大統領は、人種による分極化が過去数十年で最も緊迫したときに任期の終わりを迎えようとしている。ドナルド・トランプ氏のおかげで、クー・クルックス・クラン(KKK)が再びニュースの見出しを飾るようになった。筆者はトランプ氏がオバマ氏の後継大統領になるとは思わないが、トランプ氏は血流に毒を注入した。オバマ氏が掲げたさまざまな希望にもかかわらず、世間を支配している空気は恐怖心だ。
1990年代に起きた「歴史の終わり」の宣言と同様、米国の人種の歴史はオバマ氏の大統領選出で終わらなかった。単に新たな章の幕開けとなっただけだ。国家というものは、どうやら、人間と似た疾患に苦しんでいるようだ。形成期に起きた出来事が永遠にその性格を決めるのだ。
インドが外国人投資家を潜在的な植民地開拓者と見なし、英国がブリュッセルをローマ法王の地位と混同するのと全く同じように、米国もまた、奴隷制の原罪に縛られている。最初のアフリカ人が大西洋を越えて運ばれてから500年たった今も、米国はまだ過去に片足を突っ込んでいる。
筆者の言葉をうのみにすることはない。トランプ氏の支持者に耳を傾けるといい。トランプ氏が先月、予備選を楽に制したサウスカロライナ州の出口調査によれば、同氏に投票した人の2割がエイブラハム・リンカーンが奴隷を解放したのは間違いだと考えていた。3分の1強の人は、南北戦争で南軍が勝っていた方がよかったと考えていた。現実的にはトランプ氏の唯一のライバルのように見えるテッド・クルーズ氏についても、同じような数字だった。7割が州議会ビルの上にまだ南部連合旗がたなびいていた方がよかったと思っていた。南部連合旗は昨年、自称南部連合支持者が教会で黒人を9人殺りくした事件の後に取り外された。「過去は決して死なない」。作家ウィリアム・フォークナーはこう言った。「過ぎ去ってさえいない」
■勝ちそうな候補者に投票する危険
歴史の重みは現在の投票パターンに裏付けられている。2008年には、アフリカ系米国人の9割以上が、ヒラリー・クリントン氏と争った予備選でも共和党指名候補のジョン・マケイン氏と争った本選挙でもオバマ氏に投票した。サウスカロライナ州では先月、8割以上の人がバーニー・サンダース氏よりもクリントン氏を選んだ。サンダース氏が疑わしい人物だと思われたからではなく、大統領の座を勝ち取る確率が最も高い候補を有権者が支持したからだ。
マーティン・ルーサー・キング牧師はかつて、日曜朝の教会は米国で最も人種が分離された時間だと述べた。現在、その場所は投票所のブースだ。南部での黒人の投票は、同じような差で共和党に投票する白人のそれを、ほぼそっくり鏡に映した形になっている。トランプ氏の支持者のごく一部は人種差別主義者であり、同氏は単にご都合主義からポーズを取っている可能性もあるが、危険は極めてリアルだ。
この問題について、オバマ氏には何ができるのか。同氏は9年前、リンカーンがその名を成したイリノイ州スプリングフィールドの階段から選挙運動を開始。元大統領の言葉を引用し、「分裂した家は立ちゆかない」と述べた。オバマ氏は、赤い州(共和党を支持する傾向がある州)と青い州(民主党を支持する傾向がある州)の溝を超越する新たな政治を招き入れると語った。言外の意味は、アフリカ系米国人を大統領に選ぶことで、米国はもっと古い溝も埋める、ということだった。