子供の頃、友達と公園で遊んでいるとオバチャンがチャリでやってきて、
「あんたら、血をキレイにしたるわ~」
と無料で魅力的なオファーをしてくるので、よくやってもらった。「メイシュサマありがとうございます」と3回言わなきゃいけないのが面倒だったが。
おかげさまで、今でも血がキレイなのか、かろうじて生きている。
かく言うワタクシは、とある新興宗教の在家信者である。かれこれ30年以上の気合の入った信者なので、はてな村でいうところのプラチナ市民といったところか。
といっても、トーチャンが熱心な信者で物心付く前に入信させられたので、はっきり申し上げて教団の教義や教祖サマをまったく信仰していない不良信者である。
新興宗教と聞くと、怪しげなイメージが付きまとうが、たぶん特に悪いことはしていない仏教系のマイナーな教団である。教団名を言っても誰も知らないと思う。
トーチャンが何を思って入信したのかは知らないが、息子と同じく精神的に弱いところがあるので、人生に苦しんでいた時に救いを求めたのだと思う。トーチャンの信仰心を否定するつもりもないが、せっせとお布施をするくらいなら、ワタクシに金を貸してくれと思っている。
結局、トーチャンに半ば強引にカーチャンもニーチャンも入信させられて、晴れて一家全員、新興宗教の信者で仲良くやってきた。それぞれの信心は不明だが、ニーチャンは教祖サマのバッジをいつもカバンに入れていた。
たまに、教団の怪しいチラシをポスティングする修行をしたり、集会所でありがたいお話を聞かされたりしながら、功徳を積んで人生が開けるハズだった。が、なぜだかパッとしない人生を歩んでいる。
それはいいとしても、結婚に際して、この新興宗教に入信しているということを嫁に言う必要があるのか?という問題が発生した。
何の予備知識もなく結婚しようとしている男が、聞いたこともない新興宗教の30年戦士だとわかったら、たぶん混乱すると思うのでどうしたものか?と悩んだ。
というワケでD・カーネギー先生に教えを請うたのだが、名著「人を動かす」には何も書かれていなかった。仕方なくもう一冊の名著「道は開ける」の方を手に取った。
悩みを完全に克服する方法
苦難に苦難を重ね、自分自身の力の限界に達すると、私達の多くは絶望して神にすがる。「野戦用の塹壕の中には無神論者はいない」。しかし、なぜ最後の土壇場まで待つのか?
「道は開ける」277ページより引用
なるほど。さっさと神様に祈りなさい!ということか。
自己解決を早々にあきらめたワタクシは、神様にすがることにした。自分の入信している教団のお悩み相談窓口はまったくアテにならないので、個人的に尊敬しているサイババに救いを求めた。
10年以上前からビブーティと呼ばれる砂が出るのを楽しみにして、大切に飾ってあるサイババポスターに祈りを捧げること3分。なんだかババ様の顔を見ていると、
「黙っとけばいいじゃん!」
と言われた気がしたので、とりあえず黙って結婚した。
そして嫁に黙ったまま4年が過ぎようとしている現在、娘も生まれて楽しくやっている。やはりサイババ先生のお告げは正しかったようだ。
やり方の是非はあると思うが、どっちに転んでもなんだかヤバそうな問題に対しては、悩むより祈る方が良いと思う。
実際、嫁にバレたらその時また、サイババと考えればいいのだ。
ほなサイババ。