水素水のエントリーで燃え上がっているようだが、本当に理系の記事は燃えやすいね。水素だけに爆発しちゃったのか?
文系は燃えにくいと考えている文系ブロガーの所感
文系記事はそんなに燃えてない。燃えるエントリーを見つけるほうが難しいかもしれない。なぜ文系が燃えにくいかと、空中戦だからである。それを綴る根拠、論拠が自分の中にあるので、それを誤っているという確たる指摘が難しい、これが文系の燃えないところであり、良いところでもある。ただ、難しさも孕むよ。それがいくら「正しい」と主張しても、先述論拠が己の中にあるためにそれを客観的に正しいと証明することもまた難しくなる。それはもう信用してもらうしかない。担保は読者の心の中にしかないのだろう。
理系は燃える、化学実験でもしてんのか?
正解があるから燃える・・・らしい、想像でしかないがね。けど「こんな実験を行ってこういう結果になります」その結果については誰が疑うまでもない「結果」なわけで、論拠なのである。つまりは地に足がついているといえる。データ的にも間違いなく正しいので、誰にも文句が言えないのである。
ここが恐ろしいところで、誰にも文句を言われないのは「正しいことを論じた者のみ」ということになる。逆説的に言うと「間違ったことを論じた者には攻撃を仕掛けても良い」という暗黙のルールーが出来上がってしまう。そして炎上へ・・・嫌なドラクエだな。
うだつの上がらない根暗共の決起
誰かがその間違った理論にミソをつける。「それは間違っている!」これはダムの決壊となり、以後は間違いを指摘するコメントで溢れかえり、コメント欄はあっという間に埋め尽くされる。間違った理論を展開して燃えるのだから、書き手が文句を言うのは筋が違うわけであり、その場合は謝罪とともに記事を書き直すなどをする必要があると考える。まぁこれも管理人の任意の域は出ないが、俺ならそうする。
ここで最も言いたいことは、普段は悶々としてうだつの上がらない根暗共が、誰かが文句を付けたことにヘタに勇気づけられて総バッシングを開始する、いわゆる先駆者、最初の指摘者になれないにも関わらず「共犯者」「共闘者」「流される者」としてそれに加わる。普段から言いたいことがあるなら堂々と声高に主張すればいいものを、どうやっても指摘相手が逃げられない根拠を探り出し、さらにはすでに誰かがつけた批判のレール上で安全圏から日頃の鬱憤を晴らすかのように薪をくべる。その姿は何とも哀れであり、滑稽であり、同情の念を禁じ得ない、炎上したときだけヒョコヒョコ現れては批判の石を投げていく人間性の乏しい通りがかりのユーザーである。
だが、これが日本のネット社会(いや、はてな、というべきか)の多くを形成していることを、我々はしっかりと認識する必要があるかもしれない。
日頃の鬱憤を晴らしてんじゃねえよカスども
過去、俺が某大手サイトから直指名を受けて揶揄られた時のTwitterのリプライは半端じゃなかった。1日に50とも100ともきかない罵詈雑言の@付きツイートの乱舞。当時はこれを受けて戦々恐々とすると同時に、匿名社会でストレスを発散している陰でうじうじしているユーザーがこんなにもいるんだなってことを確信した。
普段はスルーするようなどうでもいい事柄でも「燃えているから騒いでやれ」という発想でヒョイヒョイと乗っかり、ネガティブなコメントを付けていく人たち。こういう人たちは自分が病んでいるという自覚はあるのか?現実世界、ネット世界でも上手くやれてない自分に業を煮やして、そういうおあつらえむきな発散の場でいらない憎悪を振りまいている自覚はあるのだろうか。実に興味深い、聞いてみたいものである。
今日も薪をくべる阿呆に言っとく。とりあえず炎上エントリに薪をくべる前にそれが本当に必要なものなのか、それとも溜飲を下げるだけの行為になってないかどうか、自主点検したほうが良いぞ、まじで。
ネガコメユーザーはほんっとうにカスだらけだな、面白いけどよ。