今の世の中、昔ならとっくに親になっていてもおかしくない年齢の人が「人から受け入れられたい」って渇望しているんだよな。もうその年齢なら、人を受け入れる側に回らなくてはいけないはずなのに。承認の需要に対して供給が追い付かないわけだ。
— コ口吉 (@0icco) 2016年3月5日
こないだ「語るべきものを持っている人こそ、外見も美しくする方がいい。そのほうが、相手に伝えたいことを受け取ってもらいやすいんだから」と言われてはっとした。
— ヒビノケイコ (@hibinokeiko) 2016年3月6日
"ドイツのコーチが、日本人は、苦しいときに耐えられる力のことを精神力と言うと言っていました。ドイツでは、苦しいときにクリエイティブになれることが精神力だと。苦しいときに、どう知恵を働かせるか、クリエイティブになれるか、苦境をどう乗り切れるかと、頭を回転させることが、精神力だと。"
— ことも (@tk0105) 2016年3月4日
ネットやっていてよかったこと。自分の嫌いなタイプの人間というのを大量にサンプリングできて、モデル化できたこと。新たな人に出会った時に警戒レーダーの感度が高くなった
— 加野瀬未友 (@kanose) 2007年7月22日
人の評価を気にする人は、ただ人と同じ気持ちを共有したい、という感情で作品に触れているだけだ。それは、みんなが笑っているから私も笑う、というロボットのような動作であって、人間の感性のすることではない。
個人面談は緊急性の高い課題についての報告だけでなく、社員が日頃抱いている不満、目にしてはいるが正式の報告書には書きにくい問題点、温めている有望なアイデア、メールシステムへの不満、個人的な悩みなど、ありとあらゆる問題を拾い上げることができるほとんど唯一のチャネルだ。
こんなアメリカン・ジョークがある。心の病に罹ったら、金持ちは精神科医に、若者はドラッグに、貧乏人は宗教に走る。効果は似たり寄ったりで、どれを採るかはその人の財布次第というわけだ。懐が豊かというわけではないけれど、ドラッグや宗教に走る度胸のない私はたぶん精神科医に行くと思う。
姉が幼稚園教諭やってるんだが
新聞紙を園児に持ってきてもらおうとしたら新聞とってるのがクラスの半数以下とかで
全然集まらなかった言ってたわ
自分で自分を癒し大切に扱うことが出来るようになった人は、やがて他者に対しても、誰かが過剰に奉仕したり心配してあげなくてもその人自身の力で幸せになれるんだということに気づき、共依存的な関係性のパターンから卒業していきます。
— blueflame_bot (@blueflame_bot) 2016年2月8日
ようするに男にも女にも「許せないこと」が多すぎるんだと思いますが、変わりようのない、変わる気のない自分を押し付けてくる。まちがいなく問題の根本は「感情の問題」なのに、つまり「自分は傷ついている」と言えればいいのに、話を「正論」や「理屈」にすりかえる人がいる。