アインシュタインの相対性理論は完璧に間違っていた!!!! |
詳しくはこの本を買って読んでください。 目から鱗が落ちるかもしれませんので、注意が必要です。 |
下のサイトに以下の記述があります。この考え方は現代物理学の代表的な
考え方であります。 http://blog.so-net.ne.jp/rikasanpo-hon/archive/c40381192 走る電車の中で、スーパーボールを1.25mの高さから落とし、 床で跳ねかえって手元に戻ってくることを観察する。 電車に乗っているボールを落とした人にとっては、それは1.25m×2= 2.5mの往復運動だ。 でもそれを電車の外にいる人から見ると、ボールが手元に戻ってくるま でに電車がかなり動いてしまうので、それは2.5mの往復運動ではない。 t秒間の落下距離dmはほぼd=5t2 だから、1.25mの高さから なら片道0,5秒、往復1秒である。電車の速さを時速72qだとすると この1秒間に20m進んでしまう。つまりボールは手元に戻ってくるま でに、約20.2mの距離を移動したことになる。 同じ現象なのに、同じ時間に進んでいる距離が違うことになる。つまり 電車の中の人と外にいる人では同じ現象の速さが変わることになる。こ こまでの相対性理論はガリレオ・ニュートンの時代から考えつかれていた。 アインシュタインはこれを光に置き換えた。手元の懐中電灯から出た光が 床の鏡ではね返って戻ってくることを考えるわけだ。ただし光の速さは30 万q/秒なので、ボールと違いアッという間に戻ってくるが。でもおきてい ることの理屈は同じ。 つまり、電車の外にいる人から見ると、ボールは斜めに飛んでいると見え、実際に斜めに飛んでいるのだと解釈しているわけです。その分、電車の中にいる人に比べ長い距離を飛んでいると言っているのです。要するに、観察者の立場によって、ボールの速度が変化すると言っているのです。そんな摩訶不思議なことが起こるはずがありません。誰から見てもボールの速度は一緒です。ただ、外から見れば、電車が動いている分、ボールは斜めに動いているように見え、錯覚でボールが速く動いているように見えるだけです。それなら、このボールを秒速0.2mで進行方向に向かって水平に投げてみましょう。速度合成則により、このボールを外から見る人にとっての速度は秒速20.2mになることは間違いありません。不思議なことに先ほどのボールを垂直に落とした場合と速度が一緒です。これは完全な矛盾です。水平に投げても垂直に落としてもそのボールの速度は一緒である。信じがたい現象です。ガリレイの相対性原理は間違っているとしか言いようがありません。 下にある上のアニメを見てください。 このボールを外から見る人にとっての速度は秒速20.2mです。 そして、ガリレイの相対性原理が主張する、垂直に落としたボールの 速度も外から見る人にとっての速度は秒速20.2mです。辻褄が 合いません。完全に矛盾しています。 以下のサイトをご覧ください。 http://kakuda.ed.niigata-u.ac.jp/semi/ob/thesis/99thesis_suzuki/soutai/soutai1.html もし、動いている船の上にいれば、落下経路は直線であり、もし海岸 から見ていれば、落下経路は放物線になります。 と書かれていますが、動いている船の上にいる人は、自分も動いている ため、落下経路が直線に見えるだけであり、実は動いている船の上に いる人にとっても、落下経路は放物線なのです。放物線に見えない だけであり、錯覚しているだけなのです。事実が観測系によって違う なんてことになれば大変なことになります。そして、現実に物理の 世界は滅茶苦茶になっているのです。この間違ったガリレイの相対性 原理を土台にして作られたアインシュタインの相対性理論は、ガリレイ の相対性原理に従わない電磁気学までも、無理矢理従うように作られた だけなのです。そのために、物質が光の速度に近づけば、物質は 進行方向に縮む。又時間さえも遅れるとしたのです。そうしてただただ、 辻褄を強引に合わせただけなのです。要するにガリレイの相対性原理は 物理学をとんでもない世界に引き込んでしまったのです。 下のサイトでは、光が斜め運動をすれば距離が延びるので、静止 系から見る観察者にとっては、時間が遅れるということを説明しており ますが、 なんと、動く列車のアニメはわざと遅く運動するように作られており ます。アニメとはいえ、凄い速度で動かせば、相対性理論的理論上では 遅れるはずですが、当然現実には遅れるはずがありません。 http://homepage1.nifty.com/tac-lab/lclock.html 下にある上のアニメは電車が静止している場合のアニメです。これは当然、 中の観察者から見ても、外の観察者から見てもボールの到着は同時です。 このアニメを見ている貴方も、中の観察者の視点から見た場合と、 外の観察者から見た場合の視点をイメージしてください。 上のバーをクリックすればアニメを静止させることができます。 静止させたり、動かしたりして、じっくりとアニメを観察してください。 下の連続アニメを見れば分かると思いますが、ボールは確かに斜め運動 しています。しかし、これは見かけであり、ボールは中の観察者から 見ても、外の観察者から見ても、垂直運動しかしていないことがお分かり いただけると思います。 斜め運動は錯覚であり、時間は全く一緒であると いうことがそれを証明しております。このアニメを猛烈に早くしても 一緒であり、現実もそうなるということです。このアニメの斜めの 距離は静止している場合の距離に対して2倍あります。 相対性理論では、斜めの距離が2倍になれば、経過時間も2倍、つまり 2秒かかることになりますが、現実には全く一緒であります。また、 外の観察者から見て、距離が2倍になり、経過時間も2倍になるとい うことは、ガリレイの相対性原理の結論である、静止と等速直線運動は 区別できないという基本原則にも違反することにもなります。 又、静止と等速直線運動は 区別できないということは、つまり、下のアニメは上のアニメ そのものであるということです。これはマイケルソン・モーレー の実験の南北を往復する光そのものであり、光は斜めには走って いないということを証明するものであります。 静止と等速直線運動は区別できませんから、進行方向にも光は30万km で走り、30万kmで戻ります。つまり、マイケルソン・モーレーの実験の 南北を往復する光と、東西を往復する光は全て秒速30万kmで 戻ってくるということを意味しており、光速の変化を発見する ことは不可能であることを示唆しております。私は、例え静止 と等速直線運動は区別できなくても区別しなくてはならないと しています。(これが支配の法則です) 次ぎに電車の中を真空にし、光を発射します。電車は秒速10万kmで 動いていることにします。光は光源の動きに左右されず、慣性の法則 にも左右されませんので、光が天井に向かっている1秒の間に、天井 は10万km動いています。天井のど真ん中に命中せず、電車が透明な らば電車の外に出て10万km後方に命中します。 しかし、やはり、光は真っ直ぐ走ったという事実は電車の中にいる 人にとっても、外にいる人にとっても同じですので、光はきっちりと 1秒で電車の外の同距離地点に到着することになります。そこに鏡が あればアニメのように永久に往復運動を繰り返すわけです。 結局、どちらにしても、 光は秒速30万キロmで走ったということになり、光速の変化は 読み取れません。マイケルソン・モーレーの実験は正しくなかったと いうことになります。空気がある場合、光子は酸素原子などと衝突し、 電子から光子を発生させ、再び走るという余計な作業をしなければ なりませんので、空気中では真空より少し遅くなるわけです。 しかしどちらにしても、走る距離は変わりませんので、光速の 変化は読み取れません。 同じ現象が見る人の立場によって変わるなんてことは絶対に有り得ない のです。物理の法則は根本から間違っていたのです。この間違った 物理の基本がガリレイの相対性原理、アインシュタインの相対性理論 なのです。ガリレイが間違えたのは仕方がないにしても、天才ニュートン、 アインシュタインが揃って間違えたのは甚だ残念であります。 私の座右の銘は「何事も疑え」
私が発明した言葉は「想像は錯覚の宝庫である」 |
思考実験により、光速度より速い情報伝達方法が存在することが
明らかになり、同時に万有引力の速度も瞬間であることが確定された。
太陽より大きいガリバー君がいるとする。ガリバー君はボールにひもを つけ、回転運動をしていた。ひもの長さは太陽と地球の距離と同じ 1億5千万kmとする。ガリバー君がひょいと手を離すと、ボールはその 時点の進行方向へ1直線に飛んで行く。勿論、ボールが飛んでいく 時刻は手を離した時刻と同時である。8分20秒もかかるわけがない。 以上の考察により、光速度より速い情報伝達方法が存在することが 明らかになった。それと同時に万有引力の速度も瞬間であることが 確定された。何故ならひょいと手を離すということは、太陽が一瞬に して消滅することと同じことであるからである。 思考実験とは、実行可能性にとらわれず、単純化された装置などの条件 を想定して、そこで起こると考えられるあらゆる現象を理論的に追究す ることであり、また理論の矛盾の検証をすることである。 |