言いたくないが、言う。
漫画アニメを愛好する二次元マニア。日本を愛好するネット右翼。この両者には顕著に共通するアブナイところがあると思う。
つまり、「自分たちの姿が見えなくなってる」。

Twitterである人が、戦時中の米国で日系人差別をあおった新聞漫画を批判的に紹介していた。
(それはいいんだけど)
心底から驚いたのは、ネット右翼が、「これ日本人? 朝鮮人や中国人に見える」とか不思議がるコメントを付けてたことだ。






昔の米国人が日本人を蔑んで描いた絵を、今のネトウヨが「中国人や韓国人だ」と言い張るってどんな美意識だろう。どうやらネット右翼の頭の中では、自分たち日本人は中韓のように近場のアジア人とは異なった、もっと立派な容貌の民族として存在しているらしい。
(韓国人を醜い姿に描きながら日本人キャラは白人みたいに造形して済ましこむネトウヨ・バイブル『嫌韓流』を一覧するだけでわかるが)

実を言うと、欧米の劇映画やテレビ映画で変な日本人、つまり日本人の目には日本人に見えない日本人キャラが出てくると拒否感を示すというのは昔からあったことだ。
(僕の母など、そういう場面では決まって、「チャンコロみたい」とぼやくのが癖だった)
だから、今のネット右翼の反応は別に新しいものではなく、旭日旗はためく頃からの無知と偏見をそっくり受け継いでいるにすぎない。

この驕り昂ぶりがどこから来るかといえば。
それは間違いなく、アジアの小国にすぎなかった位置から出発し、脱亜入欧・富国強兵に励んだ果てついに欧米諸国と肩を並べるまでに成り上がった日本、その国民である自分らは白色人種と対等の存在だとの強い優越的・特権的意識である。
敗戦をくぐり抜けても、日本人が有色人種のチャンピオン、別格な存在だというこの国民的自負は変わらなかった。

だから日本人が白人から差別的に遇されて憤る場合。「どんな人間も対等であるべき」との真の平等意識からではない、多くはこの「自分らは欧米人と対等の国民だ」との思い込みが基調となっている。
「日本人は他のアジア人と違う。白人と同じクラブに属するのだから、もっとふさわしく扱え」というに過ぎないのだ。
そしてこれこそが、隣国の人々を「支那人、チョンコ」と罵りながら他所では、「日本は世界で最初に人種差別撤廃を訴えた」と自慢するネット右翼の頓珍漢ぶりを解き明かす鍵だ。

さて。
関連して思うに。
その昔、日本でも放映された『ディック・トレーシー』なる米国製アニメに出てくるヤマダ警部の容姿の描き方が日本人への差別だと言う者がいて、呆れたことがある。



ヤマダ警部

米国アニメ『ディック・トレイシー』に登場するレギュラーメンバー。

基本的なイメージは、戦時中に悪意をもって描かれた日系人そのものとわかるだろう。しかし彼は正義の味方として悪者たちと対峙する。




なるほど、欧米人から見た日本人のステロタイプに違いない。
しかし本当に差別的な意図による番組なら、日本人(日系人)なんて悪役で登場させるかまったく無視するだろうに、ヤマダ警部といえば出番も多い、ディック・トレーシーの片腕のような役どころである。
ようするに。
ヤマダ警部の外見だけとらえ「差別だ」と文句を言う者には、あの時代、日系人、メキシコ人、発話障害の浮浪者といったマイノリティをトレイシー主任の部下や協力者、つまり正義の側として活躍させたことがどれだけ凄いかというのがわかっていないのだ。

60年代にこの子供向け番組を製作した人々の善意については、今更ながら評価したい。

それでも、こんな日本人では許せない、認められないというのがわが国での主流だ。
たしかにこの手のタイプは昔から日本に大勢いた、だからこそ欧米人の間でかかるイメージが形成されたとわかっていても、世界の中での日本人をもっと男前でカッコよく、日本人が思う理想の姿で見てもらいたいとのオリンピック・ヒステリーには抗えないのである。

さて、さて。
またもやTwitterでの話になるが。
「西部劇で日本人に白人の役は演じさせてもらえないが、インディアンの役なら日本人向け」とツイートしたところ、不思議がるリプライをくらった。なんで日本人が西部劇に出られないの?という感じで。
どうやらハリウッドに差別的な空気があって日本人の出演は拒絶されるように誤解したらしい。

いや、そういう意味ではない。
別にハリウッドが日本人の出演を禁じてるとか(笑)日本人が西部劇に出ちゃいけないのではなく、アジア人の顔をした日本人が、欧州系移民の役で出演し騎兵隊やガンファイターを演じたら不自然きわまりないと言ったのだ。

これは『テロマエ・ロマエ』で証明済みだが、日本人からは西洋人に見えるような白人の血を引く日本俳優でもいざ白人の役で白人の群れの中においたらやっぱり違和感が強い。
いわんや生粋の日本人においておや。

むろん、『レッド・サン』とか『EAST MEETS WEST』のような内容で日本人が日本人を演じるのなら、まあ問題ない(そういう設定の映画ばかり仕組むのはしんどいが)。
それから、『荒野の少年イサム』のようなものだったら許容の範囲だろう。
ただし。劇画で描かれるイサムは日本流の自意識まる出しになった造型で、白人と見分けがつかない。これを実写で生身の日本人が演ったらたぶんに微妙な見映えになると思う。

なにがなんでも日本人を西部劇に出したいなら。
いっそ思い切って、日本から西部に渡ってきた開拓移民団のお話というのもありかもしれない。
鎖国が解け、一般人の海外渡航が許されるのは明治以降だから、その頃には西部開拓史はもう終焉、時期的な出遅れ感は否めないが。
(徳川幕府の責任だ、うん)



シベリアのアジア系民族(左)とアメリカ大陸先住民(右)


いくぶん脱線したようだ。
話を戻そう。
ようするに、アジア人と米国先住民とは人種的にほとんど変わらず見かけも大差ないので、日本人が西部劇に出るとしたらまさにインディアンの役がはまり役なのである。
ところが、この素晴らしい可能性に気づいた日本の映画人はほとんどいない。

「素晴らしい」どころか、「インディアンに適役」などと言われると侮辱された気になるという。
そこに問題の根幹が隠れている。

それはさんざん述べてきたように、日本人の側に自分たちがアジアの中で特別な存在だという幻想的プライドがあることだろう。『テルマエ・ロマエ』のように無理まるだしでローマ人の役は演じるくせに、はるかに似合った米国先住民の役は演じたがらない。





さあ。ここで気分を変え、17世紀の絵画を鑑賞しよう。
これもTwitterで紹介され、話題になった画像の引用だが。





間違いのないよう、ダメ押しとして言う。
左側、黒ひげで白衣の人がフランシスコ・ザビエル。右側、赤い衣の人がなんと戦国武将の大友宗麟!
まるで日本アニメに出てくる日本人のように白人と見分けがつかない。
絵の作者は1641年に没した英国の画家だけど、日本に来たことがない、日本人を見たこともないという人に日本の場面を想像で描かせたらこうなっちゃうという見本である。
アジア人をアジア人の姿で描くということができない創作環境だったのだろう。

それにしても現代日本の絵師さんたちは恵まれてる。
わざわざ英国に行かなくても、日本にいながらこういう感じの、日本人を白人のようにえがいた絵がいくらでも描けるのだから。
(ごめん、最大級の皮肉になった)


(続く)





関連リンク

Native Americans and Siberians are cousins
(RUSSIA BEYOND THE HEADLINES)
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