保育所不足が騒がれているようですが、これも「男も女も同じように働く」という生物学的な“不自然”の必然的帰結です。
動物のオスは子孫に遺伝子を提供することはあっても、常時子供の世話をする父親になることはまれだ。哺乳類では、育児がメスに偏っており、オスが育児に参加するのはオオカミなどの肉食動物にほぼ限られている。
ではなぜ、人間の社会は父親を作ったのか? それは人間が頭でっかちで成長の遅い子供をたくさん持つようになったからだ。豊かで安全な熱帯雨林を出て、危険で食物の少ない環境に適応するため多産になり、脳を大きくする必要に迫られて身体の成長を遅らせた結果である。母親一人では育児ができなくなり、男が育児に参入するようになった。*1
- 作者: 山極寿一
- 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2014/07/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (4件) を見る
このころ*2の人類の暮らしは、男性たちが食料採取に出かけ、女性は安全な場所で待ちながら子どもたちを育てる、という形式だったと考えられます。男性を保護者とし、特定の女性とその子どもたちが連合して家族を作りました。
人間の子供を育てるには手間がかかるため、母親が育児と自活を両立させることは困難です。そこで、女は「子供を育ててやるから稼いで自分と子供の生活の面倒を見ろ」と男に要求し、男もその要求に従って肉体的・精神的ハードワークに耐えて必死に稼ぐわけです(→家族の形成と性別分業)。*3
ここでのポイントは、
- 育児と男に求められる仕事量を両立させることは困難
- 男にとって「育児してもらうこと」は高コスト(稼ぎの相当な割合が自分のものでなくなる/財布の紐を握られることも珍しくない)
ということです。高コストなので、大抵の家庭では「妻が育児、夫が稼ぐ」が合理的な分業になります。これは人間にとって“生物学的に自然”なので、社会制度がこれを前提としたものとなることもまた自然です。
もし妻も夫と同じように働くのであれば、妻は夫が自分に「支払って」いたように、育児をアウトソースする相手に支払う必要があります。この際に生じる問題は、
- 女は「自分より稼ぐ」男と結婚する傾向がある→妻は夫ほど稼がない→妻は夫よりも子育てコストを重く感じる→アウトソース料金をケチる→保育料を上げにくい→保育士が低賃金職に固定化される
ことです。アウトソース料金が収入を上回れば、働く意味がなくなってしまいます。
育児は高コストなので、多くの家庭ではアウトソースするより内製化したほうが合理的です。その合理性に逆らってアウトソースを進めると、ツケが保育士に回ってしまうわけです。「女の社会進出」が女の賃金奴隷を生む構図です。少数のエリート女がバリバリ働いて高収入を得ることを助けるために、多くの母親を乳幼児から引き離して低賃金労働に駆り出すことになります。
ヒットラーの社会革命―1933~39年のナチ・ドイツにおける階級とステイ
- 作者: D.シェーンボウム,大島通義,大島かおり
- 出版社/メーカー: 而立書房
- 発売日: 1988/05
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
「過去の婦人運動は36人の婦人国会議員と数十万のドイツ女性を大都市の路上に狩り出した」と、ある女性の党支持者は書いた。「それは1人の女性を高級官僚にし、数十万の女性を資本主義的経済秩序の賃金奴隷たらしめた。
保育に欠ける子どもの保育を行い、その健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり、入所する子どもの最善の利益を考慮し、その福祉を積極的に増進することに最もふさわしい生活の場でなければならない。*4
とあるように、少数の弱者を救済するものです。ところが、経済強者までが保育所を安く利用しようとするようになったため、様々な問題が生じてきたわけです。
経済強者が自分の稼ぎに応じた「適正料金」を支払えば、保育士も賃金奴隷から解放されるはずなのですが、経済強者の認識は「育児は自分にはふさわしくない生産性が低い“仕事”」なので、「適正料金」を支払う気にはならないでしょう。海外の事例も、この見方を支持します。
共働きができる背景には「リーズナブルなメイドの供給」があると思う。シンガポールにいる欧米エリートたちは「自国でメイドさんを雇うなんて考えられない」という。それくらいシンガポールは家事支援環境が整っている。近隣諸国から大量にメイドの供給が可能であり、かつ事実上最低賃金がないため非常に安く雇うことができる。
なぜフランスでは子どもが増えるのか -フランス女性のライフスタイル (講談社現代新書)
- 作者: 中島さおり
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/05/19
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
かつての「社交」に「仕事」が代わった現在、一度は消えた「乳母」が復活して、高学歴高収入の母親たちを支えている。今日の「乳母」は、乳をやったりはしないが、出産後間もなく職場復帰していく女性の子どもたちの世話をしているのである。
- 作者: フランソワエラン,林 昌宏
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2008/09/18
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
移民や彼らの子どもたちの多大な貢献がなければ、誰が我々のオフィスを掃除し、ゴミを回収し、家を建て、ビルの清掃を引き受けるのであろうか。[…]さらには、誰が我々の子どもの面倒を見るのであろうか。
北欧では、公的セクターで保育士(多くが女)を雇うことで賃金奴隷化を回避していますが、必然的に税負担も高くなっています。果たして「女の社会進出」のためにそこまでする意味があるでしょうか。*5
「女の社会進出を進めれば豊かで平等な社会が実現する」というイメージが一般的なのかもしれませんが、実際はその逆で、女と男の同等化を進めるほど、経済格差の拡大や非婚化・少子化が進み、社会は持続不能に陥ります。リベラル派が男女差別と見做す家族内での性別分業こそ、社会全体の安定の礎だったのです(←生物学的な自然)。*6
「薬と思って毒を飲み続けている」ことが、日本をはじめとする先進国の多くが混迷を深めている大きな理由と考えられます。
男女雇用機会均等法ができて以降、家庭でも会社でも、女性と男性が同じような役割を果たすべきという考えが当たり前になりました。でも私はこれには断固反対です。男性と女性は本来、全く違うんです。同じようにしたら歪みが出てくるんは当たり前です。