なぜダムを撤去するのか
ダムはそれぞれ、洪水の調整、かんがい用水・上水道用水・工業用水の確保、もしくは水力発電用に建設されている。
戦後復興のさなか、熊本県内は深刻な電力不足にみまわれていた。それを補う目的で荒瀬ダムは1953年に着工し、55年に竣工した。湛水(たんすい)面積は123ヘクタール、総貯水容量は1013万7000立方メートルで、2キロメートルほどダムの下流にある県営藤本発電所では、年間供給電力量7468万キロワット時を維持し、ダム建設当時は県内の電力需要のうち16%を補っていた。
ではなぜダムを撤去することになったのか。ダム建設当時から自然環境に対する不安は上がっていたが、ダム建設後にはアオコによる水質障害が確認されるようになり、鮎が釣れることで「宝の川」と呼ばれた球磨川近隣の住人からはダム反対運動が起こるきっかけとなった。
また、ダムは定期的にメンテナンスを行う必要がある。そのための資金が、ダムを管理する熊本県にとって、大きな財政問題となった。さらに、電力自由化に対する問題もある。電力自由化の中で今後の電力収入はますます厳しくなることが予想された。
さらに追い打ちをかけたのが、水利権の問題だ。ダムを稼働させるには、国土交通省に対して河川への水利権を申請し、定期的に更新手続きを行う必要がある。
03年に更新を迎えた荒瀬ダムは、04年から10年までの7年間の水利権更新を最後として、次の更新を迎える前にダム撤去を本格化させる方向で舵(かじ)を切ることになる。ダム存続か撤去か、長い間県内で議論されてきた問題は、10年2月に「撤去」の方向で固まった。
荒瀬ダムが全国のモデルへ
実際の撤去工事に先立ち、まず熊本県が実施したのが学識経験者や関係機関・団体、地元代表をメンバーに迎えた「荒瀬ダム対策検討委員会」の設置(03年)だ。ダム撤去に伴い、環境対策やダム撤去工法などについて慎重に協議された。
撤去が確定した後は「荒瀬ダム撤去技術研究委員会」を設置(10年)。同時に熊本県は「撤去にあたっては安全の確保、撤去技術の確立、環境問題等さまざまな課題があるが、本格的なコンクリートダム撤去として、荒瀬ダムが全国のモデルとなるよう取り組む」と表明し、本格的な撤去計画策定が始まった。
<次のページは、工事完了への道と撤去とともに守るべきもの>
この記事にコメントする