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1章―銀世界の先に―
白猫プロジェクト二次創作です。
この小説は、コロプラ(株)のスマートフォン向けアプリ「白猫プロジェクト」の舞台をモチーフに描いたものです。執筆内容の全てに、私への責任がありますのでご容赦ください。
―プロローグ―
静謐な空気が満ちる暗い雪山…銀世界の中を、銀色の影が疾走していた。流星の如く走る影が持つ、その逞しい脚は過去幾星霜もの間に連綿と受け継がれてきた誇りの証であり、雪に深く閉ざされた山をものともせずに穿ち、蹴りあげ加速してゆく。
雪が貼り着くように降り積もった木々が白い線になって視界を横切っていく。目の前の柱の位置を視認し、即座に最適最速ルートを駆ける。自分以外の全てを置き去りにして、ひた走り続けた。まるで世界の中心は今自分が走っているこの場所に合わせて動いているのでは、とさえ思う。暗い雪山を駆ける銀色の影が流れるさまを、山の頂と星々だけが見る事ができた。
この景色は、一体どこまで続いているのだろう。青銀の毛を揺らす狼は走りながらも思う。行けども行けども絶える事のない銀世界は、果たして私の認識で捉えきれるものなのだろうか? 自分の想像も及ばない広い世界を想像した時、私はとても心細く不安な気持ちに襲われる。世界はきっと、私がいなくても回るのだと思うと胸が締め付けられてどうしようもなく苦しくなる。この世界に私の居場所はあるのだろうか? 刹那、私の中に去来した感情を必死に抑え込み、私はなおも、山を穿つのだった。馬鹿な事を考えているのは分かっている。私には、護らなければならない家族がいるのだ。私がやらなくてはならないことがある。私に笑いかけてくれる人がいる。それだけでいい、私が走り続ける理由は誰かの笑顔を護るためだ。
…ふと、遠くで氷が砕ける音が聞こえた。青銀の狼は四肢に力を込め急停止する。そのあまりの勢いに、力を込めた脚の下にあった雪が数メートル程吹き飛び、宙に舞う。静謐な山の中で、キィンと、静かに儚く砕ける音を聞いた気がして、そっと、遠くの星空に視線を送った。何かよくない事が起こる前触れだろうか? 気のせいだと良いのだが、遠くで私を待つ弟の事が心配だ。最後に会った時に渡してくれた小さなサファイヤを埋め込んだアクセサリが、自分の首にかかっていることをもう一度確認して心を落ち着ける。再び静寂に包まれた山の中を、鋭い爪が穿つ音が響き、青銀の影は山を進んでゆく。
―1章―銀世界の先に―
寒い、冬のある日。冒険者一向をのせて進む飛行島―…遥か古代に兵器として使われていた、黒の王国の遺産―…に、雪が降っていた。数々の武勲を称える銅像や、一国の兵士が羨ましがる程の訓練設備を備えた上層部に、綿のように白い雪が浅く積もっている。雲より高い位置を飛ぶことができれば雪は降らないのだろうが、さすがに高度をあげすぎると空気も薄く、風も強い。いかな古代兵器といえども、乗る人間はそうではないのだ。あまり高い位置を飛びすぎると、皆の健康に被害が出てしまうだろう。
「永久凍土のルーン」によって、一年中雪が溶ける事のない、氷の国出身であるソフィにとっては、この程度の寒さであればむしろ暖かい方だった。国中が氷で溢れ、家の素材にすら使ってしまう環境で育ったソフィにとって、雪が視界に入らない日の方が珍しいのだ。
「今日は雪が降っていて寒いわねぇ…コタツの中でずっとまるまっている方が幸せじゃない?」
白く艶のある毛並みを持つ猫、キャトラがソフィにそう話しかける。キャトラの胸元には、側にいるアイリスの髪留めと同じく青い十字のリボンが結ばれており、寒さでふるりと揺れている。
「ふふふっ、私にはコタツというものは少々暖かすぎるのです。氷の国では、このくらいが丁度良い運動日和なんですよ?」
剣を構えながら、ソフィは答える。コタツというのは、アオイの島の民家で使用されている暖房器具の一種だ。テーブルを布で覆い、温熱のルーンを下部に仕込むのだそうだ。
「ふーん…アタシにはとても耐えられそうにないわ…。凍ったかにかまってのも悪くないけどね。でも、かまくらの中は結構暖かいんでしょ?」
シュン、シュンと、ソフィの握る剣―ヴァルトラウテが風を斬る。ひらひらと降り続けている雪の結晶が剣の先に触れ、音もなく散った。剣を振る度に、舞うように鍛錬をするソフィが新雪の上に足跡をつける。
「そうですね、民の皆様は当然寒さに慣れているとはいえ、寒くては寝る事もできませんから、家の中はしっかりと暖かいのですよ」
ソフィの剣が白銀の軌道をなぞると、修練場の案山子はキィン、と氷が砕ける様な音がしたのちに寸断される。
「ソフィさん、お見事です! 今のが、新しい技ですか…?」
白いドレスの上に、青いショールを着込んだアイリスが、ソフィの剣を褒めてくれた。彼女はいつも周りの人間を良く見ていて、心優しい言葉をさりげなくかけてくれる素敵な女性だ。
「そうです! 剣に氷の力を乗せて斬ると同時に凍結させているのです!」
氷の国王家の出身であるソフィは、冷気を操る事ができる。…―昔はこの力がとても嫌で、嫌で仕方が無かったが。この力を斬撃に乗せる事が出来たら魔物に有効なのではと思いついてから、ソフィはひた鍛錬を続けていた。
「すごいわね…。これで魔物なんかが来ても、ソフィがいれば楽勝ね!」
アイリスの近くにいる赤髪の彼もソフィの技を見て、驚きと称賛の眼差しを送ってくれる。いつも寡黙な彼は、時にトリッキーな動きを、時に優しい所作を言葉も無しに伝えてくれる、不思議な人だ。ソフィは彼が話すところを戦闘中以外では知らない。
「そういえば、いつも使っているのとは違う剣ですけど、その剣は…?」
ソフィがたった今鞘に収めたばかりの、瀟洒な装飾が施された鞘に収められた細身の剣を差して、アイリスが問う。
「ああ、この剣を皆さまの前で振るうのは初めてでしたね…。この剣は、勇気の名を冠する剣で、ヴァルトラウテという剣です。氷の国の王家に代々伝えられる業物なのです。本来はお兄様が持っているはずの剣だったのですが…」
軽く説明し、ソフィが再び抜刀する。リン、と鈴が鳴るような音が響き、ルーン文字が象られた美しい剣身が光る。文字が薄青く発光しており、ただの業物ではないことがわかる。
「そう…ですか…、ソフィさんのお兄さんは…」
今日と同じように雪の降るとある日。飛行島を大寒波が襲う日があった。人々は凍え、氷河を好む魔物が活発に動き始めた中、ギルドから緊急避難令と、冒険者へのクエストが発行され、飛行島の面々も原因究明のためクエストに乗り出したのである。
「私たちが幼い頃に、永久凍土のルーンを暴走させてしまい、私を護って命を落としてしまいました。」
寒波が強まり、魔物の勢いが増す中。クエストに乗り出したソフィ達飛行島の面々はついに原因となる”混沌”の魔物を見つける事に成功する。
「この剣は、お兄様が亡くなる少し前に私に下さった御守りなんです。先日の、”混沌”にお兄様が呑まれてしまった時の後に、ようやく私の中で整理が付いたんです…。」
そう、”混沌”の魔物こそが大寒波の元凶であり、その正体は… ソフィの兄が取り込まれてしまった、闇の魔物だった。氷の国を護る為の兄の力が闇に取り込まれ、氷結の恐怖をまき散らす怪物になってしまったのだった。
今でも思い出すと胸にズキン、と鈍い痛みが広がる。いくら暴走を止めるためとはいえ、護るために磨いてきた力を、兄を滅ぼすために使ったあの瞬間を思うと、涙が溢れそうになる。整理は付いているが、この痛みはきっと、一生消える事はないのだろう。護りたい、と思う事さえできないでいた、護られるばかりの自分が持っていた弱さへの後悔。この想いは、そう簡単に無くなるわけがないという自覚があった。
「ソフィさんのお兄さん…。”混沌”の魔物に呑みこまれてしまったんでしたね…」
アイリスも同じ事件を思い返していたのだろう、冬の遠い日を見ているように、視界が揺らいでいる。
「今まではずっと、この剣と向き合う勇気がなかった…弱くて、勇気なんてない、私自信と向き合うのが怖かったのです」
だけど。
「あの時、お兄様が言ってくれた、ありがとう、という言葉が、私に決意させてくれました」
今度は何においても、大事な物を手放さない、と。
「だから私は、この剣を使いこなせるようになって、今度こそ皆様を…大事な物を守り抜きます」
そう、新たな決意を皆に伝えたのだった。
「ソフィ、固いわねぇ…、あまり根を詰めすぎると、親善大使としての仕事の時に近寄りがたいわよ?」
にゃにゃーん、とキャトラが指摘してくれる。
「そそ、そうでした! すみません、重い空気にしてしまって! もちろん、親善大使としても、私頑張りますから!」
「そういうところが固いんだってば。私たちだっているんだから、頼ってよね! 護られてるばっかりじゃなくて、護りたいと思ってるのは私たちだって同じなんだから♪」
赤髪の彼も、鍛練用の木刀を持って肯定してくれる。彼も、内に秘めた力は相当な物だと思うが、不思議と怖くはない。
「皆様、ありがとうございます! とても…嬉しいです…! お礼に、アイスクリームをごちそうしたいのですが、この後いかがでしょうか?」
「ぎにゃー! こんな寒い中アイスなんて食べたら凍っちゃうわよ!」
ふふっとアイリスと赤髪の彼が笑い、空気が緩んだのを感じる。ちょっと気合をいれすぎていたのかな、と少しだけ反省した。この人達だけは、護りたいな…今度は口には出さず、そっと優しい雰囲気を吸い込み、決意を新たにするのだった。
―と、その時、飛行島全体が大きく揺れた。まるで、何か大きな障害物に追突してしまったような大きな揺れだ。
「な、何が起きたの!?」
衝撃に揺さぶられ、雪が刹那の間だけ舞った。ソフィ達は地面に転んでしまう。とても立っていられるような衝撃ではなかった。誰か落ちてしまった人がいるのではないかと思う程の衝撃だ。頭の片隅で飛行島の面々を心配していた時、慌てた足音が一同の耳に聞こえてくる。
「大変だ、ソフィさん! みんな! 進行方向から、レッサードラゴンの大群が進行してきている…! 大きい個体が複数いるみたいだ、すぐに召集をかけてくれ!」
白銀の鎧を身に付けた騎士が、慌てた様子でこちらに駆けてくる。どうやら今の話から推察するに、先ほどの衝撃は巨大な魔物とぶつかった衝撃のようだ。
「クライヴ! な、なによドラゴンの大群って…!? なんでそんなものが…!」
「わからん、おそらく闇の軍勢の誰かに飛行島が見つかってしまったのだろう…! 今は急ぐんだ! 俺も対処に向かう、戦えるものを集めて、避難できるものはすぐに逃げろ!」
クライヴと呼ばれた騎士は、自身も抜剣してすぐさま戦線に駆け付けようとする。
「クライヴ様、私も行きます! この島を、皆さんを護るために鍛錬していたのです!」
今日この日、鍛練を積んでいたのは何のためだ。皆を護るためだ。私が行かなくてどうするのか。飛行島の各地で上がる火焔、金属と牙がぶつかっているのであろう剣戟の音が響き始め焦るソフィに、クライヴは平手を突き出して留める。
「ダメですソフィさん。敵の数があまりにも多い。あなたは御身の癒しの力でケガをしている者を助けてあげてください。これは、剣を振るうだけの俺にはできないことです、お願いします」
「そうですソフィさん、私たちはすぐに避難経路の確保と、怪我人の治療に行きましょう!」
赤髪の彼も抜剣し、アイリスとキャトラに迫る脅威に備え、闇の力―何故彼に宿っているのかはわからないが―を解放した。
「で、ですが…!」
「あなたにしかできないのです、どうか、お願いします…! キャトラ! 今日は飛行島のどこかにエシリアが居たはずだ、探してきてくれ! 扉のルーンを使って戦えない者を非難させてくれ。落とさせはしないがもしもの事がある!」
「にゃにゃにゃーん! 了解したわ! あたしに、まっかせなさーい!」
強引に会話を断ちきり、クライヴの指示に白い猫は俊足の影を残し駆けて行った。私は、また護られるだけなのか…! そう、悔しい想いを抱えながらも、自分にある癒しの力を頼られてしまっては戦う場所が違うと諦めるしかなかった。
「アイリスさん、ソフィさんを任せたぞ赤髪!」
そう言い残し、赤髪とアイコンタクトを済ませたクライヴは前線へと走って行った。
「さあ、行きましょう? 私たちにできることだってあります」
転んだ時に脚を擦りむいたのであろう、左足を引きずっているアイリスを見て、ソフィは即座に思考を切り替えた。
「アイリスさん、先に治療します…! 「クールヒーリング」…!」
ソフィの手から、薄青の光が生まれ、アイリスの脚に手をかざす。薄青の輝きは雪の結晶のような輝きを持ってアイリスの傷口付近に集中していく…。傷の進行を止め菌を氷砕したのだ。
「ありがとうございます、ソフィさん♪ 私、自分自身の治療ってとても下手なの」
大分痛みが和らいだのであろう、アイリスがトントンッと軽く飛び、ソフィにお礼を言う。
「いいえ、私も為すべきことを為さないといけません…すみません、迷っている場合ではありませんでしたね…」
一瞬、自分が持っている力を忘れ、敵の破壊にだけ意識を向けていた自分を恥じる。そうだ、護る力は必要だが、必ずしもそれを使う必要はないんだ…ここには、頼もしい仲間がたくさんいるのだから。
「アイリス~~! エシリアを連れて来たわよ! バロンが今避難警報を出したから、じきにここにみんな避難してくると思うわ。さぁ、エシリア、扉のルーンでどこでもいいから安全な街に繋いでちょうだい!」
雪の上でも問題なく俊足を発揮し、少しも疲れた様子を見せないキャトラがエシリアをまくしたてる。
「もぉ~、チェシャはせっかちだなぁ…安全な場所に行けるかどうかなんて、エシリアわかんないよ~」
「そこは気合でなんとかなさい! 飛行島のピンチはあんたのピンチでもあるんだからね!」
「キャトラ、急いでくれてありがとう。エシリアさん、皆のために、お願いします」
アイリスが丁寧に腰を折って頼むと、エシリアはしぶしぶといった態度をやめた。
「えへへ、しょうがないなぁ~…ちょっと待っててね!」
頼られている事が嬉しいのか、ぱっと笑顔を閃かせる。非常事態でも彼女の笑顔は空気を軽くしてくれる。エシリアは懐に忍ばせていた扉のルーンを取り出し、前に突き出す。空間に小さな黒点が空いたかと思うと、そこにエシリアは手に持っていた鍵型の槍を思いっきり、突き刺した。
「やっちゃうもんね~!」
セリフを声高に決めたエシリアが鍵を捻ると、黒点を中心に周囲の空間が捻じれ、辺りにトランプ型のオーラが舞う。一瞬の光に目を閉じ、再び視界を開けてみるとそこには二人はゆうに通ることができそうな金色の扉が出現していた。
「さすがね、エシリア! さぁ、安全なところへ繋いで!」
「おっけ~♪先に行ってみてくるね~♪」
出現した扉を開け放つと、まばゆい温帯の景色が扉の先にだけ現れている。よもや危ないとは思えないその先に、エシリアが駆けて行ったその時だった。
空から突如― 不気味な「道化」の笑い声が響き渡った。頭の芯を削り取るような、不快な響きをもったこの声は…
「ギャハハハハハハッハハァ! 白の巫女ォ! なーんでお前がこんなところにいるんだよォ!?」
まるで生きている印象を受けない、白い仮面を付けた道化が、宙に浮かぶ巨大ドラゴンの上に座っていた。輪郭が黒くぼやけていて、どうにも存在があいまいに見える。一体どうやって前線の護りを突破してきたのか。
「あんたの仕業ねエピタフ…! どうやって飛行島を見つけたのよ!」
何度も対峙しているのであろう、まったく怯んでいないキャトラはエピタフを問い詰める。
「あぁん? なんですかチビ猫ちゃん… ワタクシがドラゴンを混ぜて遊んでいたとこにお前らが近づいてきたんでしょォ? 訳わかんねぇ事いってんじゃねえ、ギャアッハハハハハハァ!」
どうやら、不幸にもこの飛行島は敵の実験空域を通過してしまっていたようだった。闇のドラゴンの背中にぶつかった時に発生した衝撃がさきほどの揺れらしい。
「俺のドラゴンにぶつかってきやがって…せっかくだから遊んでってやりましょうかねェ…? 馬鹿な白の巫女どもとなァ! 行け、エルドラドォ! 闇の力を、見せてやってチョーだい♪」
エルドラドと呼ばれたドラゴンの眼がギラリと燃え盛るのをソフィは見た。その眼差しは明らかに隣にいるアイリスを狙っている。
「う、うぅ…なんて強い闇の力…!?」
闇の力に気圧されたアイリスの目から光が抜け落ちる。まるでアイリスの力を奪い去っているかのような力の奔流だ。
「一体どんな事したらここまで強い闇が生まれるってのよ…! あんたはやっぱり異常だわ、エピタフ!」
「んん~~?? 褒めても何もでませんよォ? チビ猫ちゃん♪」
ガパッと大きくあぎとを開いたエルドラドの口内から、絶望的なまでの闇の放出を感じる。かつて闇―…混沌に呑まれたソフィの兄の時に感じたレベルの比ではなかった。濃縮された闇は、辺りの光を呑みこんでいく。
「!」
赤髪の彼が一気に力を解放し、胸に光る覚醒のルーンが吠える。地を思い切り蹴り飛ばし、エルドラドに斬りかかろうとしたが、周囲を旋回していたレッサードラゴンに迎撃されてしまう。一匹…二匹と空中で切り捨ててなおも剣を振る。三匹目に一閃、ルーンブレードで斬り払おうとしたその時。エピタフから黒い閃光が打ち出され、火焔の煌めきをまとっていた彼の剣は宙を舞い…三匹目の尾が彼の腹に命中した。
「…!!」
「お前様は黙ってそこで見てるんですよォ? 楽し~~い、ショータイムをなァ!?」
どうやらこのレッサードラゴン達も半端な強さじゃないらしく、訓練所の壁に蜘蛛の巣状の破壊痕を残して、赤髪は崩れ落ちた。
「アイリス様、逃げて!」
赤髪の彼との一瞬の攻防の内に、エルドラドのあぎとから溢れる闇は、周囲の空間を捻じ曲げるほどに肥大化している。
―もう、時間がない! アイリス様を逃がすには扉のルーンの中に行かせるしかない!
そう、ソフィが判断した瞬間。エルドラドが大きく反り返り。
漆黒の奔流がアイリス目がけて射出された。周囲を旋回していたレッサードラゴンの群れを抉り飛ばし、空間を削って闇が襲いかかってくる。
ソフィは咄嗟にアイリスの目の前に飛びだし、地面に手を当て、ドラゴンの熱気で溶けて濡れていた地面を凍らせた。
「もう、これしか…!」
「そ、ソフィさん!? ダメです! ソフィさん!!」
アイリスを思い切り突き飛ばし、扉まで作った氷の道にアイリスを滑らせる。
「お兄様、私とともに…アイリス様を護って…!」
眼前に迫る圧倒的な闇の中で―…ソフィは、ヴァルトラウテを薄青の輝きとともに抜剣した。不思議と心が落ち着いている。アイリスはこれで大丈夫だろう。後は目の前の闇を斬り開くことが出来なければ、おそらく… 私は死ぬだろう。お兄様を護れなかった私が、誰かを護って死にゆけるのなら…それは本望かもしれない。これほど大きな闇の奔流が爆発したら、島中の戦士達がここに駆け付けてくれるだろう。
もし、私が闇に打ち負けてしまっても、みんながいる…!
―迫る闇に焦点を合わせる。私が少しでも威力を減らして、アイリス様を護らなければ!
渾身の光を剣身に乗せ、集中力を上げる…。剣に宿るルーンの文字が青く発光し、周囲の熱気とソフィの凍気がかち合い、蒸気が立ち込める…!
これが…私の…!
フッ と呼気を短く吐き、ソフィは鋭い斬閃とともに冷気を打ち出した。
蒼く光る衝撃波は、周囲の蒸気を瞬時に凍らせ、ダイヤモンドのような輝きを辺りに散らしながら闇の奔流へと突き進む。おそらく、今出せる技の中では、これが私の限界だ。
しかし…やはり、この闇は強大すぎるようで、とても威力を相殺することはできなかった。氷波は闇の奔流に衝突すると同時に砕け散り、暗い雷が弾けソフィの氷を融かす。
ソフィ一人の力では、あのエピタフという者の力には―…及ばなかった。
ごめんなさい、お兄様 せっかく護ってくれたのに
でも…闇の中でなら、またお兄様に、会えるかな? 撫でて、もらえるかな?
誰かを護れた事を…褒めてくれるかな…?
薄れゆく意識が白く閃いていく中を 漆黒の奔流が
塗りつぶしていった。
―――ソフィ。ソフィ?
―――? 何か聞こえる?
しゅん、しゅんっ という音がソフィの意識を撫でる。
―――これは…なんの音?
パチパチと、木が爆ぜる悲鳴が聞こえる。
―――とても、懐かしい気がする。暖かい、何かが私の身体を纏っている。
この匂いは…シチュー?
―――ここは、どこだろう? 時折、冷たい何かが私の頭を冷やしている。
心地よい、やわらかな水を額に感じる。
―――身体が重い…私は、死んでしまったはずでは…何故意識があるんだろう。
―――ここは…天国? それとも、地獄? 闇の中のまやかしなのだろうか?
―――意識の中で、お兄様を見つけた気がする…やはり私も闇に…
ここまで思い出したところで、ソフィは上半身を起こし叫んだ。
「島の皆さまは!?」
「うわわっ! びっくりした!」
突然起きたソフィの声に、近くにいたのであろう誰かが飛び退った。視界がまだ定まっていないが、彼女の髪の毛が大きく逆立っていたので、一瞬魔物かと空目してしまった。視界が徐々に回復してくる…ここは…民家?
「…ふふ、思ったより元気だね。安心したよ。」
一瞬の内に元に戻った彼女の青銀の髪からは、ふわりとした柔毛に包まれた耳が付きだしていた。なんだか…どこかで見た事があるような気がした。首から下げている、サファイヤがはめ込まれたネックレスがチリン、と揺れる。私と同い年くらいだろうか…? 優しげな瞳の中に、意志を感じさせる目に既視感を覚える。
「こ、ここは…? どこですか? 私は何故…?」
―あの漆黒の爆流の中、意識が削り取られた後の事を覚えていない。しゅん、しゅんとやかんが湯気をあげている暖炉に、薪がくべられており、ソフィの視線の先でパチッと炎が弾けた。薄い意識の中で聞いていた心地よい音はこれらの音だったようだ。
「ここは、街の宿の中だよ。あなたは山の中で倒れていたの。鎧とか、すごく壊れていたから勝手に外させてもらったけど…ごめんね? 山の中で何かに襲われたの?」
「山の中…ですか!?」
「あ、まだ動いたらダメだってば!」
そんな馬鹿な。もし飛行島から落ちていたのだとしたら、私は助かるわけはない。だとしたらいったいここはどこなのだろう?
街の喧騒に気付き、ソフィは慌てて窓を開ける。窓から見える景色は…雪と氷に閉ざされており、人々が項垂れて歩いていた。市場の人間が見えるが、活気があるのは商人達だけのようだ。物々しい装備を付けた兵士が街を歩いており、重槍を構えているものが多い。
―この景色を、街を、ソフィが見間違える筈がなかった。
雰囲気は重々しい。しかし…だけど…
ここは―…
氷の国だ。
連載作品です。がんばります。
章タイトルの後にはだいたい文字が省略されています。内容と合わせて予想してくれたら嬉しいです。
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