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Yukibou's Hideout on Hatena

自分用備忘録的な何か。

遊びをクリエイトするのはナムコというか子供。

ゲーム 子育て
遊びをクリエイトする。

1955年。東京都大田区池上に、有限会社中村製作所が設立された。

父の経営する鉄砲店から独立して会社を立ち上げた中村雅哉の最初の仕事は、自ら集めた僅かばかりの資金で買った中古の木馬を、横浜のデパートの屋上に置いてもらうことだった。

中村は、この木馬をもっとお客に楽しんでもらおうと、木馬で遊ぶ親子に声掛けをするなどのコミュニケーションを図り、売上を伸ばしていった。その後、数々の遊具をデパートに置いてもらうものの、中村は娯楽産業への限界も感じていた。

その頃、注目を浴びつつあったビデオゲームに活路を見出そうと、巨額の資金を投じてアタリジャパンを買収し、ビデオゲーム業界へと進出する。

社名もNakamura Amusement Machine Manufacturing Company、略してNAMCOへと変更し「ジービー」「ボムビー」などのゲームを発表。そして、世の中がインベーダーブームに沸き立つ中、初のスプライト処理によるシューティングゲーム「ギャラクシアン」をリリースし、大ヒットを記録する。

その後、現在に至るまでナムコのイメージキャラクターとして知られる「パックマン」を発表、世界的に爆発的なヒットとなりNAMCOの名前を世に知らしめることになった。

ナムコは、セガとともに常に業界の先頭を走っていた。パックマンの後も「ニューラリーX」「ギャラガ」「ディグダグ」「ゼビウス」「マッピー」「リブルラブル」「ドルアーガの塔」「源平討魔伝」「女神転生」「ファミリースタジアム」「ワルキューレの伝説・冒険」「ウイニングラン」「リッジレーサー」「エースコンバット」など、業界に大きな衝撃を与えたり、技術的な飛躍をもたらしたりする作品を次々とリリースした。

ナムコのCMは夢に溢れていた。自分はCMでゲームそのものだけでなく、それを作った会社までをも意識したのはナムコが初めてだった。

ナムコのCMには印象的なキャッチコピーが多かった。「クーソーしてから寝て下さい」などもなかなかに素敵だったが、何と言っても一番心に残るキャッチコピーは下記のものであると言い切って差し支えないと思う。

「遊びをクリエイトするナムコ」

まさに、当時のナムコは「遊びをクリエイト」していた。

 

遊びをクリエイトする子供。

先日、実家に娘を連れて行った時のことだった。

近所に住む4歳の子供が、「ゆきぼうさん家に赤ちゃんが来てる」という話を聞きつけて遊びに来たのだ。

その子は、事あるごとに娘に会いに来ていた。何でなのかは不明だが、毎回来ていると聞きつけるとやって来るのだ。

別に一人っ子という訳ではない。姉も兄もいる末っ子である。自分より下の月齢の子供が珍しくて見に来るのかもしれないし、単にウチの母に懐いているだけかもしれない。

とにかく、その日は1歳児の娘だけではなく、4歳児の相手もせねばならなくなった。

その子は、ウチの娘を妹的な感じで見ているのか、随分とお世話をしてくれた。色々なおもちゃを与えては、自分では思いつかない奇抜な遊び方をしたりしていた。

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「なるほど、これが4歳時の発想力か…」

などと感心していた。

その後、母の化粧台の椅子をキッチンに、おもちゃ用のバケツを寸胴に見立てて、本格的なままごとが始まった。

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4歳時は、自分がフリスクのケースにビーズを入れて音を鳴らすおもちゃにしていたのを目ざとく見つけ、これを食材の代わりにした。

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このビーズを、鏡餅を置く台(人形置きにしていた)を逆さまにした謎の調理器具に入れて、つみ木の棒などで潰したり混ぜたり、太鼓のバチをオタマの代わりにして、丁寧に丁寧に時間をかけて調理(の真似)をしていった。

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その間、自分と娘は「まだ料理はできないのでおとなしくしててくだささーい。あ、でもゆきぼうさんはちゃんと手伝ってくださーい」と指示されて、かき混ぜるときに飛び出したビーズを何度も拾う作業を強いられた。

ちなみに、調理器具は以下の様なもので、エアコンのリモコンはチャッカマン、カラフルなハート型などのブロックは料理の型、洗濯バサミはよくわからん調味料、マヨネーズ型のおもちゃはそのまんまマヨネーズ扱いだった。

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最終的に、夕方に4歳時のおばあちゃんが迎えに来て、彼女の作っていた料理は最後まで完成しなかった。何を作っていたのかは結局わからずじまいだった。

とにかく驚いたのは、4歳児が次から次へと色々なシチュエーションを考え、なんの関係もないおもちゃを瞬時に調理器具に見立てて、どんどん遊びを組み立てていくことだ。

彼女の中ではなにか順番というかセオリーが決まっているかのように、なんの迷いもなく作業が続いていく。ひょっとしたら全部適当にやっていたのかもしれないが、彼女のとても真剣な眼差しは、まるで星付きのレストランで働くシェフのようだった。ちなみに、星付きのレストランには行ったことがない。

14時頃に来て18時過ぎに帰るまで、かなりの時間をこのままごとに費やしていたのだが、彼女の中では一体何が完成する予定だったのだろうか。正直、最後までこのままごとの行く末を見守りたかった気がする。

勿論普通に考えて即興でやっていたのは間違いないだろう。それでも、目の前で4歳児に見せつけられた芸術的なままごとは、まるでテレビで料理の鉄人を見ているかのようで、とても新鮮である意味衝撃的だった。

ウチの娘はまだわけもわからずに「あー」とか「うー」とか言っているだけだったのだが、あの4歳児には来るべき未来を垣間見せてもらった気がした。

彼女は間違いなく、遊びをクリエイトしていたのだ。