現在の教会へ
富良野地方は砂川教会の献堂後、同教会の巡回地となり、主任司祭のヤヌワリオ師が巡回司牧に当たっていた。富良野地方には二十六名の信徒が居住していた。みな熱心な信徒で、教外者への宣教も活発だった。 こうした信徒の努力が実り、3,861平方メートルの敷地に213.5平方メートルの「聖園幼稚園」を新築し、その一室を聖堂として1952年(昭和27年)10月27日、富良野教会の献堂式が挙げられた。初代主任司祭・初代園長には、フランシスコ会オランダ管区のスタニスラオ・ムルダー師が就任した。 当教会開設までには、教外者の一婦人の熱心な協力があった。故名取マサさんである。名取さんは、戦災孤児、海外からの引揚げの孤児を収容する「国の子寮」を富良野に設立し、その寮長をしていた。子供達に宗教教育の必要を痛感し、ヤヌワリオ師に依頼し、国の子寮でミサを挙げ、多くの子供達をカトリックの信仰に導いた。昭和28年のクリスマスには、国の子寮の保母、子供達が20名も受洗した。彼女は富良野教会の敷地の買収、建築に尽力されたが、1971年(昭和46年)帰天する前に受洗した。 さて、献堂後、教会は発展し、教会は狭隘(きょうあい)になり、また厳しい風雪に耐えてきた老朽化のはげしい教会・幼稚園を改築することになり、ドイツの信徒、当教会信徒の協力で、建物全てを新築し、1979年(昭和54年)4月30日、献堂式が行なわれた。新教会は386平方メートル、幼稚園755平方メートル、いずれも鉄筋コンクリート造、総工費8,500万円であった。
主任司祭、テオドール・シーベル師の尽力に負うところが大きかった。