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邦人を守った上海の激戦 『日中戦争は中国の侵略で始まった』阿羅健一著
知多半島の突端近くに中之院という小さな寺がある。そこに約50体の兵士の石像が静かにたたずんでいる。第二次上海事変で邦人の命を守るために、若くして戦死した若者たちの像である。
昭和12(1937)年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海の「日本租界」に、約5万人の中国軍精鋭部隊が、協定を破って突如襲いかかってきた。守るはたった4千人の海軍特別陸戦隊。
そこから3カ月に及ぶ大激戦が始まったが、日本軍は4万人以上の死傷者を出しながらも租界を守り切り、潰走する中国軍を追って南京へと向かった。
近現代史研究家の阿羅健一氏は、この上海での激戦をつぶさに検証。ドイツ軍事顧問団の働きを解明し、実は日中戦争を望んだのが中国側だったこと、そして日本の反撃戦として南京攻略戦があったことを明らかにしていく。
こうした歴史的事実を踏まえることもなく、中国政府は平成27(2015)年10月、一方的にユネスコの世界記憶遺産に南京事件の資料を登録した。それを放置することは、「日本人は残虐だ」という誤った認識を世界に広めることに他ならない。