2016年3月3日10時59分
▽舞鶴工業高専生が調査・発表
規模・施工技術を推定
舞鶴工業高専(舞鶴市白屋)建設システム工学科の学生2人が、学校近くにあった旧海軍第三火薬廠(しょう)を調査し、1日に市政記念館で開かれた卒業研究発表会「まいづる土木・建築フォーラム」で発表した。
第三火薬廠は、同市の朝来地区を中心に1941年ごろ作られ、終戦まで旧海軍が使用する砲弾、銃弾の爆薬などを製造していた工場。同科5年の中野友梨子さん(20)と中村剛規さん(20)が、その一部の「砲熕(ほうこう)谷22工場」の遺構を調査した。
2人は建物の測量を行い、3D画像を作成。建物はコンクリート製(開口部は木製)で、中央の道路に対して対称に3棟ずつ建てられており、とくに中央の2棟は長さが54メートルにも及ぶと推定されることがわかった。露出したコンクリートの目地を参考に、当時の型枠など施工技術を推定したという。
中野さんは、調査結果から「コンクリートが厚く、一方向に開口部が作られているのは、万一の爆発事故に備えてではないか」と推定。専攻科に進学してさらに調査を続けるという。中村さんは「火薬廠の建設によって土地を追われた住民の苦悩もわかった」と話した。
火薬廠の歴史に詳しい市民団体「戦争・空襲メッセージ編さん委員会」の関本長三郎事務局長によると、砲熕谷工場では、砲弾や銃弾に爆薬を詰める作業が行われていたという。関本さんは「専門的な知識から火薬廠の構造に迫っている。若者によって、火薬廠の実像に光が当てられた」と評価し、今後の調査にも期待を寄せていた。