「何かを楽しめる」というのは、才能であり、素養だと思います。何かを楽しんでいる人は、「俺にはこれを楽しむ素養があるんだ!!」と思っていいし、楽しめていることに誇りをもっていい。
これは昔からの話なのですが、私には、映画とか、ドラマとか、アニメとか、そういう「お芝居仕立て」のコンテンツを楽しむ素養というものが決定的に欠けています。
漫画は好きなのです。ゲームは好きなのです。私は漫画やゲームを山ほど摂取しますし、力いっぱい楽しむことが出来ます。
ただ、私にはアニメがあんまり楽しくない。わくわくしないのです。目前でアニメが展開しているのを見ても、ほへーと思うだけで、漫画を読んでいる時のような「これおもしれーー」感が全く感じられないのです。
ドラマやお芝居は何をかいわんや。私が最後にちゃんと通して見たアニメは、幼少時に見ていた「トムとジェリー」と「オズの魔法使い」です。
漫画やゲームが大好きという話をすると、「じゃあアニメも好きなんだよね」という話になることは多いです。どうも、一般的には、アニメは漫画やゲームと同じフィールドの趣味であるらしい。しかし、「漫画やゲームは大好きなんだけど、アニメは全く楽しめない」という、この楽しめないっぷりを人に説明するのは正直困難です。
悩むというほどのことでもないのですが、なんでじゃろうな、と思っていました。
最近になって、しんざき奥様とその話をしていたら、奥様の口からさらっとこんな言葉が出てきました。
「主体的にお話を進められないのがダメなんじゃない?」
ああ、と思いました。
そうかも。
漫画は、自分のペースで、自分が思うようにページをめくって話を進めることが出来ます。
ゲームは、自分のペースで、自分が思うようにコントローラーを操って話を進めることが出来ます。
多分私は、「自分で進める」というコンテンツに馴染みすぎて、自分がコントロールできないペースで話が進むコンテンツを楽しむことが苦手になっているのかも知れんなあ、と。
25年来くらいの疑問が、奥様のたった一言で氷解したわけです。奥様すごい。奥様かわいい。
いや、多分損してるんだろうなあとは思うんですよ。アニメも映画もドラマも、すばらしいコンテンツ揃いです。アニメを楽しんでいる人の話を聞いて、面白そうだなーと思うこともあります。ただ、いざ見てみると漫画やゲームほどには楽しめない。
こればっかりは、素養の欠如というしかないのかもなー、と。
だから私は、「アニメや映画が楽しめない代わりに、漫画やゲームを人一倍楽しむことが出来るんだ」と思うようにしています。実際、ゲームが死ぬ程面白いので、目下特にコンテンツ的な不自由は感じていません。ダラバーCS死ぬ程おもしれえ。
何はともあれ、「自分が楽しめていること」については、あらゆる人が誇りを持っていいと。私はそんな風に思うのです。
今日書きたいことはそれくらい。