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2016-03-05

[]『スレイヤーズ』と『このすば』 『スレイヤーズ』と『このすば』を含むブックマーク

ライトノベルタグにしたけど、あんまりラノベとは関係のない記事になるもよう。

さて、今回のお題、ちょっとどうにももどかしい感じがしたこの二つ。

「「このすば」が、現代スレイヤーズとはどうしても思えない件について」(togetter:945813)

この素晴らしい世界に祝福を!アニメ化成功原作売り上げ3倍増」(p://mantan-web.jp/2016/03/01/20160301dog00m200011000c.html

まず前者、togetterにて引用されていた下のまんたんウェブ記事で、スニーカー文庫編集長さんがこんなことを言ったらしい、ということがそもそもの発端。

スニーカー文庫編集長の森丘めぐみさん
「初めて読んだときの印象は、現代版『スレイヤーズ』でした。世界観や設定、構成キャラクター描写、コメディー部分などが全体に秀でていました」と振り返りながら
「(お色気を前面に出す)最近の主流から外れた作品で、そのため読者には新鮮に見えたと思います」
と話している。

これだけ読むと「はあ?そうかぁ?」と思ってしまったわけだけど、そのあとの上記つげったを読むと、さらにそれ以上に「きみ、何言ってんの?」な気分に。

スレイヤーズ』登場時の衝撃は今でも覚えているけど、なんか新しい時代が来ているみたいな感じがビリビリあって、目前から暗幕が取り払われたような感覚だった。
だがそれが良いことか悪いことか、という点については自分の頭の中で整理できなくて、アニメが始まった頃にようやく、うーん、そんなもんかなぁ、なんて気がしたものでありました。

もちろん原作は読んだものの、さすがにこれくらい時間が経つと細かなところは覚えていない。
だが和製ファンタジーが先達の呪縛から解き放たれて、新しい方向に歩き始めていたような、そんな印象みたいなのはぼんやりと覚えている。
その一方で、ラノベの開始時期境界線問題と重なってくるので用語としては微妙だけど、ジュブナイル時代の名作『超革命中学生集団』とか『クラッシャージョウ』「連帯惑星ピザンの危機」あたりから続く、対象者を十代に絞り込んだような、それでいて基本文法とその逸脱を十分心得ているような作りとか、そういったところに感心はしたものの、ではそれが自分のフィールドか、と問われると自分ことなのに判断に苦しむというか、ちょっとうまく位置づけができない印象だった。

確かに『このすば』も、以前のファンタジー文法というか定式みたいなものを逆手に取っている感じではあるのだけど、受ける印象がかなり違うので、とても『スレイヤーズ』との共通項、みたいなところへは思索がいかなかった。
もっとも、つげったのコメント欄でも指摘されているが、まんたんウェブ記事の方は「現代版」という表記の方に比重があったのかも知れず、だとしたら似ているかどうか、というのはあんまり関係がなく、そのインパクトの方が重要なのかな、という気にもなった。
しかし、しかである
それでも『スレイヤーズ』初出時のインパクトとはまったく比較できそうにないと思うけどなぁ・・・。
インパクトの点で『スレイヤーズ』と比較されうるとすると・・・人によっては違うだろうしさまざまな考えがあるだろうが、私としては『マリみて』と『ハルヒ』くらいしか思いつかないんだけど。

あと、決定的なことを一つ。
私は『スレイヤーズ』はなんかとてつもなく新しい、とは感じたものの、大して好きではなかった。(嫌いっていう意味ではないので念のため)
しかし『このすば』はかなり好きな部類で、アニメから入ったけど、原作を読んでいる真っ最中だったりする。
ということで、出だしはわりと同じこと考えてるなぁ、と思ったのに、その手法を見て「いや、それ全然違うから」と思ってしまった、珍しい意見でありました。