スポーツ誌『numeber』で柳澤健氏の『1984年のUWF』という連載が始まっていたんですね。知らなかったよう。気づいた時には第4回になっていました。痛恨。さっそくバックナンバーを読まねばと思っております。単行本になるまで待ちきれないぜっ。
なお柳澤健氏は『1976年のアントニオ猪木』の著者。
↓ 気付いたのがこちら。
話が逸れ易いワードが既に山積しておりますが、今日は昭和プロレスから、「素質とスター性」という天性のもの、努力では身に付かない天分からレスラーを評価してみようと思います。ちなみに全く迷いませんでした。常々思っている順位そのままです。
1位:佐山 聡(初代タイガーマスク)
新日入門時点から既に格闘技志向だった佐山聡が、同時にスターレスラーとしての天分に最も恵まれた男だった、というのは何たる皮肉かと思いますが。
初代タイガーマスクは日本プロレス史における最高の傑作であり、新日ブームに火が点くには、広く客層のニーズを満たす事が出来た猪木ータイガーマスクの両輪の存在が不可欠でした。
初代タイガーマスクの動きはよく「華麗」と表現されましたが、私は「ナルシシスティック(narcissistic)」と表現したいですね。半身に構えて爪先でのステップワーク、腕関節を取られてから身を翻しての切り替えし(プロレス用語だとスイッチ)、コーナーポストから場外へボディアタックで跳んでいく際の空中姿勢。いずれも天才だけに許される一種の傲慢さが滲み出ていました。
こんな事は簡単に出来るんだ。跳んだり跳ねたりのプロレスなんてお茶の子さいさいなんだよ。セメントでやっても俺は十分に強いけどな。
そんな佐山の心の声が聞こえてくるような試合運び。好きでしたねぇ。
ロープの間を抜けて場外への低空飛行のプランチャ!と見せかけて、上下のロープを掴んでクルッと横回転のブランコのようにリングに戻るタイガーマスク。勿論回転中も着地も、両足はつま先までキチンと揃えたまま。うおーすげえ!と湧く場内。
技を出さずに場内を沸かせるレスラー、まさに天才佐山ここにありでしたね。
正直、初代タイガーマスクの動画ってどれでもいいです。どれを見ても佐山の天才ぶりが分かりますので。
↓ ミサイルキックの直前に注目。セカンドロープからトップロープに一発で飛び乗って、そのまま間髪入れずジャンプに入っているのが凄い。このバランス感覚とバネ。ローリングソバットも綺麗です。
冒頭の『number』2月号、『1984年のUWF』から。
しかし、新日本プロレスに入門して半年あまりの18歳は普通の人間ではなかった。
プロレスが結末の決まったショーであるのなら、本物の格闘技にしてしまえばいいと考えたのだ。
「格闘技は、打撃に始まり、組み合い、投げ、極める」
佐山はこのように大書して自分の部屋に張り、さらに自分の考えをアントニオ猪木に伝えた。
猪木は佐山の提案に大いに賛同してくれた。新日本プロレスの内部に格闘技部門を作ろう、そのときはお前を第1号の選手にしよう、とまで言ってくれた。
1978年にメキシコにやってきた佐山を、グラン浜田は端的に評している。
《あいつは天才だわ。バネ、脚力、瞬発力、あれに匹敵するヤツなんか見たことない》
2位:船木 誠勝
昭和プロレスファンとして今でも残念なのは、全盛期の船木選手(この呼び方がしっくりくるのも船木らしいですが)の、エンターテインメントに徹したプロレスを見られなかったことです。全日に上がった頃の船木選手はもう40歳。全盛期をとっくに過ぎていて、既に昔の名前で出ています状態だったことは否めません。
第二次UWFに凱旋帰国した頃の船木選手、ホントにカッコ良かったですからねー。長髪に謎のロング鉢巻をなびかせて入場した彼が、コーナーポストに上がると場内がどよめきました。とにかく見栄えがする。オーラが会場の隅々まで伝わる。本物のスターでした。
当時の船木選手を評するならば、
sense of wonder.
新しい時代のレスラーが誕生した!という感動を覚えたものです。
20代の頃の船木に、プロレスをやらせてみたかったですね。当時最年少の15歳でプロデビューした船木選手は、若くして既に将来性を嘱望される存在で、猪木は「ジャッキー・チェンと闘わせて新日最大のスターにする」というプランを早くから持っていたといいますから。
船木選手も格闘技志向が強く、掌打や浴びせ蹴りでライガーと共に「骨法ブーム」の立役者になりました。ルックス、レスリングセンスともに抜群。船木選手堂々の2位にランクイン。
試合序盤から掌打を連発し、高田延彦を実質KOに追い込んだ(疑惑のカウントで救済される)UWF時代の大阪の試合を載せたかったのですが、残っていないのでこちらで。↓
3位:ハヤブサ(江崎 英治)
昨日(3/4)訃報をYAHOOニュースで見て愕然としました。クモ膜下出血で47歳で亡くなられたということで、心から哀悼の意を捧げたいと思います。あなたは素晴らしいレスラーでした!
ハヤブサの素晴らしいところはとにかく空中戦の美しさ、バネの効いた技のキレでしょうね。
183cmと長身でありながら(ライガーは公称170cm)、身体能力は抜群。ハヤブサ以降、日本のJr.ヘビー級の跳び技のレベルは間違いなく上がりました。
ハヤブサと言えば、何と言っても
フェニックス・スプラッシュ。
この技を初めて見た時の衝撃たるや。なんじゃこりゃあ!カッコ良すぎるにもほどがあるだろうと。
口で言うとよく分からないと思いますが、コーナーポストのトップロープ上でリングの外を向いて立って、体操のムーンソルトのようにひねりを入れながら前方回転してリング内の相手にダイブする、というものすごく難度の高い技です。
是非動画で見て欲しいのですが、下の動画の場合、ハヤブサが0分45秒あたりで出す技は、厳密に言うとファイアーバード・スプラッシュという別の技ですね。リング内を向いて立っているのが違いです。ただ試合としても面白いのと、ハヤブサの得意技がほとんど網羅されているのであえてこれで ↓
↓ ちなみに本物のフェニックス・スプラッシュはこんな技。二人目がハヤブサ。
獣神サンダーライガーが音頭を取って1994年に実現した「Jr.ヘビーオールスター」でのそのライガー戦。入場直後、まだガウンを着たままで、場外へノータッチ トップロープでのトペ・コン・ヒーロを見事に決めたその瞬間こそが、ハヤブサのレスラー人生最高の瞬間だったと思います。スピード、高さ、空中姿勢の美しさと、全てが完璧な一撃でした。
プロレスの神様が与えてくれた瞬間
だと思いましたね。あれだけの大舞台で、完璧にあの技を決めてみせたハヤブサ。まさに プロレスの神様に愛された男だと確信しましたもん。
上の天龍との試合でも、冒頭でハヤブサ、いきなりトペ・コン・ヒーロを出していますが、トップロープを掴んで回転しているのが分かると思います。かなりウエイトアップした為に、以前のような高いジャンプは出来なくなっていたと見ますが。それでも彼の才能が充分に伺える綺麗なフォームです。
今やJr.ヘビーではフェニックス・スプラッシュは標準装備の技になりましたが、この技の元祖がハヤブサである事は忘れたくないところ。
失礼ながら年代的には佐山聡氏が圧倒的に古いのですが、それでも「素質とスター性」での評価ならば、頭一つ以上抜けていますね。彼を超えるスター選手が、今後日本のプロレス界に現れることは無いような気すらします。
技術が進んで、今のトップ選手は初代タイガーマスクの技を全て使えるはずです。でもプロレスの面白いところで、同じ技を使えることは、同じレベルで観客にアピールする事を全く保証しないんですね。
あらためて言いましょう。佐山聡の才能の輝きは、他の追随を許さないものがありました。今もなお、です。
以上 ふにやんま