最近話題にも上らなくなってきた、銚子電鉄の存続問題。
一部のHPでは現社長を含めて、銚子には魑魅魍魎のやからが、せんべいの(たかがせんべいの!)利権を巡って争っているとの記事もあります。
ま、税理士のやっていることですから、イオンにさんざん店舗を広げて、「Nゲージ」の在庫を利益分散させているような行為をするようなこともあるようですから、銚子電鉄の現社長を含めた「廃止推進派」のやっていることは、じつにめをおおうような話ばかり。
金のことはくわしく分析できない自分の無知を、私自身が恥じる部分なありますが、一部のマニアが質問箱などに書いている「無責任発言」、これは許しがたい。
いわく「銚子に必要のないもの」「廃止は当たり前」「飯を食う以上稼げないものはいらないんだ」という、ローカル線廃止の際に「必ずと言っていいほど」書かれる内容です。
もし、これを主張の上で「銚子電鉄の廃止を肯定される方々」に聞くのは、なぜ「昭和47年頃(記憶だけで書いてますので間違ってたらごめんなさい)の廃止反対運動」に始まる、銚子電鉄の存廃運動が、それから延々45年以上も銚子電鉄自体の存続につながっているのか?
もし仰る通りならば、銚子電鉄はとっくの昔になくなっています。
すでに例の「稼がなくっちゃいけません」の呼びかけのときですら、国鉄の廃止対象線のレベルを超えています。
それにもかかわらず、銚子電鉄はなくなっていない。
銚子の人間は、ものがそこにある間ははっきりいって無関心です。
(おまえ、銚子の人間ではないだろう?と仰る方もおいででしょうが、私は生まれが東京であるだけで、両親はれっきとした「銚子の人間」であり、高校時代までは自宅だけ「銚子市内」みたいなもんでした)
そしてとても楽観的な人々ですが、いざそれを守る段階に至ると、他人同士でも「家族のように」一致団結します。
まして、許しがたい不正行為を働く輩を見つけたら、本当に行動を起こしてしまう人もいちゃったりします。(いわゆる短気直情型・笑。銚子遊覧鉄道の廃止の際の歴史が証明しています)
しかし、時代が変わったとはいっても、最近自分も銚子の街を訪問して、確かに寂れてはいましたが、街の人と語ったり、通りすがりのおっちゃんと「おれは●●のさかんとこの(坂のところの)、××の孫だよ」というと「あーあすこのかえ」と、いうあたりは何にも変わっていません。
すなわち、銚子電鉄は、銚子にとっては「そこにあるもの」なのです。
つかわないんです、正直言って。もうくるまはありますから。
のらないんです、ふつうは。用事がないんだもの。
でも、銚子の人にとっては「むかーしからある電車だからねえ」というのが認識。
普段毎日のように「時計」をいじりますか?
毎日戸棚の中身をみんな何らかの用途で引っ張りだしますか?
おはようございます?と挨拶しなかったとなりのおっちゃんは今日は元気かい?て毎日考えますか?
そんなレベルなんです。
ではたしかにお金の話も出ますわな。稼がないといけない。
毎年よくもまあ、国から県から市から、お金もらいますなあ。
で、営業はやっている訳です、じっさいには。
鉄道って、もう自力でできるのは大手とJR・新幹線くらいでしょうかね。
あとは、道路や橋なんかと同じですよ。
てつどうってのは、「インフラ」です。
道路は金がかかってないじゃん…なんて馬鹿なことイワンでくださいね。
毎年補修費がどんだけかかるか。
それに40年代に敷いた橋なんかは老朽化でどう架け替えるか、高速道路は??
それが民営だから…という話にはもうならないんです。
毎度書きますが、北海道に住んで、廃線後があちこちにある、むろんそのほとんどは、なくなって当然の場所も多々あります。
産業がなくなったんですから。
さて、ではどうなったか??
まちがなくなりました、ひとがいなくなりました。物流が消えました。
野っ原になりました。
回りの街や村がどんどんさびれました。
札幌に集中してしまいました。
でもいったん敷いちゃった道路やら何やら残っています。
補修どうしよう?誰もいないのに??
街のがらくたを撤去します、市税が入らないのに金をかけるの??
若い人が特にいなくなってしまったんです。高齢者ばかり。
あれ?年金財政は??市の収入は??????
と、なっています。
たかだか、みなさんのおっしゃる「ローカル線を廃止したため」に起こったことです。
「乗らないからいらない」でやったことです。
JR北海道の一部に「ローカル線廃止を趣味としている人がいる」ことがやったことです。(←ここは声を大にしていいます・爆笑)
北海道といっしょにするなって??
では、本州型のローカル私鉄がなくなって、何が起こっていますか??
スポードが遅いだけで、過疎化、高齢化は加速してませんか?
ほかの街だって、みんなそうなってるよ、電車がなくなったからではない!と仰る方、本当に若い人が、鉄道がなくなった街とそうでない街で、いなくなり方が同じだと思いますか?
簡単に、地方のレベルだから、本州だから、なんてくくれないものがあるんです。
鉄道趣味者は、ただたんに「電車好き」「汽車好き」なだけではありません。
ちゃんと冷静に、状況の変化を見ているものもおります。
話が脱線した!
銚子の人間は、銚子電鉄に興味がないのか?
そんなことはないんです。みんな水と空気レベルでしか考えていないから、無関心なだけです。
まわりがどうこう言う筋合いはないのかもしれませんが、銚子電鉄をずっと見続けてきた自分としては、銚子の人間もずいぶんと甘くみられているんだなあ、なめられているんだなあと憤った次第。
ひとつだけ、銚子電鉄をそれでも廃止しようとするならば、その人間は「銚子の人間ではありません」
「銚子の家族」ではないのです。
「銚子の人」ではないからできる技です。
この件は、今後も外からもじっくり観察していきます。
銚子の人間をなめるなよ!ましてや今現代を生きている自分ではありますが、体に流れている血は「昔の銚子の人間の血を引いている」んです。
しっかりと、状況を観察していきます。
しかしこれって、単なる殴り書きだ!興奮して書いて失礼しました。
スポード、なんて書いちゃった。如何に興奮していたか(苦笑)
投稿: らじ店主 | 2014年11月19日 (水) 17時21分
銚子の「ぬれせんべい」は近所のスーパーにも置いてありまして、もちろん、銚子電鉄の電車が描かれています。これを見る度に、この売り上げで鉄道が守られたこと、それに対してせんべいの売り上げを赤字の補てんに使うのはおかしい、という意見があったことを思い出しました。外野のファンとしてはきっかけはともかく、鉄道が存続できていることをよし、としようと思うのです。
ちょっと考えられないことですが、東名高速が開通して間もないころ、御殿場線の駅に「御殿場線廃止反対!」という看板が見られたことがありました。当然のことながら、東海道本線が自然災害などで被災した際には、貴重な補完路線となる、この元東海道本線は実際、D52がつばめを牽引したこともありました。寧ろ戦時中に片側の線路を剥がしてしまったことを悔いる声さえあるにも拘らず、です。
誰が、廃止してしまえ、と声を上げたのでしょうか?想像するに、東名高速道路とほぼ同じルートを辿る御殿場線を疎ましく思う輩・・・道路族!?とにもかくにも自らの利権のために、大局を見失って(無視して)、他者を排除しようとする動きには常に目を光らせる必要があります。いつから日本人は、こうも金に卑しくなってしまったのでしょうか。
投稿: 裏克弥塾生 | 2014年11月20日 (木) 22時10分
裏克哉塾生様
大局を見失いやすいのは、なんとなく日本人の特徴なのかな?と思うことがあります。
政治のこと、経済のこと、はたまたもっと小さくいえば、ご近所のこと、自分のこと。
なんだか先読みができない、手元ばかりを一所懸命になってこねくり回す、これってけっこう自分を含めて、周りの人には多いような気がします。
翻って、自分をみるとき、これは反省やら、いまだにそんな次元にすら到達できないという恥ずかしさをこめて、あえて、ええかっこしいで書きますと、私もけっこう金に汚かったりします。
しかしながら、やっぱりいろいろと50年ばかり「人間」なるものをやってくると、自分がみたりやったりしたことで、自分がうれしい、気持ちいい、よかったーと思うことをしていると、そういうものが人から還ってくるようになると思うようになりました。
「てんめええ!!」とか「こんにゃろ、だましてやろうかい」なんて思うやつばらには、やっぱりそういう人や事象しか還ってこない。
お金なんてのは使う人のところには居着かない、なんて言葉がありますが、居着く代わりに「強欲」だと「色欲」だのを引き連れてきますので、それが幸せなのかな?と考えたりします。
かつて「時刻表や」にいた頃を振り返り、これほど「期待はずれ」で「人にいいだけ迷惑をかけ」「上司を裏切り」「まともなものすら作れない」駄目社員はいなかったと、猛省しております。
その頃の自分を振り返るとやっぱり「ちいせえ自分」が恥ずかしい。
吾日に吾が身を三省す。
未だにできていない、自分のはずかしさ。
だからこそ、もうちょっと自分のことより他人の思いやりを忘れないように、もう一度心に銘じて(キモとはあえていいません)暮らしてみたとき、ちょっと心が軽くなったような気がします。
人の喜びを自分が一緒になって喜べる、人の悲しみを一緒になって分かち合う、そんなことがこんな年になってまで、そのかけらすらわからなかった自分が、やっぱり小さく思えるんです。
あーなんで電車の話から普遍的なはなしになっちゃったかな(笑)
わが第二のふるさと、銚子は、いまでもきっと「ちょうし」であるままだと信じております。
それゆえに、銚子電鉄はいまだに、銚子という街に守られている、かつてアノ電車を守っていたのは外川を含めた「網元」たちです。
午前3時に「でんしゃだしてくんなっせーよー」「おきらっせーよー」とやっていた漁師たち、暁の時速30キロ超特急を走らせていたのは、漁師たちです。
そんな時代がマイクロバスに変わっても、学生が利用し、地元の人も「たまにはでんしゃでいぐか」とのって「あーいがでんぐりけーるとおもった」と笑っている。
正直言って銚子電鉄に「クーラー」も「カルダン駆動」もいらなかった。
スイスにある、スイス国鉄にすら接続していない地方ローカルな電車があると聞き及びますが、そこを走る電車は、あの「デハ301」すら軽く超えるロートル電車です。それでも地元の人は愛着を持って、あえて車を使わずに乗っている。銚子電鉄も本当はそうであってほしいんです。
そこで「せんべい」の三億だかの売り上げ欲しさに駆け回るやからがいま銚子電鉄を無き者にしようとしている。あのやりかたをみていると、野上電鉄やら北恵那鉄道やらの廃止の流れをそのまま追っている感じです。あと3年が正念場でしょう。
それでも、銚子電鉄はかならず、銚子の人が手を差し伸べると思っております。
数字しか見えない輩や、変な団体絡みの思うようになるというなら、銚子はもう終わるでしょう。
それは、とってもさみしい。
投稿: らじ店主 | 2014年11月21日 (金) 01時59分