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それだけ前の新聞は手元にないので、そもものの提示はできませんが。
別にその時だけ邪宗の広告がなされていたものでもないです。
同類の行状は続いてますよ。
手元に残ってる新聞を少しばかり探したらありましたので。
ちなみに新聞購読はやめてるので棄てずに持ってる範囲からです。
2014年2月3日の「わが友に贈る」と同じ紙面に『良寛こころのうた 第三集 良寛詩歌 三百六十五日』という本の広告があります。
「わが友に贈る」の場所からちょうど左下方向、紙面の広告欄にあります。
これならまだ新聞を残してる人もいるかな?と。
「わが友に贈る」と同じ紙面に邪宗の本の広告って聖教新聞社は大丈夫なんでしょうかね?
同じ邪宗の本でも、研鑽目的とかならばわからないでもないけれど、詩集が研鑽になるものでしょうかf--;
『研鑽』という意味でもちょっと場違いな広告でしょう。
とりあえずは、学会員さんにはなんらメリットもない広告に感じますが?
そう感じるのは僕だけでしょうか。
聖教新聞社のメリットでしかないものでしょう。
一般の新聞ならば純粋にビジネスとして認識できることですが。
この本は宗教の宣伝目的も含まれてると広告から読めるものです。
特定の宗教の新聞では広告という意味だけではなく、特定の宗教が認めた『推奨する宗教』の意味にもなりませんか?
研鑽目的ということでも適切とは思えないものだし、むしろ邪宗の勧誘の手助けでしかない広告です。
もっとわかりやすくは、邪宗の勧誘の手助け=退転を推奨した広告ということです。
ですから僕は『謗法です』と言ってるのですよ。
しかもそれを「わが友に贈る」と同じ紙面で、普通に見れば「わが友に贈る」と一緒に視界に入る状態です。
聖教新聞社の信心の状態を垣間見てるようですよ。
探せばまだ同類の広告とかは出てくるだろうけど、新聞を見るほど幻滅するのでやめました(笑)
と、いうことなんですけどねf^^;
ただ、新聞啓蒙を真面目にされてる方は『良い新聞』と感じなければできないことですよね?
それはわかるんです。
実際やるとなれば、本気で取り組まないと成果など上がるはずもないことですから、そういう純粋な気持ちは尊重したいのはやまやまなんです。
白ゆりさんのように純粋で綺麗な信心をされてる方を思うと、どうしても怒りの心情にならざるえないのですf--;
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
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