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いつも建設的な意見の投稿を、興味深く読ませてもらっています。
最新の投稿『悪と戦う技術』も読ませてもらいました。
その中で「(創価学会が)崩壊するのは信心=悪と戦う精神がなくなった時」との指摘に、
なるほどと思う反面、それだけでは足りないと思いました。
池田先生は、
「折伏を忘れ、広宣流布を忘れ、一番大事な師弟を忘れたら、学会は崩壊である」
と言われています。
先ほどの投稿でも申し上げたように、「創価学会を護る」という一点を外せば、
「悪と戦う精神」があっても、それが創価学会に多大なダメージを与える場合があります。
池田先生は、随筆『嵐の4.24 断じて忘るな! 学会精神を』の中で、
「悪と戦う精神」はあったが、「創価学会を護る」という配慮が足りなかった
最高幹部について、以下のように言及されています。
「私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた。
しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、
その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである」
上記の池田先生の言葉からも分かるように、
「悪と戦う」重要性を理解されている常連の方々には、
同時に、「学会を護る」ということの重要性を、今一度、認識してもらいたいと思います。
もう一点、ジョーカー様が、「悪と戦う」重要性を語られる時、
では、何が悪なのか、誰が悪なのか、その証拠はなんなのか、という点について、
今現在、どう考えているのか、気になりました。
「魔は紛然として競い起こる」というように、
この板の投稿を読んでいても、その戦うべき「悪」が、何なのか、誰なのか
よく分かりませんし、分からないからこそ、
会員同士の無用の衝突があるように感じています。
もし、54年当時、裏切った幹部のことを言っているのであれば、
その後、池田先生がその幹部たちを除名せずに、重要なポジションのまま、
時には厳しく、また時には包み込むようにしながら善導されてきたにもかかわらず、
その幹部を追い出すことが「悪と戦う」ということでしょうか。
一度裏切った人間は、たとえ心を入れ替えようとしても、
追放しなければならないのでしょうか。
是非、ジョーカー様が「悪と戦う」という時の、
何が悪なのか、誰が悪なのか、具体的に教えて欲しいと思います。
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