メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

核兵器廃絶訴え 焼津で1500人行進

亡くなった久保山愛吉さんのお墓を目指して行進する参加者=焼津市で2016年3月1日午前9時28分、松岡大地撮影

 1954年に太平洋ビキニ環礁の米国水爆実験で焼津港所属の「第五福竜丸」が被ばくしてから62年になる1日、「死の灰」を浴びて亡くなった久保山愛吉さん(当時40歳)を追悼する平和行進が焼津市内で行われ、参加した約1500人(主催者発表)が核兵器廃絶や平和を訴えた。

     行進は午前9時半にJR焼津駅前を出発。参加者は久保山さんが残した言葉「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」が書かれた横断幕や「平和希求」などと記されたのぼりを持ち、久保山さんが好きだったバラの花を手に、久保山さんの墓がある市内の弘徳院までの約2キロを練り歩いた。

     焼津市によると、第五福竜丸の乗組員は1月26日、小塚博さん(当時84歳)が亡くなるなど、23人中17人が既に亡くなっている。

     同市内では「3・1ビキニデー集会」も同日開かれ、第五福竜丸以外では初めて船員保険の適用の申請をした、高知県の元漁船員の遺族も参加した。

     壇上に立った高知市の下本節子さん(65)は2002年に父大黒藤兵衛さん(当時78歳)を亡くした。胆管がんだった。

     藤兵衛さんは水爆実験に遭遇した遠洋マグロ漁船「第七大丸」の無線士。船体から高濃度の放射線を検出していたが、調査はされていない。生前は多くは語らなかったが、「きっとたくさん話したかった不条理があったと思う」と涙ぐみながら話した。

     県原水爆被害者の会会長で、自身も広島で被爆した川本司郎さん(79)=静岡市清水区=は「今年に入り、北朝鮮が水爆実験したと発表するなど核兵器使用が現実味を帯びている。世界唯一の被爆国として、今こそ核兵器の全面禁止を求めたい」と呼びかけた。【松岡大地】

    あわせて読みたい

    制限なく記事をお読みいただく方法はこちら

    毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです
    毎日新聞のアカウント

    のマークについて

    話題の記事

    編集部のオススメ記事